105 1994/12/01 Thu 出雲病院食堂:んー、ふわっとろっ!
あー食った食った。
こんにゃくばかりなのにお腹が満たされてしまった。
二葉がデザートとコーヒーを運んでくる。
自らの前にはケーキ、俺にはこんにゃくゼリー。
「豆乳クリームを使ったシフォンだって」
二葉がフォークをシフォンに差し入れる──手が止まった。
フォークはちょうどクリームの厚みだけ入ったくらいの位置。
「これすごい。スポンジの弾力がすごくて、フォーク押し返される」
「そっか」
そもそもケーキなんて誕生日とクリスマスしか食べないからわからない。
二葉は何回かフォークを入れては手が止まる。
苦笑いしているように見えるが、一方でいらだちながらも楽しんでいるような。
手の動きがゆっくりになる。
フォークがケーキを割いていく。
突き刺して、ぱくり一口。
「んー、ふわっとろっ!」
「そっか」
二葉が頬を膨らます。
「もう、感動ないなあ」
「そういう台詞は俺の前のこんにゃくゼリーをどうにかしてから言ってくれ」
しかも味は単なる人工甘味料。
まずくはないけど、感嘆するほど美味しいわけでもない。
二葉がケーキの皿を差し出してきた。
「一口食べていいよ」
手前に寄せ、フォークを──あれっ?
「ね? ばゆんばゆんしてるでしょ?」
お前が作ったわけじゃないのにドヤ顔すんなよ。
というか「ばゆんばゆん」ってなんだよ、そんな日本語ねーよ。
一見して論理的でも根っこは感覚人間なのがよくわかる。
二葉を真似て、そろーっとフォークを差し入れる──入った。
ゆっくりゆっくり下ろしていく、ぱくり。
「ふわーっ!」
「ね? すごいでしょ?」
こりゃ驚いた。
口の中に入れたクリームは、まるで空気を食べてるよう。
スポンジはあっという間に溶けて舌の上を流れていく。
まさにふわとろ。
食感重視で甘味を抑えてるから、男の俺でもするする口に入っていく。
もう、こんなケーキ食べたことがない。
「どうやって作ってるのかなあ?」
「知りたい?」
「うああああああああああああ!」
目の前に顔を突き出したのはクリーチャー、もとい店長子だった。
「あたしみたいな美人つかまえて失礼ね」
「いいからキスしてしまいそうな距離から、顔を離せ!」
というか、スキンヘッドのいかついヒゲ顔を近づけるな!
「あたしならいいのよ?」
「目を瞑るな!」
はあはあ……ったく、クリーチャーといい、院長といい。
ギャルゲーどころか、これじゃマゾゲー世界じゃないか。
普通どアップにするのはヒロインのキス顔だろうが。
二葉が不思議そうに問う。
「どうして店長さんがここに?」
「あたしがここの責任者なの。オーマイゴッドは兄の代理で、正職はこっち」
「ああ……でも、納得しました。だから、どれもこれもこんなに美味しいんですね」
「あらやだ、お姉さん照れちゃう」
お姉さんじゃねえよ。
「でも、どうして店長さんがここに?」
同じ質問を繰り返す二葉に、店長が憮然とする。
「今、答えたじゃない」
「いえ、そうじゃなくて。店長さんほどの調理の腕があれば、どこの一流レストランだって働けるじゃないですか」
「桜……じゃなかった、若杉先生に頼まれたの」
「若杉先生に? あ、『桜』でいいですよ。院長先生から聞きましたから」
店長が頷いてから、二葉に答える。
「桜とあたしって出雲学園時代の同級生なんだ」
「へ?」「は?」
兄妹揃ってすっとんきょうな声をあげてしまった。
若杉先生と性別が同じにも見えないが、年齢が同じにも見えない。
店長の外見と貫禄は、明らかに四〇歳を超えている。
しかし店長はスルーして続ける。
「確かに高級レストランからの誘いはいっぱい来たし、世界各国で働いてきたわ。でも、こんな美貌に生まれついてしまったせいで、どこに行っても男性コック達がみんなあたしを避けちゃって──」
美貌じゃねえよ。
どう考えても怖いかキモいかで避けたんじゃないか。
「──それでどこもすぐ辞めることになって、失意で日本に帰ってきたのね。そうしたら桜が『よかったら出雲病院で責任者やってくれないか』って。他ならぬ桜の頼みだし、あたしも無職じゃいられないし、ってことで二つ返事で受けたわけ」
なるほどなあ。
この台詞からは、若杉先生が同級生からも人望があったことがわかる。
あの人格ならもちろんだろうけど、改めて感心させられる。
そして、若杉先生が「けろさんど」をわざわざ作ってもらえた理由もわかった。
本当に「特別」だったんだ。
──そうだ。
「店長、お願いがあるのですが」
「キス?」
店長が目を瞑って唇を突き出した。
「違うから!」
「誰にでもってわけじゃないのに」
ごめん、全然嬉しくない。
むしろ一樹に向かってその台詞言うなんて、あなたは目までもが壊れてる。
そんなことはどうでもいい、本題を切りだそう。
「けろさんど再販してもらえませんか?」
「今朝、桜に頼まれたときも思ったけど……あなたも物好きね」
おまっ!
「勘違いです! というか、自分で『物好き』なんて言うもの作らないでください!」
「あれを発案したのは兄よ。でも、だったらどうして?」
「えっと……緑色の髪した、すっごく怖そうな、背の高い女の子が、今日オーマイゴッドに『けろさんど』買いに来ませんでした?」
「来たわね。レジに頭すりつけてまで『けろさんど売ってくれ』って頼んできたけど断ったわ。販売中止にした以上、商売人として一人を特別扱いするわけにいかないし」
龍舞さん、そこまでしたのか。
「そこをあえて彼女のために」
ここまでで考えたこと。
龍舞さんは確かにフラグに関係ないけど、かなりの不安定要素だ。
何をしでかすかわからないからコントロールできる術があった方がいい。
龍舞さんの弱点は「けろさんど」、だったら何としても復活させねば。
しかし店長はにべもない。
「イヤよ。『げろさんど』の売行き絶好調なのに、利益の薄い『けろさんど』再販する意味なんてないもの」
もっともだけど引き下がるものか、額をテーブルに擦りつける。
「何卒どうか! クリスマスまででいいですから!」
「なぜクリスマス?」
あっ、しまった……。
二葉が横から口を挟む。
「アニキはクリスマスを店長さんと過ごしたいんですって」
お前は何を言う!
店長が頬を赤らめる。
「あ、あたしと……クリスマス?」
二葉がこくこく頷く。
「先日お会いして以来、ずっとアニキがうるさくて。『店長さんのヒゲは俺のジャスティス!』とか『あんな人と一緒にクリスマス過ごせたら最高だろうな』とか」
お……お前……。
「あ、あら……そこまで言ってくれるなんて……あたしももちろん……」
ヒゲを撫でるな!
「でもアニキのクリスマスは、妹のあたしと過ごすことが渡会家の慣例なんです。だから二六日ということになっちゃいますけど」
「あたしもクリスマスはケーキ作らないといけないしね。わかったわ、それじゃ愛するダーリンのために、二五日までけろさんど作ってあげる」
「ダーリンじゃねえ!」
「うふ、照れなくていいのよ。じゃああたしは仕事あるからいくわね、ちゅっ!」
「投げキス飛ばすなああああああああああああああああ!」
しかし店長は構わず去って行った。
というか!
「二葉! なんてことしてくれるんだ!」
「店長さんと結ばれれば未来も変わるんじゃないかって」
「まるで感情の篭もらない棒読みで、もっともらしく言うな!」
そもそも店長はヒロインじゃねえ!
あんなクリーチャーと結ばれたところで未来なんて変わるか!
その前に自ら消滅選んでやるわ!
「あたしは本気で協力したつもりですけど! 龍舞さんをコントロールできるかもなんだから、アニキにとっても望むところじゃない!」
「芽生の口真似するな!」
「ちゃんと二六日に設定してあげたんだからいいじゃない。生き延びれば麦ちゃんと結ばれてるはずだし。そうじゃなければ消滅してるんだし」
こいつ、最悪すぎる。
「俺が消滅すれば一樹が戻ってくるだろ」
「その時はくっついてもらう。店長さんが捕縛しておいてくれるなら、あたしの貞操も出雲町の平和も守られるってものよ」
「人でなし!」
「ありがとう」
チアリーダースマイルでびくともしねえ。
ま、二葉の言う通り、俺はどうせ二六日にはこの世界から消えている。
俺に実害はないからいいや。
一樹よ。
己の不幸は、ろくでもない妹を持った我が身を恨め。
──二葉の皿が空になり、ふわっとろな時間が終わる。
「アニキ、行こっか」
「うん……ん? あれは?」
「どうしたの……あれ?」
俺と二葉の目線の先。
そこでは一郎が、がつがつと料理を頬張っていた。
そして、その前に座っているのはアイだった。
一郎の前にはずらりと料理。
ハンバーグにローストチキンにエビチリにカレーに。
いかにも子供の好きそうなばかり。
小学生だから当たり前だけど、そんな一度に並べなくても。
二葉がぼそっと話しかけてくる。
「バイキングなんだから少しずつとってくればいいのにね」
おまいう!
さっき「豊胸に効く料理」をいっぺんにとってきたのはどこの誰だ。
でも口にしたところで「オマイウ?」と妙なイントネーションの答えが返ってくるだけ。
この時代にはまだないスラングだし、普通に返しておこう。
「そうだな」
一方、アイは苦笑いを浮かべている。
目の前の料理は白飯に焼き魚に冷や奴に卵焼きと、やたら和風で質素。
「アイちゃんも、もっと食べなよ。おいしいよ」
「う、うん……そうだね……」
なんて鼻にかかった甘えた声。
これこそ「上級生」に出てきたアイなのだが、あえて言う。
お前はどこから、そんな声を出している。
(大きなお世話じゃ)
(うあっ! な、なんで? 念じた覚えないぞ?)
(何を思っていたか知らんが、「あえて言う」から聞こえた。それが念として届いたんじゃろ)
恐ろしい。
迂闊に変なこと考えられないな。
(で、どうして一郎と?)
(レントゲン室の待合場で患者用のマンガ読んでたらナンパされた。「君も病気なの?」って)
(つまり、たまたま?)
(そういうこと。ワシも暇じゃし、兄様もばたばたしとるしで付き合ってみたんだが……見た通り、えらい目にあっとる)
(えらい目って一緒に食べてるだけだろ? というか、幽霊って食事できるのか?)
ゲームの中でも金之助のあげたお菓子は食べてたが。
現実で幽霊となると、さすがに疑問が湧く。
(味はしない。エクトプラズムで形だけの胃袋作って放りこんどるだけ。おかげで霊力どんどん消費する)
(ひぃ! そこまでしなくてもいいだろ!)
(だって……「食べろ」と言ってくれた人に悪いじゃないか……)
ああ、どこかしっくりくる台詞。
なんかアイっぽい。
(でも、ここは食べ放題のバイキング。別に気遣わなくても)
(ワシもそう思うのじゃが……一郎を見ろ。何かとりつかれたように食べまくってるじゃろ? 生きとった頃のことを思い出して、つい運ばれるままに付き合ってしまった)
(生きとった頃?)
(一郎は本当に現代の子供か?)
(子供ってこんなものだろ。並んでる料理だって、いかにも今時の子供の好きそうなもの。アイの前に並んだ料理の方がよっぽど違和感あるぞ)
白飯に味噌汁に卵焼きに冷奴って、まるで普段の朝食じゃないか。
(ワシにはこれが一番御馳走って実感できるから。せめて気分だけでも浸ろうと)
地雷を踏んでしまった。
(ごめん)
(どうでもいい。一郎の食べ方をみろ。まるで戦時中のワシみたく飢えとるように見える。今食べないと二度と食べられないみたいな)
(そうか? 子供ってがっつくものだろ)
(お前が傍に立ってるのも気づいてないんじゃぞ?)
言われてみれば確かに。
いつもなら「クサイお兄ちゃん、こんにちは」とでも挨拶してきそうなものだ。
事故の時すら、あんな離れたところから駆け寄ってきたくらい。
これだけ近くにいれば気づくだろう。
しかし一郎の視線は料理に向けられたまま。
手の動きは止まることなく、ただひたすら口と皿の間を往復している。
いくら名コックなクリーチャーの料理とはいえ、この様子はさすがにおかしい。
「一郎、こんにちは」
声を掛ける。
しかし一郎の様子は変わらない。
続けて二葉が声を掛ける。
「一郎君、こんにちは」
やっぱり反応がない。
二葉は口の端を少し歪め、苦々しげ。
挨拶を返さない一郎にイラッとしたのだろう。
こいつ体育会系だし、短気だし。
「アニキ、いいよね?」
頷くと、今度は大声を張り上げた。
「一郎くん!」
「ふわっ! はんは、ふはいほひいひゃんひゃん《なんだ、クサイお兄ちゃんじゃん》」
二葉がいつものチアリーダースマイルを浮かべる。
「口に物を入れて喋らないの、そしてまずは『こんにちは』でしょ」
「こんにちは、お兄ちゃんみたいなお姉ちゃん」
一郎が憮然として返す。
お説教にイラついたのか、それとも食事の邪魔をされてなのか。
「あたしはお兄ちゃんじゃない!」
そして子供達にからかわれた昨朝とまったく同じ反応。
叫ぶのは大人げなくも思うが、それ以上に哀れだ。
「クサイお兄ちゃん、こんにちは」
一郎は素っ気なくそれだけ言うと、再び食事へ向き直った。
そして再び料理をガツガツと食べ始める。
完全にいつもと違う。
もう明らかにおかしい。
まるで昔話に出てきた地獄の餓鬼がとりついてる。
そんな感じだ。
このまま立っていても仕方ないな。
立ち去る前に、アイに確認しておこう。
(一郎のお姉さんは傍にいなかったか?)
(わしが会ったときは一人じゃった。金髪の黒いスーツ着た女が来たくらいじゃの)
ということは、来ていないのか。
A組だったらいくらでも時間的都合はつくだろうに。
麦ちゃんには麦ちゃんの事情があるだろうけど、同じA組の二葉がここにいるだけに冷たく思える。
(んじゃ、俺達は行くわ)
(ワシを見捨てるのか……)
(見捨てるも何も、好きで付き合ってるんだろうが)
(うるさい! せめて小娘を置いていってくれ)
(二葉を?)
(一樹が「妹は呆れるほどの大食いで『ブラックホールストマック』なんだ。小さい頃はいつも俺のお菓子を分け与えていたものだよ」と言うとった。ワシの代わりに、これを食ってくれ)
一樹、お前はどうして昔の美談までもぶち壊しにする。
捻くれてるというか照れ屋だから仕方ないんだろうけど。
仕方ないなあ。
二葉に「小さい頃云々」は端折って事情を説明する。
「なんであたしがアイちゃんのために……食べ終わったら病室戻るわ」
ぶつくさ言いながらも椅子へ向かう。
この辺りもまた二葉らしい。
「よろしく」
「ついでに色々観察しとくよ」




