11 1994/11/27 sun 校舎前:あたし……どうなっちゃうの?
金之助の後ろ姿が小さくなっていく。
「二葉、お疲れさん。何とかやりすごしたな」
「……あっ、う、うん」
どこか心あらず。
様子が変だ。
「あれくらいで気が抜けるタマでもあるまい」
「……そうだね、まずは校舎に入ろ。中も見ておいた方がいいでしょ」
その通りだが、全然会話になってない。
わざとスルーしているわけじゃないのは、俯きながら歩き始めた様子からわかる。
「俺、もしかして邪魔しちゃったのかな?」
「邪魔? どうして?」
「金之助から口説かれるの満更じゃなさそうだったからさ。『ちょっかい出すな』と制したの悪かったかなって」
二葉はふるふると首を振り、訥々と返してきた。
「ううん、嬉しかった。あの言葉で自分を取り戻せたから……ホント助かった」
「助かった?」
「悪かったのはあたしの方。変に話引き延ばしてアニキに負担掛けちゃってごめん」
自分でもわかってはいたのか。
でもそれならなぜ?
──二葉が足を止め、ぼそりと呟いた。
「あたし……アニキの話、信じるよ」
「何をやぶからぼうに」
二葉の語り口が少し早くなった。
「ここがゲームの世界なのかどうかは知らない。だけど絶対何かがおかしい」
「だから一体どうしたよ」
「あたし、金ちゃんが最初に挨拶してきた時からおかしくなったんだ。何だか頭がぼーっとして、変に胸の鼓動が高鳴って……」
「それってやっぱ、金之助の事好きなんじゃないの?」
二葉が俯けていた顔を上げ、俺に向かって叫んだ。
「違う! そんなんじゃない!」
真剣そのものの眼差しに何も言えないでいると、二葉が言葉を繋いだ。
「今までになかった感覚だった。突然暗示にでも掛けられた様なそんな感じだった」
──フラグ!?
頭にその単語がよぎった。
「上級生」における二葉の最初のフラグはとにかく「会う」ことで立つ。
だから話の辻褄は合う。
ただ、確かに……ギャルゲーでヒロインが主人公に惹かれていく様は、その急速かつ不自然ぶりに「催眠術」とまで言われる事はある。
しかしこの二葉の台詞からすれば、まさに得体の知れない力そのものではないか。
二葉がさらに続ける。
「直前に金ちゃんが主人公って聞いてたから『もしかして』と思った。それで舌を軽く噛んで正気を保ってたんだけど、段々考えがまとまらなくなって……」
それでも会話の序盤はおくびにも見せなかったのだから大した精神力だ。
黙って頷き、続きに耳を傾ける。
「『誰よりも女らしい』って言われた瞬間、心音が大きく鳴って体の奥がじわっと熱くなった。もし予め話を聞いてなかったら……もしアニキが叫ばなかったら──」
一旦言葉を切り、大きく息を溜める。
「──今頃あたしは金ちゃんに恋したと勘違いしていたのかもしれない」
その表情は複雑。
どことなく気まずそうな、それでいて安心している様な。
ただ自らが直面した状況を歓迎していない事だけは確実に伝わってくる。
その言葉に嘘があるとは思わないけど念は押そう。
これはスパイというより、石橋を叩いて渡る公務員としての習性だ。
「それって金之助の台詞がホントに嬉しかったとかじゃないの?」
二葉は鼻で笑って嘲り、俺の問いを一蹴した。
「はっ、あたし達の会話はいつもあんな感じ。それで落ちるならとっくに落ちてるでしょ」
「確かにそうだな」
「そもそも女らしくないなんて全く気にしてない。元気少女はむしろ取り柄だし、髪が短いのは願を掛けてるだけだし」
「女らしい」という言葉で喜ぶ理由はない、という事か。
ただし胸については触れてない辺り、そこは本当に気にしてるんだろうな。
「願掛けって?」
「まあ……後で話すよ」
「ならそれはいいや。ただ俺の目には、『中身が変わるわけじゃない』という台詞から反応していた様にも映ったけど?」
「今なら『空々しい』ってはっきり言える。確かにあたしと金ちゃんは仲いいけど、それを言ってもらう程の何かがあるわけじゃないもの」
言い終えた二葉は、「もちろん嬉しいのは嬉しいけどね」と付け加えた。
裏を返すと、本来はリップサービスとして喜ぶにすぎない程度のこと。
フラグと二葉の感情の間にあるギャップを考えると、やはり何か得体の知れない力が働いていると考える方が自然なのかも知れない。
「でも、どうしよう……」
「ん?」
二葉が俺の両手首を掴み、見上げてくる。
「あたし……どうなっちゃうの? 金ちゃんにやられちゃうの?」
手から震えが伝わってくる。
本来力強き光を放つはずの目には影が差し、明らかに怯えた表情をしている。
かなり肝っ玉は太いと思ったが、まさかこんな風になるなんて。
いや違う、これが当然なんだ。
いくら気が強く利発に見えても、二葉は一六歳の少女にすぎないのだから。
滑らす様にして手首を返し、二葉の手首を押さえ付ける様に握りしめる。
鼻から軽く息を吸って顔を引き締め、ゆっくりと諭す様に言葉を発する。
「大丈夫だよ、まだこの世界がゲームと決まったわけじゃあるまい」
「気休め言わないで! 自分でここはゲーム世界って言ったんじゃない!」
「落ち着け。もっと色々調べてから判断しても遅くはあるまい」
目にあらん限りの力を込めて、「そうだろ」と念を押す。
自分でも気休めと思う。だけどそれを二葉に悟られてはならない。
二葉の不安を和らげるには、例え虚勢でもいい、俺がどっしり構えなければ。
「そうだね、ごめん」
落ち着いたのか、二葉が両の手首を放した。
同じく俺も手を放してから提案する。
「まずは保健室に行ってみよう。若杉先生もヒロインだから様子を見てみたい」
二葉にフラグが立ったなら、若杉先生にも当然立ってるはず。
二葉が同意の頷きを示す。
「わかった、その前にさ」
「どうした?」
「アニキと金ちゃんとの会話で気になった事があるから、先に確認したい」
「構わないけど、そっちが先?」
「さっきので懲りた。若杉先生の所へ行く前に、もっと話を摺り合わせた方がいいよ」
確かにな。
あんなギリギリの演技は俺も避けたいし、できる準備はしておいた方がいい。
「わかった」
「ここじゃ何だし、とりあえず校舎に入ろうか」
※※※
校舎中央の玄関、高さのあるエントランスポーチをくぐる。
校舎扉は、外壁と合わせた赤茶色の木枠にガラスをはめ込んだもので一見して古めかしい。しかし扉の前に立つと自動で開いた。
なるほど、二葉の言葉の通り設備そのものは新しそうだ。
校舎内に入るとロビーが広がっていた。
観葉植物やソファーが並び、案内図や標識が設置されている。
壁には大きなガラス窓が張り巡らされている。
レンガ造りの建物ゆえ近代的な全面ガラス張りのビルに比べれば採光は少ないが、これくらいの影が差していた方がどことなく雰囲気はある。
「壁も床も木をふんだんに使っているってのが落ち着くな」
「内装仕上げだけだけどね。あたしも変につるぴかしてるより好き」
そういえば普通の学校ならあるべきはずのものが見当たらない。
「脱靴場は?」
「ないよ。出雲学園は土足」
「そんな学校、初めて聞いたぞ」
俺は小中高ずっと上履きがあったけど。
「校舎の雰囲気に合わせてるって話。洋風建築の多い関西だと珍しくないらしいよ」
「それだと下駄箱にラブレターイベントが発生しなくて困るだろう」
それこそギャルゲーにあるまじき設定じゃないか。
「じゃあアニキは一度でもそのイベント発生したの?」
何てさらりと、しかも痛いところを突きやがる。
「ないよ。出したことももらったこともない」
どうせさらにからかってくるんだろ。
しかし二葉はくすりと笑っただけだった。
「それでいいと思うよ。あたしだったら気持は直接目の前で伝えてほしいし、伝えたいもの」
「そういうもの? かなり恥ずかしいんだけど」
「そこで勇気を出してくれるからポイント高いんじゃん。その点で金ちゃんは買えるかな。彼が下駄箱にラブレターなんて想像つかないでしょ」
「確かに」
つまり金之助が主役である以上、下駄箱設定は不要だし邪魔ということか。
金之助なら自らラブレターを出すことはなくとももらいはしそうだが、自分で平凡と言ってるヤツがラブレターもらうのもおかしな話だしな。
「じゃあ落ち着いて話せる所へ向かおうか」
「どこ?」
「屋上」




