115 1994/12/01 Thu 一樹の病室:何もなかった
「都合のいいとこだけ切り取ると全く意味が変わるって、このことだな」
この場合は「都合の悪い」とこだが。
もう全然想像できる話と違うじゃないか。
二葉がぼそりと呟く。
「どちらの気持ちもわかるなあ。院長夫人はきっと構って欲しかっただけ。だけど、それが院長先生の触れてはいけないところへ触れちゃったって感じだね」
「金庫まで開けるのはやりすぎと思うが」
「院長夫人も自分に非があるのはわかってるはずだよ。その後ろめたさもあって若杉先生には真相を話せないんじゃないかな」
しかし自覚していても院長を悪く言うしかない。
因果なものだ。
「院長夫婦の事情は把握した。で、アイが出て行こうとしたというのは?」
アイも二葉と同じく呟き気味に返事する。
「とっくに死んどるわしのせいで夫婦が別れるなんてことがあってたまるか。だから『追いかけろ!』と叫びながら姿を現そうとしたんじゃ、それなのに……」
がっくりうな垂れる。
どうにかしたくてどうにもならなかった。
アイにしてみれば無念他ならないだろう。
しかし、これは見えなくて結果オーライだ。
ただですら幽霊というだけで大パニック必至。
しかもそんな修羅場で現れようものなら、もう最悪の展開しか想像できない。
さて、院長にだけ姿が見えない。
そんなオカルト世界の法則なんて俺達兄妹が考えてもわかるわけない。
ただ何かの役に立つかもしれない。
もう少し詳しく聞いておこう。
「その一件以降、院長の前に姿を現そうとしたか?」
「まさか。キヨシ君に見えんかったことでガックリはした。でも同時に頭も冷えた。わしの我が侭でキヨシ君の家庭をこれ以上ぶち壊したくない」
アイも事の重大性をわかってはいるのだな。
姿を見せようと先走ったのは、アイの幼児性の部分によるものではない。
「人として」の行動だろう。
俺は第三者だから冷静に聞いてられるが、当事者だったら同じ事をしてしまいそうだ。
「院長夫人には姿を見せたか?」
「それっきり姿を見てもいない」
「若杉先生には?」
「今日初めて知ったばかりじゃが? いや、待てよ……そういえば一郎にばかり顔を向けて、すぐ傍にいたわしには目もくれなかったような」
「つまり、見えなかった?」
アイが首を縦に振る。
「他人じゃし、冷たそうな女にも見えたし、特に気にもしなかったんじゃが」
颯爽としてる分、すましてればクールと言えなくもない。
実際には温かくて人間味のある人なんだけどな。
院長の話はこんなところか。
「次の話題だ。昼間、金之助と会った時のことを教えてくれ」
【心配するな、後で話す】とのことだったが。
「結論から言う。何もなかった」
「へ?」
「わしの姿が見えたのは確かに驚いた。しかしそれ以上のことは起こらなかった」
「体に変調とか、心に異変とか、何にも?」
アイが頷く。
「予め脅かされてたから何が来るか身構えとったんじゃが、拍子抜けじゃった」
どういうことだ?
二葉が自信なさげに口を開く。
「つまり……アイちゃんにフラグは立たなかった?」
「そうとしか思えないな」
「ゲームでフラグ立つための条件は?」
「何らかのイベントで入院して、アイを病院で見つけるだけ」
麦ちゃんほどではないが、アイもそれなりに難しい。
見つけるだけとはいっても病院内のあちこちをクリックしないといけない。
難易度が高い反面、フラグ自体は見つけた時点で立つことになっている。
「病院に入院するためのイベントは?」
「麦ちゃんを助ける、バイト先で事故に遭う、道に落ちてるお金を拾おうとして足を滑らせる」
「三つ目は何なの?」
「出雲町って、町のあちこちに五百円玉が落ちてるんだよ。だからバイトしなくても、それを拾って歩く事である程度の軍資金が得られるシステムになってる」
「金ちゃん、高校生にもなって……しかも五百円のために入院するって……」
「空さんのボッタクリ店と同じく、持ち金ゼロになる罰ゲームでもあるぞ」
「全力でツッコミ入れたいところだけど置いとくわ。怪我の程度は?」
「いずれも三日程度で退院できる軽いもの」
二葉が腕を組み、しばらく思案した様子を見せてから口を開く。
「血豆を潰すよりは重いよね。だったら例えば血豆潰すのでアイちゃんを見るための霊力までは高まった。でも幽霊相手に『見えざる手』が発動するまでの霊力には至らなかった、とか」
「論理的に考えるなら、それが自然っぽいけどな」
他のヒロインでも好感度ポイントが上がるにつれてフラグの進むケースはあるわけだし。
ただアイは「見つけるだけ」でフラグが立つのが本来。
原則として存在するルールを否定してしまうのは引っ掛かるものがある。
「兄様、ちょっといいか? 金之助については、わしにも仮説がある。二人の帰りを待ってる間に考えたことじゃが」
「どんな仮説だ?」
「わしは姉様をダシに金之助を振り回す。しかし昨夜の兄様の話で全てを知ってしまった。だったら今わしにフラグが立ったとして、何をダシに振り回すんだ? さすがに知っているものを他人に探させるほど悪趣味な性格はしてないぞ」
いま、ものすごく、聞いてはいけない台詞を聞いてしまった気がする。
固まって言葉が出なくなってる俺に代わって、二葉が答えを促した。
「アイちゃん、はっきり言って」
「兄様は上級生の『アイルート』を根底からぶち壊してしまったということじゃ」
なんてこった。
確かにアイは俺達の抱える問題と直接関係するヒロインじゃない。
だから、ルート云々のことは気にせず話していた。
しかし未来は変わる。
このことを本当に突きつけられると、重い現実としてのしかかってくる。
イジラッシの言った予測不能になるというデメリットだけじゃない。
必ずしもいい方向に変わるとは限らない。
いや、それどころか。
「麦ちゃんのこと、やっぱりやらかしちゃったかな……」
二葉が呟く。
二葉の悲劇を避けるためには麦ちゃんルートも立てる必要がある。
それなのに未来を変えてしまった可能性が現実味を帯びてきたのだから。
アイがポンと肩を叩いてくる。
「気にするな。わしは金之助に接吻などしたくない。むしろ助かったというものじゃ」
「ああ……ありがと。ただ、そういう問題だけじゃなくて……」
「わかっとる。まだ話の続きがある。落ち込むのは最後まで聞いてからでも遅くない」
へ?
「どういうことだ?」
「やっぱり推測にすぎんが、これはわしに限っての話じゃないかのう」
「根拠は?」
「他のヒロインについては子作りが終幕じゃろ? これは金之助の願望で間違いないよの」
「まあそうだよな」
実際に口説いてるわけだし、その結果だし。
「一方でわしの場合は口づけだけ。金之助がそれだけで喜ぶ男か?」
「幼女相手に、それすら望むことの方が犯罪だろ」
今時のエロゲーなら合法ロリで外見だけ幼女というのはある。
しかし上級生におけるアイは、裏側を知らなければ完全幼女の設定。
つまり金之助からはそう見えるわけだから、何かしらの性欲抱いただけでドン引きだ。
「だとすると、上級生の金之助は純粋にわしのために動いてくれただけ。エンディングを口づけじゃなく姉様と会って成仏の方に意味があると考えれば、金之助の動機はなくなる。だからフラグも立たなかった。そう考えたんじゃ」
「なるほど……ありえるかもしれん」
金之助から見たアイは、極端に言えば一郎と扱いは大差あるまい。
きっと小さい子だから兄代わりとして面倒を見たという感覚だ。
「もし今後金之助が病院に入院して、わしにフラグが立てば、兄妹達の見立てが正しいことになる。ただ『見えない手』がどんなに不可思議な力だとしても、さっき言った通り、知ってしまった以上は姉様をダシにすると想像できない」
二葉が口を挟む。
「まとめると、アニキがエンディングをダイレクトに潰したからアイちゃんのルートそのものが潰れてしまった、でいいのかな?」
「多分の。わしのルートが特殊だから簡単に潰れてしまったということじゃ」
俺達の仮説よりはアイの二つの仮説の方が自然。
きっと当事者だからだろう。
「ふむぅ。その意味じゃ少しだけはホッとしたけど……例えヒロインだろうと未来は変わりうるのを証明したことにもなるよね」
俺達は二葉のエンディングを変えるために動いている。
本来なら少しだけどころか全開で喜ぶ話なのだが。
現在の状況においては麦ちゃんルートを潰してしまった可能性もあるからな。
アイが二葉を見つめる。
「もう終わってしまったこと、気に病んでも仕方あるまい」
さらりとした物言いなのは重く感じさせないためだろう。
中身老婆と言えど、外見幼女にこんなの言われると決まり悪い。
「そうだな。やらなければいけないのはくよくよすることじゃない。この先をどうするか考えることだ」
二葉も意を汲んだらしく、短く返事する。
「そうね」
ルートが壊れてしまった可能性まで見据えて、どう金之助と麦ちゃんを引き合わせるか。
もしかしたら俺達の杞憂であって金之助が勝手にフラグを立ててくれるかもしれないし。
アイルートが潰れたのは、エンディングまでも潰してしまった致命的な要因によるもの。
そうであることを信じるしかない。
何よりヒロインBこと麦ちゃん云々は俺の運命にだけ関わる話。
大噴水回避に不可欠というわけではない。
いざとなれば俺が死ねばいいだけだ。
ただ麦ちゃんルートを辿った方が二葉ルートも潰しやすい。
一気に難易度跳ね上がるのが問題なわけで。
ま、いま考えたところで結論は出ない。
後日どうなっているか確認して、二葉と対策を検討しよう。
──待て。
アイに顔を向ける、もしかして……。
院長や若杉先生にアイが見えなかった話。
アイのフラグが立たなかった話。
二つの話を聞いて、うすらぼんやりながらも初めて見えてきたものがある。
「兄様、なんじゃ? 一樹の顔でまじまじと見つめられると照れるじゃないか」
「別の意味で顔を赤らめてほしいものだ。もしかしたらアイが院長に見えなかった理由がわかったかもしれない」




