108 1994/12/01 Thu 出雲病院廊下:パンツどころか、全裸でお立ち台上って扇子振り回す羽目になっても譲れないものがある。
再び病室へ向け、廊下を歩き出す。
すれ違う人がみんな振り返る。
芽生はそれだけの美人だが、今に限ってはチアリーダーの制服のせいだと思う。
「芽生、どうして着替えてこなかったんだ?」
「随分な言葉ね、一刻も早くと駆けつけた騎士に向かって」
「いや……それは嬉しいんだが……」
「何よ、はっきり言いなさいよ」
「二葉が病室を出たときに鈴木と佐藤が暴れていたなら、芽生が来る頃にはとっくに騒動終わってるだろ」
芽生の顔が見る見る紅潮していく。
「う、うるさいわね。あいつらは弱い者にはとことんまでカサに着るし、どこまでもしつこいんだから。一時間でも二時間でも暴れるかもしれないじゃない!」
いつものあざとい態度じゃない、明らかに素の照れ隠し。
それだけ心配してくれたんだな。
ありがとう。
でも言葉にしたら、芽生の顔が破裂しそうだしやめとくわ。
※※※
病室到着。
ベッドに潜ると、芽生がお茶を入れてくれた。
芽生はサイドテーブルに二人分の湯のみを並べると、脇の椅子に腰を下ろす。
「足を組むのは止めろ。はしたない」
「失敬。つい部活のノリを引き摺ってたもので──」
足を下ろし、きっと睨んでくる。
「──でも、そういうの、女の子に向けてはっきり口に出す?」
「見えない方がいいと言ってるんだ。せっかく特訓させられたんだから」
正しくは見えそうで見えなくて、かえって妄想広がるからなんだけどな!
こんな状況で下半身が切なくなってしまったらまずすぎる。
芽生が手の甲を口にあてて、くすりと笑う。
「それもそうね。いいことだわ」
「でも意外だな。お茶は入れるより入れさせる側だと思ってたが」
「人聞きの悪い。わたしをなんだと思ってるの」
「見た目も能力も完壁だけどコロッケ大好きで腹黒いお嬢様」
ふっ、と自嘲するかの声が漏れた。
「最後の『お嬢様』だけ訂正させてもらうわ。VIPルームで和食に変えてもらってほっとしたくらいには庶民のつもりよ」
「また素直に認めたな」
「悪い癖なのよ」
「癖?」
芽生が決まり悪そうに目をふいっと逸らした。
「その場では見栄張っちゃうけど、眠る前にベッドの中で後悔して頭抱えちゃうの。そして自己嫌悪。いつも、その繰り返しとかなんとか……」
芽生らしくないあやふやな語尾が全てを物語っている。
きっと本当にそうなのだろう。
ゲームじゃわからなかった、芽生の弱さ。
逆に一層かわいく見えるじゃないか。
ちょうどいい、この流れで聞きたい話題につなげていこう。
「つまり、今は見た目も能力も完壁だけどコロッケ大好きで腹黒い凡人と」
露骨に眉を潜める。
「わたし、庶民とは言ったけど凡人と言った覚えはないわ」
「俺の前では全員が凡人だ」
「そうね。一樹君から見ると、わたしはきっと『見た目も能力も完壁』な『凡人』なのね」
なんて嫌味たっぷりな切り返し。
言外の意味は「矛盾してるじゃない、あなたってバカ?」といったところだろう。
「せっかく天才な俺様が愚痴を聞いてやろうというのに、その口ぶりはないだろう」
「愚痴? 二葉さんをチア部から放逐する相談にでも乗ってくれるの?」
お前はそんなことを目論んでいたのか。
「そうじゃない──」
布団の下に隠れてしまっていた「週刊エメラルド」を取りだし、芽生へ手渡す。
「──色々たまってることもあるんじゃないかってな」
和らげな口調で申し出てみせる。
ここまで偉ぶった態度は伏線、きっとギャップにほだされるだろう。
──と思いきや、芽生は事も無げ。
「これなら読んだわ。それで?」
「あっさりした返事だな。てっきり悩んでいるものかと思ったが」
「もちろん思い切り悩んでるわよ。でも学園の友達に話しても事情がわかると思えない」
周囲は「都銀は絶対潰れない」と思い込んでるものなあ。
「俺はわかってるつもりだが?」
「もちろん、そう思ってる。だから、この雑誌が出てきたんでしょ」
「ふん」
とだけ返しておく。
芽生もまた淡々と返してくる。
「愚痴なんて、聞く側にしてみれば鬱陶しいだけだわ。一樹君に対してはプライドの問題。田蒔芽生の名に賭けて、そんな醜態は晒せない」
「あれだけ自分からパンツを見せておいてか?」
「パンツどころか、全裸でお立ち台上って扇子振り回す羽目になっても譲れないものがある。それはわたしにしかわからないし他人にわかってもらおうとも思わない」
さすがだ。
しかし例えが……この頃ってクラブじゃなくディスコっていうんだっけ?
職場のかなり年上の同僚が「昔のディスコは、女がみんなパンツ丸見えで踊っていてなあ」と、やけに賢者ぶった顔で話していた。
なんだか芽生がおばさんくさく見える。
「一樹君、何よその顔……」
芽生が身の置き所をなくしてしまったかのような、どこか定まらない視線を寄越す。
顔に出てしまっていたか。
「苦労してるんだなと思って。とても女子高生の顔つきと思えなかったぞ」
「当然でしょう。お飾りの頭取代行と言えど、なめられるわけにはいかないもの」
髪をかきあげながら、ふっと笑う。
二葉よりはフォローのツボがわかりやすい。
さて、続けるぞ。
「その頭取代行に是非とも金融を教えてもらいたいなあと」
「バブル崩壊してホームレスが溢れそうなこの時代に財テクでもするわけ?」
俺は、高校生がどうやって財テクするのかの方を問いたいよ。
「そうじゃない、はっきり言おう。芽生が俺の騎士になりたがった理由は、この記事にあるんじゃないかと思ってさ。鈴木の父親も絡んでるんじゃないのか?」
芽生の長い睫毛がゆっくりと動く。
「違うわ。ただ、鈴木君のお父様を敵に回せないという意味では合ってるわね」
微妙な言い回しだが、まあいい。
お茶を煽り、いかにも偉そうにふんぞり返る。
「聞かせてもらおう。主人たる俺には義務があるはずだ」
「義務?」
「芽生の悩みを聞かせてもらうのは友人としての権利。だが騎士の敵へ一緒に立ち向かうのは主の義務だろう。ひいては騎士のお前も主に事情を説明する義務がある」
芽生がくすりと笑う。
「何を言ってるのかわからないけど、わかったわ。だけど『説明』とは言わない。ここは一つ、御主人様の御言葉に甘えて愚痴をこぼさせてもらうわね」
なんて清らかな微笑み。
そして全力で拒否してみせてからの、打って変わった素直な態度。
こんなことされたら胸を鷲掴みにされるじゃないか。
芽生が「週刊エメラルド」を手に取り、ぱらぱらと捲る。
「肝心なところ以外はかいつまんで話させてもらうわ」
【たまき銀行が経営危機に陥ったのは~】の下りを指さす。
「大蔵省と日銀には恨み言の一つも言いたい。土地の総量規制に急激な金融引き締め。どうしてソフトランディングさせることができなかったの。本当に泡が弾けるように消し飛んでは手の打ちようがないじゃない」
芽生としては愚痴っているつもりなのだろうが、何を言ってるかまるでわからない。
要はバブル崩壊が大蔵省と日銀のせいだと言いたいのだろう。
空気を読んで、意向に沿う返答をする。
「その割に、鈴木銀行局長は偉そうだな」
「まったくよ。自分達の失態を棚上げして」
芽生が毒づきながら、指を次の箇所へ動かす。
「頭取の父はじめ行員は一丸となって再建を目指してきたわ。それを全て台無しにしてくれたのが、この週刊近代の報道」
週刊誌の報道だけで世論がそこまで反応するものなのか?
疑問が頭によぎるも、すぐ気づいた。
この時代にネットはない。
元の世界みたいにネットメディアが乱立して情報が氾濫した状態じゃないから、受け手の側は取捨選択ができないんだ。
送り手が少なかった分、マスコミの影響力は現在の比じゃないのだろう。
ならば代わりに問うべきはこれだ。
「そんなに真実味のある内容だったのか?」
「真実味も何も大蔵省のリークよ。大蔵省にはたまき銀行を潰したい勢力があるし、だからこそ週刊近代も容赦なく煽ったの。次の箇所のこれね──」
指さしたのは【「生贄をもって自由競争体制への転換を図るべき、たまき銀行は実質的に地銀だから、潰したところでH道が困るだけで日本経済に与える影響は少ない」という改革派】の部分。
「──都銀で『どこを潰すか』ならたまき銀行、口惜しいけど言い返せないのが現実。H道をバカにした物言いは腹立たしいけど、残念ながらわたし達が持ちこたえたところでH道の役に立つわけでもない」
歯ぎしりしながらも自らを冷静に見つめた台詞。
それゆえに尚のこと、悔しさが伝わってくる。
芽生が体を起こし、投げ出すように体を椅子の背へ預ける。
「そんな中、父は心にも体にも限界が来てしまい倒れてしまった。本来代行を果たすはずの弟は幼いし、病弱で学校にすらいけない状況。それでわたしが頭取代行をしてるってわけ」
──芽生の口から「弟」が出た!
ここは慎重に話を進めないと。
「弟がいるの?」
「ええ、中学生の。写真見る?」
「見る?」と言いつつ、目の前には既にパスケースが差し出されていた。
「かわいいなあ」
男子相手にこの形容が相応しいかはわからない。
しかし写真に映るベッドの上で体を起こした男子は明らかにかわいかった。
決して変な意味でなく。
芽生と似た顔立ちではあるが、全体に丸みがありあどけない。
目も芽生のような切れ長際だつ感じではなく、くりっとしている。
全体に透き通る印象なのはベッド暮らしな生活のせいだろうか。
「でしょでしょ。もう、こんな純真無垢な弟を世間の荒波には絶対晒せない! だから私がやるしかないってわけ」
緩みきった顔に、はしゃぎぶり。
こいつ……紛れもないブラコンだ。
なんて、取り澄ましたイメージに似合わない属性。
ゲームには出てこないが、天然のあざとさまで持ち合わせてやがった。
ただ、俺としては話が早い。
「こんなかわいい弟さんなら、是非とも会ってみたいな」
芽生の返事は即答できっぱりだった。
「だめよ。一樹君の毒で弟が穢されたらどうするの」
「ひどい言いようだな、真人間に生まれかわったつもりなんだが」
しかし、すぐにころころ笑い出す。
「冗談よ。穂波も家で退屈してる子だし、歓迎するわ。退院したらいつでも声掛けて」
あっさり話がまとまった。
名前は「穂波」って言うんだな。
由来はさしずめ稲穂が波のように生い茂るといったところなのだろう。
呆気なさすぎて拍子抜けだが、弟の件はこれで万事OK。
話を戻そう。
「話逸らしてすまなかった。次は鈴木銀行局長のことだったよな」
「むしろ弟の話題のまま、浮かれ気分で話を締めたかったわね」
芽生の顔から笑みが消え、入れ替わりに青筋が浮かぶ。
きっと、ここからが芽生の愚痴本番だ。
「守旧派なんだろ? たまき銀行の味方じゃないのか?」
「そういう単純な話でもないのよ。たまき銀行が改革派からスケープゴートにされようとしているのも、守旧派がたまき銀行を守ろうとしているのも、根っこは同じ理由だから」
「どういうことだ?」
本気でわからん。
しかし芽生の吐き捨てた答えは、霞ヶ関の住人である俺にとって納得しうるものだった。
「国民の血税をどうとか地銀同然がどうとか、そんなの全て建前。真の理由は、たまき銀行が大蔵省の天下りを受け容れていないからよ」
つまり、かいつまんで言うと……。
「見せしめ?」
「イエス。守旧派と改革派の対立は『守るか、潰すか』。どちらが他銀行への見せしめになるかの手段選択の問題でしかない」
話がきな臭くなってきた。
「たまき銀行って都銀の中では弱小、地銀同然って言ったよな。それで大蔵省からの天下りを受け容れずにやってこれたわけ?」
地銀の頭取って財務省や日本銀行出身の天下りが多かったと思うが。
天下り規制以前の当時は、一部の都銀ですら天下りを受け容れていたはず。
「たまき銀行の財務体質って以前は健全だったのよ。都銀としては最下位だからこそ分を弁えてきたの。血族経営だからこその小規模かつ堅実な経営方針でね」
「欲をかかなければ中央とのパイプなんて要らないものな」
「鬱陶しい外部の血を入れず血族経営を維持するためにもね。そのはずだったのに未曾有の好景気で浮かれちゃったってわけ」
芽生が「やれやれ」とばかりに両手の平を掲げて自嘲する。
いかにも漫画とかでお約束な自滅パターンを演じちゃったわけだものなあ。
「その結果、天下りを受け容れる代わりに公的資金注入ってわけか」
「むしろ天下りを受け容れさせていただきますから公的資金ください、『何でも』しますからって感じよ。行員達を路頭に迷わすわけにいかないもの」
妙なところを強調する。
「何でも?」
「例えわたしが鈴木新頭取の秘書を務めることになったとしてもね」
秘書くらいいいじゃん。
芽生の全開にひん曲げた口が、俺の口をつきかけた言葉を制した。




