114 1994/12/01 Thu 一樹の病室:離婚させていただきます
二葉に代わり、今度は俺からアイに促す。
「ここまでの事情は把握した。つまり『院長の宝物』はアイが好きだから、似ているモデルを探して入手したということでいいのか?」
それでアイが「責任」を口にするのも大仰な話だが。
「そうと言えばそうじゃが、わしの説明したいことは少し違う」
「どういうことだ?」
「死んだ時のわしは焼け焦げて醜い。兄様が『トラウマ』と口にした通りにの」
「いや、それはその……すまん」
「別にいい。問題はキヨシ君にとって、本当にトラウマになってしまったらしくての」
二葉が呟く。
「好きな子がそんな死に方すればねえ」
アイが頷いて言葉を繋ぐ。
「その結果、相対的に生前のわしがキヨシ君の中で女神のごとく美化されてしまったみたいなんじゃ。そして女性に対する嗜好がそのまま止まってしまった」
「つまり……」
「キヨシ君の幼子好きはわしのせい。それも助けてくれようとしての結果じゃから、わしには何も言えん」
なんてこった。
これはアイも確かに話しづらい。
決して誰かのせいという問題ではないが、アイが後ろめたく思うのは理解できる。
アイがぼそりと言葉をつなぐ。
「たとえキヨシ君が院長室で宝物を開いて『アイちゃん、アイちゃん、アイちゃあああああああん』とハアハア息を切らすところを見てしまってもの」
「そんなことまで説明するな!」
思わず宝物をベッドの上に投げてしまった。
「好きで見たんじゃない! 行ったらたまたま出くわして……」
その前に説明するな、と言ってるんだが。
シリアスな雰囲気でも生々しい話が飛び出す辺り、やっぱりここはエロゲー世界だ。
二葉が首を傾げる。
「どうした?」
「腑に落ちなくてさ」
「どこが?」
「例えばアニキって、芽生が病室に見舞いに来るかもしれないとわかってて、しかも何時かはわからない。そんな状況で芽生のパンツ写真でハアハアする?」
「その例えはなんだ!」
「他意は無いよ。男の人の生理がよくわからないから聞いてるんだけど、当人にそんな現場見られたら気まずいから普通は避けないかなって」
さらりとした口ぶりから本当に他意がないのはわかる。
俺もさらりと答えよう。
「しないな、二葉の言う通り」
二葉がアイに目を向ける。
「つまり院長さんは幽霊のアイちゃんの存在を知らない。ううん、それだけじゃない。ここまでの話も全体にそのことを前提としてるように聞こえるんだ」
「小娘の言う通りじゃ。わしは幽霊になって、一度もキヨシ君と会っていない」
「どうして? 何か会えない理由でもあるの?」
アイが首を振る。
「それだけ思ってくれるんじゃ。姿を現そうとしたことはある」
「だよね」
「でも……見えんのじゃ。持てる限りの霊力を使って実体化しても、キヨシ君はわしに気づかなかった。わしの声も届かなかった」
「見えない? どういうことだ?」
エクトプラズムを濃くすれば誰にでも見えると言っていたはずだが。
「わしこそ理由を知りたい。悩んで悩んでの決断だっただけに、ただただ呆然とするだけじゃった」
ああ、まさに肩透かし。
既に死んだ身、しかも相手は自分を好きとくる。
姉のことを思い返せばわかるが、姿を現すことが必ずしもいいこととは限らない。
葛藤だってするだろう。
それが覚悟した挙げ句、見えなかったっていうんじゃな。
でも……。
「院長はアイのこと、噂で聞いたことないのかな。ゲームでは確か金之助が『出雲病院には幽霊出るって噂あるんだよな』って言ってたぞ」
アイが首を振る。
「その幽霊が必ずしもわしを指すとは限らんじゃろ」
「ん?」
「兄様の見た通り、出雲病院には他にも霊がわんさかおる。それらの目撃談を全部ひっくるめて『幽霊出る』という噂なわけで、わしのことも十把一絡げにまとめられとる」
なんというワードマジック。
プレイヤーとして「噂がある」と聞けば攻略関連の示唆と捉える。
だから噂もアイのことと思い込んでしまうが、「幼女の」と断りが入っていない以上は確かに言ってる通りなわけで。
特に意味のある話ではないが、これまたゲームと現実の齟齬だ。
二葉が口を挟む。
「でも逆に言うと『幼女の幽霊が出る』って噂も含まれてるんだよね? だったら院長さんもアイちゃんが幽霊として出雲病院を彷徨ってることは知ってるんじゃない?」
これだけ頻繁に現れてるんだしさ、と付け加える。
しかしアイはまたまた首を振った。
「院長が幼女の幽霊が出ると聞いたとして変な方向での妄想は抱くかもしらん。しかしの──」
一瞬消え、再び現れた。
しかし、その姿は黒髪のおかっぱにモンペ。
「──これが生前のわし。キヨシ君ならともかく、他人だと昔の姿で目撃されん限り、口づてでは『アイちゃん』と結びつかんよ」
ある意味、今の姿よりも病院には違和感ある姿。
モンペ姿で彷徨くわけにもいかないだろうからな。
「そっか」
「小娘、そんな哀しげな顔をするな。ただ……心当たりはないか?」
「心当たり?」
「兄様達の話によれば、ここは『上級生』というゲームの中だという。だったらその角度から、院長にだけわしが見えん理由もわからんかのうと」
アイがすがるような目で見つめてくる。
そんなの俺や二葉がアイの立場だったとして薄気味悪い現象に決まり切ってる。
原因を知りたくなって当然だ。
……と、言われてもなあ。
「あいにく俺達には、最初に会った時の三条件しかわからない。それに当てはめると、大人で、健康体で、過去はどうあれ現在は不純な院長には見えなくて当然なんだが」
二葉が付け加える。
「それだと『院長さんだけに見えない』の説明にはなってないよね」
条件の当てはまる人は他にもいっぱいいるからな。
何よりアイは姿を見せようと思えば、院長以外なら誰にでも可能。
それができないからおかしいのであって。
「メタ的な観点──つまり『見えざる手』の干渉と考えれば、アイに上級生のヒロインという未来が定められているから院長が邪魔だった、という解釈はありうるか」
「むしろ、アイちゃんと院長先生が道ならざる恋をして若杉先生が生まれなくなる可能性をなくすためじゃない?」
「道ならざる恋って」
「人間と幽霊って意味だよ。今の話聞いた限りじゃ、院長先生は例え結ばれなくてもアイちゃんへの思い優先させちゃいそうじゃん?」
今度はアイが口を挟む。
「わしが姿を見せようとした時には既にキヨシ君の娘──若杉先生は生まれとった。その仮説は成り立たん」
「そっか」
「しかもわしが姿を見せようとしたのは、あの夫婦の離婚の現場に立ち会ってしまったからじゃ」
はあああああ?
「離婚の現場って、院長さんが『悔しかったら桜を見倣って、私の脳内だけでも一二歳以下になってみろ』と完全アウトな発言したアレ?」
「そこだけ切り取ると完全アウトなんじゃが……まあ、聞いてくれ。ある日の院長室での出来事じゃ」
アイは自らの小さな唇を動かし、訥々と現場の状況を語り始めた。
※※※
「あなた、いいかしら? 話があるのですけど」
「仕事中だ。手短に済む用事なら聞こう」
「手短に済むかどうかはあなた次第です」
夫人はつかつかと院長の席に歩み寄り、机に写真を叩きつけた。
「この少女は誰ですの?」
院長が固まる。
「お、お前! これをどこから!」
「あなたが知っている場所以外のどこからだと言うのですか。書斎に私も知らなかった隠し金庫を見つけたので、業者を呼んで開けさせてみれば」
「なんてことをするんだ! 夫婦にだってプライベートがあるんだぞ!」
夫人が鼻で笑う。
「自分の御趣味を考えて発言したらいかがかしら。あなたの場合、中から幼女のバラバラ遺体が出てこないとも限りませんから」
「妄想にも程がある。君こそ今すぐ精神科で診てもらったらどうだ?」
しかし夫人は意に介さない。
「黒縁ですし、位牌が置かれていたということは亡くなったんですよね。戦時中の写真みたいですが、あなたに同年代の亡くなった姉妹や従姉妹がいるなんて聞いたことありませんけど?」
院長はギリっと一瞬だけ歯ぎしりするも、声を絞り出すように返答した。
「……彼女がいたから、今の私がある。彼女がいたから、私は一人でも多くの患者を救おうとしている。それだけだ」
「つまり私の見立て通りでよろしいということですね──嘆かわしい」
「嘆かわしいとはなんだ!」
院長が声を荒げる、しかし夫人は受け流すがごとく冷ややかな声を発した。
「だって私というものがありながら、不貞以外の何物でもないでしょう」
「亡くなった人間相手に何を言っている」
「だから尚更です。故人に捧げる愛は未来永劫色あせることがありませんもの」
院長が吐き捨てる。
「私達は見合い結婚。しかも私の肩書きとお前の実家の資産を互いに目的とする半ば政略結婚。そんなことを口にするとは微塵も思わなかったな」
「それでも私は伴侶として、ありうる限りの愛情を捧げてきたつもりです。幼い少女にしか性的興味を持てないあなたの病気にも目を瞑って」
「私も幼い少女ではないお前と桜をなすくらいには愛情を捧げてきたつもりだ。少なくともお前以外の大人の女性は視界にすら入らない」
淡々と問答を続けていた夫人の声が上ずった。
「それなら隠し事はしないのが夫婦というものではありませんか? 疚しいことがないなら、この少女のことだって話せるでしょう」
対する院長の声は重くなる。
「誰だって触れられたくないことはある。わからないのか」
「それだけ大事な存在ってことですわね、妻であるこの私をさしおいて。あなたのおっしゃる通り、私は政略結婚の妻。愛の見返りなんていらない。でも、せめて、裏切らないでいてほしかった!」
院長が唇を噛む。
「……鬱陶しい」
「今、なんとおっしゃいました?」
「鬱陶しいと言ったんだ! 愛して欲しいと思うなら、裏切らないでいて欲しいと思うなら……悔しかったら桜を見倣って、私の脳内だけでも一二歳以下になってみろ! 捻くれた、曲がった物言いをしてるんじゃない!」
夫人の目から涙がとめどなく溢れ出した。
「よくも、よくもそこまで。わかりました、離婚させていただきます」
「助かるよ。私の側もお前のように他人の痛みを汲み取れない女性と今後も一緒に暮らすなんて真っ平だ」
「あとで泣きついてきても知りませんからね」
院長が冷ややかな微笑を浮かべてみせ、電話機のダイヤルを回す。
「磯野弁護士事務所ですか? ……君か。実は妻と離婚することになってな。すまないが財産分与その他の手続をお願いしたい……ああ、妻からの申出だから離婚自体は揉めることもない……」
夫人のこめかみに血管が浮き、顔が真っ赤になる。
「失礼します!」
※※※
「──まあそれで細君は出て行ってしまった、というわけじゃ」




