106 1994/12/01 Thu 一樹の病室:俺は一三歳未満を女と思わん!
──カチャリと扉の開く音、二人が戻ってきた。
二葉がつかつかと入ってくる。
隣には、へろへろになったアイ。
まったく対称的な二人の姿。
「本当にブラックホール・ストマックじゃったの……」
「誰のせいだと思ってるの!」
はあ……。
というか、二葉。
お前はどうしてそんなに元気なんだ。
「二人ともお帰り」
「兄様、ただいま」
挨拶と同時にアイの姿が消える。
霊力の節約だろう。
「アニキ、ただいま。ったく、まいったわ」
二葉が憮然としながら、パイプ椅子に腰を落とす。
がしゃがしゃと激しく音を立てる。
「どうしたのさ」
「アイちゃんは途中で完全に手が止まっちゃって。それでも一郎君は自分のを持ってくるとき、アイちゃんのを持ってきて」
「優しいじゃないか。一緒にいる相手を気遣えるってことだろ?」
「相手を見ながら気遣えっての。子供だから仕方ないけど、その料理食べたのは全部あたしなんだよ──」
二葉が誰もいない方向をキッと睨む。
「──それなのにアイちゃんは『ありがとう』とも『ごめんなさい』とも言わないし」
「小娘、ワシはこっちじゃ」
「黙れ!」
キリが無い、本題に引き戻そう。
「で、収獲はあったのか?」
「ん……収獲と言えるほどのものはない。ただ、違和感はあった」
「違和感?」
「あの年頃の子供って、バイキングだと嬉しそうに食べそうなものじゃない?」
「好きなものに対して正直だし、いくらでも食べられるものな」
二葉がこくり頷く。
「それなのに、むしろ追い詰められてる感じがした。喜んではいるんだけど、不安に掻き立てられているような」
アイが口を挟む。
「ワシから付け加えると、最初はちびちび食べとった。嬉しそうに、それでいて戸惑いながら。しかし途中から打って変わって一気にガツガツし始めた」
目を瞑って一郎をイメージし、二人の言葉通りに行動を反復してみる。
何を言っても想像の域を出ないのだが……。
「まるで本当に食べ物がないみたいだな。だから最初はもったいないと思いながら味わって食べる。だけどいくらでも食べられるとわかるや歯止めが利かなくなった、みたいな」
二葉が同意の頷きを示す。
「そうね。持って帰りたがったくらいだし」
「持って帰りたがったぁ?」
なんだそれ。
入院中なのにどうして。
「ようやく一郎君が箸を置いたと思えば『持って帰りたい』って言い出してさ。その目がやけに切なそうだったから、店長さんに頼んでみたの」
「ふんふん」
「だけど『衛生管理の問題があるからダメ。聞いてあげたいけど、ここは病院の食堂だから』って」
当たり前だよな。
それがきっかけで食中毒でも発生したら洒落にならない。
そこはクリーチャーもプロだ。
「その後は?」
「アイちゃんを病室へしきりに誘ってたけど、この有様じゃん? だから『後で遊びに行く』って言いくるめて帰した」
「そこはまあ普通の男の子だよな。アイみたいなかわいい子見れば仲良くなりたくなって当然だし」
「兄様、照れるじゃないか」
アイの声は実に嬉しそう。
「アニキ、『幼女キラー』って名前変えれば? 院長さんと同好の士なんだし」
「同好じゃねえ! 俺は一三歳未満を女と思わん!」
「残念じゃのう」
「棒読みは止めろ! お前が好きなのは俺じゃなくて一樹だろうが!」
「その前にアイちゃんは実年齢六十歳越えてるけどね」
「そうだな……って、あれ? そういえば、どうして二葉が知ってる?」
俺からの説明は拒否したはずだが。
「アイちゃんから簡単には聞いた。戦中育ちなのと空襲で亡くなったことくらいは」
「話さんと、色々やりづらそうじゃしの」
二葉の心の負担にならない範囲で教えたってことか。
この辺りの配慮は、さすが実年齢六十歳。
「麦ちゃんのことはなんか言ってた?」
「ううん。バタバタして聞きそびれちゃった。どうせ後で来るはずだし、いいやって」
確かにな。
一郎についてはこんなところか。
さて、この場にはアイも二葉も揃った。
だったら別件で、ちょうど聞くに相応しい話がある。
「アイ、話変わるがいいか?」
「なんじゃ?」
「一樹に『芽生が処女』って教えたのはお前だろ?」
「芽生? 誰じゃそれ」
あれ?
「違うの? 長い黒髪で、泣きぼくろあって、竹久夢二の画に出てくるような──」
「そいでもって、腹黒で、詐欺師で、大嘘つきで、底意地悪くて、口も性格も悪くて、いつも男の御機嫌をとることしか考えてないコロッケ大魔神!」
「二葉!」
姿は見えずとも溜息だけが聞こえてくる。
「はあ……そんなの言われてもしるか。あとワシの返事がまずかった、名前は覚えてないが確かに調べたぞ。婦人科に忍び込んで、カルテ見て、結果を教えてやった」
「やっぱりか」
つまり、芽生が今日出雲病院に来たのは処女検診のためだ。
一樹のためなら何でもしそうな人外がいれば、謎はすぐ解ける。
幽霊使ってカルテ盗み見るなんて、どこまでろくでもないヤツだ。
「バカ一樹、死ねっ!」
二葉の拳はぷるぷる震えている。
いくら芽生が嫌いでも、この場合は女としての怒りが優先しそうだもんな。
「ただ理由はわかったが……何のためだ? 麦ちゃんを脅迫してラブドールにしたくらいだから、芽生もそうするつもりだったのか?」
「んー、兄様。それは違うと思う」
頭上から聞こえていたアイの声が、下に降りてきた。
位置からするとベッド脇に座ったらしい。
「どうして?」
「それって、ワシが『何かやらせてくれ』としつこくせがんだからなんじゃ」
「はあ?」
「ワシは『ちゅう』をするつもりだったんじゃが、一樹は困ったような顔しての。それでカルテ見てきてくれって」
さらっと、とんでもないこと言いやがった。
かわいらしいこと言ってるが、どんだけ肉食なんだ。
「それで?」
「言われた通り見てきたんじゃが、興味なさそうに『ふん、本当だったか』って」
へ?
「『本当だったか』って台詞からすると……」
「前もって知っとったんじゃよ。ワシはその確認をさせられただけ」
どういうことだ?
「アニキ、いいかな? あたしも一樹が芽生をラブドールにしようとしていたとは思えない」
いつの間にかラブドールですっかり通じてしまっているところが二人とも怖い。
「説明してくれ」
「まず芽生は一樹のタイプじゃない。むしろ正反対、昨日麦ちゃん見て確信したよ」
「麦ちゃん?」
「アニキの言った通り、頼りなげで弱々しげだった。夏に一樹が見てた『どぎまぎメモリアル』のエンディングも大人しそうなヒロインだったし、すごく腑に落ちたよ」
「ふんふん。でも、お前は違うよな?」
「院長先生みたいに、家族だと脳内変換できるんじゃない? あたしも昔は気弱で人見知りだったし。しかも一二歳以下だし」
お前は自分でそれを言って哀しくならないのか。
「確かに芽生は、欠片もそういう路線じゃないよな」
「それに一樹が芽生に興味あるなら、あたしと麦ちゃんだけじゃない。芽生をラブドールにするルートもあるはず。脅迫ネタがあるのにそうしないってことは、きっと興味自体がないんだよ」
「なるほどなあ」
「アニキがゲームをプレイした印象としてはどうなの?」
「誰に対してもふてぶてしいヤツだったからなあ。ただ芽生の方が毛嫌いしてたし、どうやってもありえたようには思えない」
リアルの芽生を知った今なら尚更だ。
脅迫されても退かないだろうし、それどころかやり返す。
仮に報復できなければ自決の道を選ぶだろう。
二葉が頷き、話をまとめにかかる。
「この話はこれくらいでいいんじゃないかな? 一樹がどうして芽生が処女かって知ってたのは気になるけど、あたし達の運命にかかわる話とも思えないし」
「そうだな……って! 芽生が婦人科行ったのを意気揚々と話してたのはお前だろうが!」
「あたしはつきとめたことを自慢したかっただけ。それとこれとは別だよ」
おまっ!
もう、いいや。
とりあえず、芽生がどうして婦人科なのかって事情は説明したし。
「兄様、ワシに何か手伝えることはないか?」
「ない」
「アニキ、他にやること思いつかない?」
「残念ながら」
「仕方ない、プリントでもやるかなあ。アニキ数学手伝ってよ」
「ワシも一郎のとこ行ってくるかのう。約束したし」
──ドアが開く。
「よお、一樹。大丈夫か?」
勢いよく現れたのは、前髪で目を隠した口元のゆるい色男。
「金之助!」「金ちゃん!」
「よお、二葉もいたのか……って、あれ?」
「どうした?」
「そのベッドに座ったかわいい女の子、誰?」
「えっ!?」
俺、二葉、アイの三人が声を揃える。
姿消してるのにどうして見える?
事情が一番わかりそうなアイすら声を上げてるし。
金之助がつかつか近寄ってくる。
あわせてアイが姿を現した。
俺達に見えない状態のままだと支障が生じると考えたのだろう。
アイも声を上げたのだから本当は事情を知りたいはず。
しかし念を送ってこない。
もしかすると、それすら聞き取られるかもと思ってるのか。
とにもかくにも異常事態。
ただ異常がゆえ、アイも気づいただろう。
この前髪を隠した男こそが「上級生」の主人公足柄金之助であると。
金之助がベッドの前で止まる。
「よお、一樹。具合はどうよ」
「ふん。明日明後日には退院できそうって話だ」
「明日明後日!? トラックに轢かれたんじゃないのかよ!」
驚いた様子からすると、若杉先生や芽生とは会っていないらしいな。
二葉が会話に加わってくる。
「金ちゃん、轢かれてはいないから。擦っただけ」
二葉の様子は普段と変わらない。
どうやら今回はフラグという名の見えざる手は働いていないらしい。
二葉自身も心配していたのだろう。
金之助に見えない形で片手を背に回し、指で「○」を作ってみせる。
この点はひとまず安心だ。
「それにしてもだな……」
金之助は心配半分、疑問半分という感じ。
それなら、こう返しておこう。
「ふん、帝王の体たる我が身。秘孔すら効かぬものがトラックごときにやられるわけないだろう」
「お前は何を言ってるんだ。それくらいの軽口叩けるなら本当に大丈夫なんだろうけどさ」
呆れ果てているが、これでいい。
実際はアイのマッサージによる超回復だから、あまり突っ込まれたいところじゃない。
二葉が後ろに回した手の親指を立てて「やったね」とジェスチャーしてくる。
嬉しいのは嬉しいが、それは別に伝えてくる必要ないと思うぞ。
何というか、酔ってるなあ。
金之助がかがんで、アイと目線を合わせる。
「お嬢ちゃん、かわいいな。名前は?」
「……アイ」
「いくつだ?」
「……十」
目の前で、「上級生」とまったく同じ会話が織りなされる。
アイは仏頂面、しかし頬は赤らんでいる。
これもゲームと同じだが、フラグか演技かはまるでわからない。
と言ってもシチュエーションはまったく違う。
ゲームと違い、俺と二葉がいる。
他者を挟んだ状況では、これ以上の会話を進めようがないだろう。
案の定だ。
金之助はアイとの会話を打ち切り、俺に問うてくる。
「んで、一樹。この子は?」
二葉が、すっとアイの肩を組む。
「あたしが連れてきたの。独りで寂しそうにしてたからさ」
さすが機転が利く。
一樹に懐いてという話だと色々ややこしくなりそうだからな。
だが、二葉。
その後ろに回した手のジェスチャーはもう要らないから。
遊んでるんだろうけど、無意味にひらひらさせるな。
「親が心配するんじゃないのか?」
「えっ、えーと……」
金之助、ピンポイントで最も聞かれたくない質問しやがって。
アイがおずおずと答える。
「父様と母様、夜まで来ないんです~。看護婦さんにも伝えてますので大丈夫です~」
舌足らずで間延びした、いかにも幼女らしい喋り。
しかし内容は大人顔負けの口からでまかせ。
このゲームのヒロイン、大嘘つきしかいないのか。
「それもそっか。考えてみれば昼間って普通は仕事だもんな」
「金ちゃんのおうちは自由業だもんね~」
納得してくれた、ありがたや。
二葉がダメ押しのフォローを入れる。
さらに俺の役目はと。
「ところで金之助、どこか体の具合は悪くないか?」
話をそらしつつ、みんなの最も興味ありそうな本題を切り出す。
「やぶからぼうになんだよ」
「帝王の目を欺けると思うな? きっと良からぬ女を指導して、逆に股をかきたくなる病気でも伝染されたのだろう」
「インキンと股ずれ一緒に起こした一樹に言われたくねえよ」
金之助は気まずそう。
もちろんわざと言っている、二葉に手を出させない牽制の意を込めて。
「俺のも夏休み中ひたすら指導に励んだ成果、金之助と同じだ」
「一緒にするな──痛っ!」
ん?
勢い余って拳を握ったと思ったら、すぐに広げた。
そして、左手を突きだしてくる。
「具合悪いっちゃ悪いかもな」
覗き込んでみる。
人差し指と中指の間がズルむけている。
マメができて潰れた感じだが、随分と変なところだな。
「金ちゃん、これどうしたの?」
「ゲーセン……ってか桜木商店でずっと初代パーチャの特訓やってたんだよ。こないだ一樹と対戦してボロ負け食らったからさ」
アイの肩がぴくりと動く。
自らの苗字を聞いたせいだろう。
金之助としては二葉相手だから店の名前を言い出したのだろうが。
天然でヒロインの注意を振り向けさせる能力は恐ろしいとしか言いようがない。
というか、確かにケガはケガだが……ジョイスティックでマメを潰しただけだろう。
金之助だと、この程度のケガでアイが見えてしまうのか。
健康優良児な二葉はまだしも、間違いなく怪我人の俺すら見えない状態だったのに。
なんてすさまじい主人公補正なんだ。
二葉が会話を続けていく。
「ところで金ちゃんも学校で聞いたの?」
「ああ、テレビの全校放送やったとかでさ。学校中が一樹の話題で持ちきりだったよ」
「そんなに?」
「あれ? 驚いた様子ないな。全校放送知ってたの?」
「芽生が見舞いに来て教えてくれた」
「芽生があ? またどうして一樹の見舞いに?」
まずはそこからか。
昨日の今日だし、知らなくても無理はあるまい。
「あの子、写真部入ったからさ──」
二葉が言葉を続けかけるも、打ち切った。
金之助の反応を見てみたくなったのだろう。
そして、狙いは当たった。
「弟のためなのかな? 外の景色見せてやりたいとか」
「はあああああああああああああああ?」




