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111 1994/12/01 Thu 一樹の病室:そんな風にだよ

 噂をすれば。


「おかえり」「二葉さん、お疲れ様」


 二葉が目をきょとんとさせる。


「あれ? 芽生、どうしてここにいるの?」


「ふ、ふ、ふた──」


 芽生が顔を真っ赤にし、怒鳴りかけるも踏みとどまった。

 麦ちゃんのことを話さなければいけないからだろうけど、よく頑張った。


「あーあ、芽生って短気だなあ。そんなんじゃ伝統あるチア部副部長は務まらないよ」


「い、い、いい加減に──」


 歯をギリっとさせながらも、さらに踏みとどまる。

 芽生、頑張れ!


「ちょっとした冗談じゃん。はい、芽生の制服とカバン」


 二葉が芽生の横に、どすんとカバンを置く。


「ありがとう。これでやっとユニフォームから解放されるわ。一樹君、あっち向いてて」


 言われた通り背を向ける。


 ユニフォームを脱いでいるであろう衣擦れの音が生々しい。

 パサッと落ちたのはスカートか、あらぬ妄想に励んでしまう。


 しかし幸い……にも、二葉の声が割って入った。


「芽生ってアニキに見せるためその格好してきたんじゃないの?」


「だ、だ、誰が! あなたが鈴木君と佐藤君が一樹君の病室で暴れてるって言ったから」


「あたしは『ユニフォームのまま行け』と言った覚えはありません~。芽生が勝手にユニフォームのまま出て行ったんです~。血相変えて『一樹君、今行くわ!』って~」


「うるさいわね!」


 ついにキレた。

 俺すらイラっとしたから無理もない。


「制服とカバン持ってきてくれた恩人に向かって、その口の利き方は何?」


「全部二葉さんのせいでしょうが! いや、それより──」


 芽生は今きっと本題を振りかけた。

 しかし二葉は遮り、先にその名前を出した。


「で、麦ちゃんは来たの?」


「ううん、まだ。あ、一樹君もういいわよ」


 体を戻すと、いつも通りの制服姿な芽生がいた。

 テーブルの上の書類を片付けながら、二葉に話を続けようとする。


「それでね、二葉さん──」


「まだぁ? 他人様のアニキをケガさせておいて何やってるの! あたしが部活から帰って、それでも来てないってどういうこと!」


 二葉の剣幕に驚いたか、芽生が慌てて取りなそうとする。


「いや、だから二葉さん、私の話を──」


「昨日は取り乱してたから、あたしも慰めた。でも翌日にはすぐに出直して顔を出すのが筋ってものじゃない? アニキにはまだ直接謝ってないんだからさ!」


「その通りだけど、二葉さん!」


 ──そろそろっとドアが開く。


「あの……すみません……松本です……」


 なんてタイミングで!

 麦ちゃんは制服姿。

 芽生の怒鳴り声に気圧されたか。

 背を丸め、体をすぼめながら近づいてくる。


「お取り込み中、すみません……メモの通り、一人で──」


 二葉が叫んだ。


「麦ちゃん!」


「ひ、ひい……あわわ……」


「あわわじゃない! 今の今まで顔出さないなんて、一体どういう神経──も、もが」


 芽生が手を二葉の口に抑え付けた。

 にこやかに笑みを浮かべる。


「麦さん、待ってたわ。私は二年の田蒔芽生と──も、もが」


 二葉が芽生の手を振り払い、目を吊り上げながら口を塞ぎ返す。


「何すんのさ!」


 芽生も二葉の手を振り払った。


「来客をいきなり怒鳴りつけるなんて、あなたこそどういう神経してるの!」


「芽生にそんなこと言われる筋合いはない! あたしは人としての道を説いてるだけだ!」


 またかよ。


「二人とも──」


「一樹君は黙ってて!」「アニキは黙ってろ!」


 芽生が二葉に向き直り、睨み付ける。


「二葉さんこそ、私の話に耳を貸すのが人の道ってものじゃないの?」


「あーあー、聞こえませーん。芽生に貸す耳なんて最初から金輪際持ち合わせてませーん」


 こいつ、最悪だ。

 芽生の眉が釣り上がる。


「あなた、ずっと承知で話を遮ってたのね……そんな横暴な態度とってるから外部生の間で『チア部のヒトラー』なんて陰口叩かれるのよ!」


 二葉の眉も釣り上がった。


「あたしがヒトラーなら芽生はスターリンだ! 隙あらばボルシェヴィキ率いてチア部革命引き起こそうと目論んでるくせに!」


 レーニンの方が適切だと思うのだが。

 少なくとも女子高生同士の口喧嘩には思えない。


 麦ちゃんは体をびくびく震わせながら、二人をおどおどと眺めていた。

 しかし、意を決したように金切り声を上げる。


「やめてくだ──」


「麦ちゃんが原因なんでしょうが!」「誰のために喧嘩してると思ってるの!」


 ……も、再び背を丸めて半泣きになってしまった。


「もう、キリがないわね」


 芽生が呟くやいなや、左足を前に踏み出す。


「えっ!?」


「せっ!」


 芽生の拳が二葉の腹にめりこむ。

 さしもの二葉も虚を突かれたか、仰向けにベッドへ倒れ込んできた。


 芽生がバッグからタオルを取りだし、こちらへ投げ出す。


「一樹君、お願い。今の内に口を縛っておいて」


「あ、ああ……手じゃなくて、口?」


「目が醒めたら、今度こそきっちり説明させてもらうから」


 口を挟まないようにってことか。

 二葉は二葉で強引なところがあるが、芽生も芽生で何しでかすかわからない。

 体育倉庫でのことを思い出すと案外こっちの方が素かもしれない。


 芽生が髪をかきあげながら、麦ちゃんへ近づいていく。


「松本麦さんね。初めまして、二年の田蒔芽生よ」


 麦ちゃんが上目を使いながら、小さい声で答える。


「存じてます……田蒔さんって才色に家柄まで兼ね備えた学園の有名人ですから……」


「芽生でいいわ。とんだ失態を見せてしまったわね、失敬」


 本当に失態そのものなのに、吸い込まれるような笑みをたたえてみせる。

 これはヒロイン力によるものか、それとも只の図太い開き直りか。


「いえ……その前に──」


 麦ちゃんがこちらへ近づいてきた。


「──一樹さん、本当にごめんなさい。私がちゃんと弟を見ていなかったばかりに……」


 深々と頭を下げてくる。


「ふっ、気にしなくていい。二人ともこうして無事だったのだから」


 華小路みたいになってしまった。

 後輩に偉ぶったことなんてないから台詞がしっくりこない。


「でも……」


「いいと言っている。それより、我が騎士が麦ちゃんに話があるそうだ」


 麦ちゃんが怪訝そうな目で芽生を見る。


「騎士? お二人は恋人さんなんですか?」


 なっ!

 しかし芽生は動じない。


「ふふ。そうなるのもいいかもしれないわね」


 芽生もこちらへ近づいてくる。

 麦ちゃんは二葉より更に背が低いから、こうして二人並ぶとかなりの身長差だ。

 あと、なぜか芽生の方が光って見える。

 神々しいというべきか。

 二人のヒロイン力は、そこまで差がないはずだが。


「芽生さん、お話ってなんでしょう」


「一樹君や二葉さんと話していたときに麦さんの名前が出てね。なんといってもゴールドリボン、『これから外部生同士よろしく』とだけ伝えるつもりだったんだけど」


 なんてうまい。

 頼まれましたとは言いづらいよなあ。

 ましてや、この二葉をノックアウトしてしまった状況じゃ。


「はあ……」


 麦ちゃんは不思議そうな顔。

 それだけでは「一人で来て」の説明がつかないからだろう。


 しかし芽生はすかさず話を切り替える。


「でも二葉さんが怒るのももっともよ。『お仕事』って言ってもバイトよね? 学校行く時間だってあるはずだし、病院に立ち寄る時間くらいはあったんじゃない?」


 考える時間を与えない。

 それでいて本題をさらりと折り込んだ。

 本当に話したいのは夜になるまで来なかった理由ではなく、麦ちゃんの家庭の事情。

 咎める形をとりながら相談に乗るためのきっかけを、麦ちゃんの口から引きだそうというのだろう。

 いきなり「相談に乗るわ」というわけにはいくまい。

 本人だって裏で色々言われてるのを察してしまうからいい気分はしない。

 若杉先生はまだしも二葉も芽生も部外者なのだし。


 会話の流れがとても自然。

 二葉みたいな意表を突かせるしたたかさはないが、その分むしろ老獪さを感じさせる。


「それが、私……学校も行ってなくて……」


 芽生が一旦口を開きかけるも、すぐさま食い縛る。

 そのまま黙って次の言葉を待つ。


「今日も朝からずっとバイトで……合間に何とか抜けようとしたんですけど、どうしても無理で……本当にすみませんでした……」


 思っていた通り、いや思っていた以上に重かった。

 まさか学校にまで行ってないとは。


 芽生が一呼吸置く。

 麦ちゃんが言いたいことを言い終えた、恐らくその確認をしてから問いかける。


「学校行ってないって。今、制服着てるじゃない?」


「ええ、まあ……はい……服、これしかなくて……」




 固まってしまった。

 芽生も微笑を浮かべたまま固まっている。

 まさか、こんな答えが返ってこようとは。

 想像はできたはず、だけど全く想像できなかった。


 芽生の口が、ようやく動く。


「そう……」


 小さな声と長い睫毛を下げた様が芽生の心情を伝えてくる。

 俺も何を話していいかわからない。


 麦ちゃんの話を聞くには、俺達も覚悟を決め直した方が良さそうだ。

 ここは一旦引こう。


「麦ちゃん、一郎の退院はいつになりそうだって?」


「今晩、これから退院できるそうです」


「今晩んんんんん!?」


「はい、どこも異常はないからって」


 あのごうつくばり院長なら、もっと入院長引かせそうなものだけど。

 一体どうしたんだろ?


 まあ、どうにしたって喜ぶべき話なのは間違いない。


「おめでとう、よかったな」


「ありがとうございます。あのそれで……退院の準備があるので……申し訳ないのですが、お見舞いは機会を改めてまた……」


「ああ、一郎──」


 によろしく、と伝えかけたところで芽生が口を挟んだ。


「麦さん、病院を出る前に声掛けてくれるかしら?」


「どうしてです?」


「わたし、一郎君から『芽生おばちゃん』って懐かれちゃってて。せっかくだし見送りたいの」


 麦ちゃんの顔が青ざめ、ガクガク震え出す。


「め、芽生さんに向かって何て失礼な事を! 『外部生を統べる女王様』とまで呼ばれる先輩に『おばちゃん』だなんて!」


「えっ、いえ、あの……」


「ゆ、許して下さい。子供の言ったことですので……どうか、どうかお許しを……」


 芽生が困った顔を向けてくる。


「わたしって、いったいどんな風に見られてるのかしら?」


「そんな風にだよ」


 龍舞さんみたいに怖がられてるというより「畏敬」と呼ぶべき代物だろうけど。

 どこか抜けた感のある二葉に比べると、親しみやすさに欠け近づきがたいのは確か。

 同学年ならまだしも、後輩ともなれば当然だろう。


 芽生が再び麦ちゃんへ顔を向ける。


「気にしないで。これも何かの縁というもの。もし何かあったらいつでも相談に乗るから頼ってくれると嬉しいわ」


「あ、ありがとうございます……でも……」


 麦ちゃんがちらっと二葉に目線をやる。


「大丈夫よ。ベッドの上で目を回してる誰かさんは、私が責任持ってとりなしておくわ。彼女も物わかりの悪い子じゃないから安心して」


「はい……それじゃ失礼します。また後で……」


 麦ちゃんがぺこりと頭を下げて退室した。


「さてと──」


 芽生がベッドで倒れたままの二葉につかつかと近づいていく。


「──まずはこの、北の国並に困った首領様を叩き起こしましょうかね」


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