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110 1994/12/01 Thu 一郎の病室:どれにしようかな……と思って

 芽生がちらりと意味ありげな視線を寄越す。

 軽く頷いて「いいんじゃない?」と返事すると、再び一郎へ顔を戻した。


「ねえ、一郎君。芽生おばちゃんからお土産あるんだ」


「わーい、なになに?」


 芽生がベッド脇に屈み込む。

 そしてウィンドブレーカーに入れてあった物を、家臣が王へ献上するがごとく差し出した。


「好きなの選んで?」


 差し出されたのは『うまうま棒』。

 ゲーセン通いしてる者でうまうま棒を愛さぬ者などいない。

 一本一〇円と懐に優しいし。

 どうしてこんなものが病院の売店で売っているかわからないけど、深く考えても仕方ない気がする。


 差し出されたうまか棒は四本。

 サラミ味、チーズ味、明太味、ソース味と無難な選択。


 しかし実はもう一本ある。

 それは「カニクリームコロッケ味」。

 なんでも【出雲病院食堂・店長子コック発案のH道限定品がここに!】とか。

 どうしてこんなものが以下略だが、あのクリーチャーが絡むと何でもありだと思えてしまう。


 四本だから一見して人数分あるように見えるが、買ったのはアイのを含めて五本。

 そして「カニクリームコロッケ味」は未だに芽生のポケットの中。

 仮にアイがいても、差し出したのは絶対四本だったと思う。

 H道とコロッケという芽生ラブのダブルキーワードとくれば無理もない。


「あー、食べたかったんだ! でも、うーん……」


 一郎は一旦喜んで見せるも悩み始める。


「一郎君、どうしたの?」


「どれにしようかな……と思って」


「よかったら二本でも三本でも。ううん、全部を一郎君が食べていいのよ」


 優しげな台詞も、ポケットの中の一本で全て台無し。


「僕が多く食べちゃったら、みんなが食べられなくなっちゃう」


 なんて哀しげな目つき。

 芽生は絆されたか、溜息を吐きつつポケットの中の物を差し出す。


「ふう……はい、これなら二本まで選べるでしょう?」


 しかし真っ先に反応したのは一郎ではない。

 金之助だった。


「カニクリームコロッケ味!? こんなのあるのかよ」


「H道の限定品なんですって。他の味は食べたことあっても限定品なら迷うことないかなと」


「そうだな。で、芽生」


「何?」


「どうして、その限定品を最初から出さなかったんだ?」


 芽生が勢いよく立ち上がった。

 顔を真っ赤にし、きゅっと結んだ唇をぷるぷる震わせている。


「わ、わ、忘れてたのよ。わ、わ、わたしは五本とも出したつもりだったの!」


「溜息ついてたじゃないか」


「たまたまポケットに引っ掛かったの!」


「ふーん、そうなんだー」


 なんて棒読口調。

 目は髪に隠されているが、ニヤニヤしているのがはっきりわかる。

 完全に芽生をいじめて楽しんでやがる。


「しつこい男は嫌われるわよ!」


「その台詞、さっきも聞いたなあ。芽生に嫌われちゃったか、仕方ないなあ」


 芽生が八重歯を覗かせながら、たどたどしく声を絞り出す。


「カ……カ……カニが好きなの。わたしはH道出身だから、カニと聞くとどうしようもなく狂おしくなって抱きしめたくなるくらい好きなの。だから、つい……」


 この期に及んで、まだ嘘を吐く。

 高級食材なカニの方が庶民の代表的食材のコロッケよりマシと考えたのだろう。

 そういうつまらないところで見栄を張るから、肝心なところで自爆するんだ。


 金之助が頭を下げる。


「ごめんごめん。ただ完壁超人の芽生でも人の子なんだなって思ってさ。ますます好きになっちゃったから、ついからかいたくなったんだ」


「ううん、別にいいわ……」


 俯いた芽生の頬が赤らむ。

 ああ、なんて主人公補正。

 俺が同じ事やったら、絶対すぐさま引っぱたかれるぞ。


 金之助が一郎に顔を向ける。


「そういうわけで二本まで選べるぞ。しかも限定品まであるぜ」


 しかし一郎の返事に俺達三人は目を剥いた。


「ありがとう。でも、どれも食べたことないから迷っちゃって」


「──!?」


 全員が叫びかけたはず、でも飲み込んだ。

 どういうことだ?


 今度は俺から尋ねてみる。


「嫌いじゃないんだよな? 『食べたかった』って言ってたし」


「うん。みんなが食べてるの見てて、ずっと食べてみたかったから……」


 まずい! 俺達三人は顔を見合わせて頷き合う。

 もう、この話題に突っ込んではいけない。

 一郎が「うまうま棒」を食べたことのない理由が何であったとしても、次に出てくる話は絶対に部外者が触れてはいけない事情だ。


 ……しかしこの場をどう収める?


 金之助が何か思いついたらしく、耳打ちをしてきた。


(一樹、悪いが金貸してくれ。五百円ほどあればありがたい)


(構わないが、どうした?)


(俺、一円も持ち合わせてないんだ。空さんの店で身ぐるみ剥がされた)


 ぶっ! やっぱりそうなったか!


(足を広げて黒パンスト越しの白パンツを自分から見せつけるような淫獣に下心持つからだ)


(それが男ってものだろうが。幸い一樹が返してくれた五百円のおかげで家まで帰れたけどさ)


 目論見通りではあるが、ここまでうまくいくと怖いものがあるな。

 財布から五百円玉を取り出して渡すと、金之助が病室から飛び出した。


 戻ってきた金之助の手には買い物袋。

 その中身はぎゅうぎゅうに詰められた「うまうま棒」だった。

 金之助が袋を逆さにして、一郎の布団の上にばらまく。


「ほら、これなら悩まなくてすむだろ」


「やったあ!」


 いわゆる大人買い、まさか「うまうま棒」五〇本買ってくるとは。

 なんて強引、でもこの場を収める適切な解決法には違いない。

 金之助、ナイスだ。


 一郎が食べ始めたのを見て、芽生がカニクリームコロッケ味の袋を開ける。


「たまにはジャンクな食べ物も悪くないわね」


 とか言いつつ、顔はすっかり綻んでしまっている。

 コロッケマイスターな芽生を満足させるとは、さすが味の魔術師クリーチャー。


 ──一息ついたところで、芽生が一郎に問いかける。


「ところで一郎君、麦お姉ちゃんはいつ頃来るの?」


「わかんない……麦姉ちゃん、お仕事で忙しいから……」


 ぼそっとした答え方からすると本当にわからないのだろう。

 お仕事って言い方はしているけどバイトだろう。

 学校終わった後に行ってるのかな?

 それならそれで学校の授業を抜けて来れそうなものだが。


 しかし子供にそんなことを言っても始まらない。

 芽生もそう思ったか、話をまとめに掛かった。


「わかったわ、それじゃお大事にね」


「うん!」


 芽生が一郎の頭を優しげに撫でて、体を起こす。


「ではわたし達はそろそろ失礼するわ」


                ※※※


 廊下を歩いていると、芽生がナースステーションの前で立ち止まった。


「ちょっと待ってて……すみません、紙とペン貸していただけますか」


 受け取ると、さらさらと走り書きして見せてきた。


「こんなものかしら?」


 読んでみる。


【松本麦 様


 初めまして

 出雲学園高等部二年の田蒔芽生と申します。

 このメモを読んだら、渡会一樹君の病室まで来ていただけますか?

 その際は一郎君を連れず、一人で来て下さい。

 お待ちしてます。


「達筆だなあ……」


「小さい頃から習字のお稽古させられているから。それより内容は?」


「いいんじゃないか?」


 芽生がナースに、麦ちゃんが来たら言付けてくれるよう依頼する。

 一郎に伝言を頼まなかったのは「一人で」。

 つまり芽生は一郎が場にいない方がいいと判断したのだ。

 俺に見せてきたのも、その確認。

 あの様子じゃ、子供には聞かせられない話になる可能性が大きいからな。


 しかし……フラグパワーが芽生にも及んでいるかの確証はとれなかったな。

 主人公補正が働いているとも、通常ありうる反応とも、どちらでも受け取れたし。


「ふう、これで当座は一段落ね」


 芽生が長い髪を掻き上げ、うなじを覗かせる──あっ!


 芽生の首筋は真っ赤になっていた。

 軽く化粧しているから、ファンデーションか何かで隠されて気づかなかったのか。


 しかし二葉はもちろん、あやかしさんな若杉先生ですら金之助の前ではパニックしまくりだったのに。

 芽生は普段と変わらないと思える範疇だった。

 さすがメインヒロインは一味違うといったところか、恐るべし……。


                ※※※


 再び俺の病室。

 窓の外は真っ暗、もうとっくに日が暮れてしまっている。

 しかし未だに麦ちゃんは来ない。


 芽生は傍らで、書類に目を通しては判子をついている。

 「時間がもったいない」と会社に電話して持ってきてもらったのだ。


「ん、んん……」


 芽生が腕を頭上に掲げながら、大きく伸びをする。

 ずっと集中していたし疲れたか?


「あまり根を詰めすぎるなよ」


「大丈夫。一樹君の前では素でいられるせいか、いつもより集中できちゃって」


 だあっ!

 いかんいかん、油断すると心がとろけそうになる。

 ポーカーフェイス、ポーカーフェイス……。


「そっか。まあ程々にな」


「ありがとう。ちょっと一息つくかしら。お茶入れるわ、一樹君も飲むでしょ」


 ──差し出されたのは梅昆布茶。本当に何でもある病室だ。


 芽生が湯のみに口をつけ、ずずっと啜る。


「ああ、幸せ。酸っぱさで疲れが飛んでいく感じ」


 極楽と言わんばかりに目を細める。

 書類仕事の合間の梅昆布茶ってそうなんだよな。

 気分転換にもなるし、まるでお風呂に浸かった気分に近い。


 しかし、そのまま沈黙が流れる。

 二人とも話したいことはあるし、その内容もきっと同じ。

 だが、重い話題だけにどうしても口にしづらい。


 ついに意を決したか、芽生の方から口火を切った。


「一郎君って……お小遣いもらってないよね」


 迂遠な物言いが芽生らしい。

 言いたいことそのものではないはずだが、話の順序というものがあるし付き合おう。


「間違いないな。『少ない』のなら一〇円のうまうま棒くらい食べたことがあるはず」


「『食べてみたかった』と言ってたものね」


 もちろん、家の躾が厳しくてという可能性はある。

 実際にゲームセンターで俺と金之助が奢ろうとして断られたときは「教育が行き届いている」と思ったくらいだし。

 ジャンクなお菓子を食べさせない家庭はある。

 小学生くらいだと使い途を言わない限りお小遣いを渡さないという家庭もある。

 だから決して考えられない話ではないし、もちろん俺達部外者の口出すことではない。


 しかし……。


 芽生に一郎について話せる範囲で話す。

 ゲームセンターでのことと、本日の食堂でのこと。


 聞き終えた芽生が感想を述べる。


「『教育が行き届いている』、そう考えたことについては違和感ないわ。一円もお小遣いあげないことが行き過ぎかどうかの議論は置いとくとしてだけど。ただ──」


 俺と全く同じ疑問を口にする。


「──どうして『お姉ちゃん』なの? 普通は『お父さん』か『お母さん』じゃない?」


「そうだよな」


「それに……どうして御両親は病院に来ないのかしら? 丸一日も経って、どちらも顔を出さないなんてありえない」


 俺も一旦は思った。

 加えて事故現場にいたのは麦ちゃんであり、昨日顔を出したのも麦ちゃん。

 いつの間にか「麦ちゃん=保護者」という意識になってしまっていた。

 恐らく俺と二葉が親元から離れた二人暮らしであることと、ゲームであることを前提にしているからヒロイン本人にしか思考が及ばないのも影響しただろう。

 二葉もきっと俺と同じ。

 だけど普通は、芽生みたいに考えて当たり前なのだ。


「両親とも何らかの事情で同居していない、あるいは本当にいないと考えるのが自然だろうな。そして麦ちゃんが保護者をしている」


「あるいは育児放棄?」


「ちょっと考えづらいかな。一郎にそういったのを連想させる暗さはなかっただろ?」


「そうね。素直ないい子だし」


 続けるぞ。


「そして姉弟は二人だけじゃない。少なくとも姉がもう一人いる」


「そうじゃないと『麦姉ちゃん』じゃなく『お姉ちゃん』と呼ぶはずだからでしょ」


「うむ。他にも兄弟が数人いると思う。特に弟か妹」


「だから一人じゃ食べられない。兄と姉しかいないなら末っ子は甘えられるから」


 芽生も二葉同様、話が早くて助かる。

 

 さて、結論づけるぞ。

 きっと芽生も見当はついているはず。

 これが麦ちゃんに一人で来るよう伝えた理由の本線だ。


「そして松本家は──貧乏。それも俺達の想像を絶するくらいに」


 だからこそバイキングで取り憑かれたように食べまくった。

 アイが「戦時中の子供」と表現した通り。

 現代において考えづらいが、それだけ飢えた食生活を送っているのだ。


 また麦ちゃんがお嬢様ばかりの出雲学園に来た理由もわかる。

 特待生で授業料無料なら学費が浮く。

 しかもA組なら授業に出なくていいとくるのだから。


「だからわたしは麦さんを一人で呼び出した。一郎君の前で変な話になったらまずいし」


 俺達の仮説が合っているなら、「お仕事」の目的は生活費を工面するため。

 この時点でも弟には聞かせたくない話だろう。


「仕事というよりはバイトだと思うが……」


「その先はあまり考えたくないわね……」


 女子高生でできるバイトは限られてるから最悪援助交際の可能性すらある。

 ここが甘酸っぱい上級生の世界なら、そんなことがあるわけない。

 ヒロインも可哀相だし、プレイヤーは嫌気さすし、まさに誰得。

 そうであることを信じるしかないな。


「一つ言えることはだ」


「麦さんの前に二葉さんが来たら、このことを説明しないといけないわね」


「事情を知らないまま麦ちゃんが来たら、どんな事態に発展するかわからないからな」


 ──ガラガラッと病室のドアが開く。


「アニキ、ただいまー!」


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