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101 1994/12/01 Thu 一樹の病室:『まとも』。

 湯飲み半分ほどに入れられたお茶をずずっと啜る。

 喉に、じゅんじゅんと心地良い熱気が染み渡る。


「はあ、極楽」


 室内に暖房が効いているせいか、部屋は乾燥気味。

 喉はすっかりからからだったし。

 コロッケの油分も口の中に残ってたし。


 ん? 二葉が頭を下げてきた。


「父さんの件、不快な思いさせて本当にごめん」


「ああ、別にいいよ」


「まさか、職場でまであんな風だとは……本当に恥ずかしい……」


 それが常人の当たり前な感覚だよなあ。


「気にするな。キャリア様ってのはあんなものだ」


 これで慰めになってるとも思わないが。


「そうなの? それはそれで、国民として鬱になるんですが」


「みんながみんなじゃないよ。正確に言えば『内調に来るキャリア様の一部は』だな。このことがちょっと引っ掛かってさ」


「どういう意味?」


 役所の仕組を詳しく話しても仕方ない。

 できるだけざっくり説明しよう。


「まずさ、内調って『警察庁の植民地』って言われてるんだ。『日本のCIA』とか言われてるけど、実態としては警察庁の下部機関なわけ」


「ふんふん」


「で、役所というのはどこもそうなんだけど、出世コースに乗ってる人は基本的に本省や本庁から出ることがない」


 と言うか、出せない。

 仕事が回らなくなるので。


「つまり『内調に来るキャリア様』は出世コースから外れた人ってわけね」


「トップの室長を除いてな。ただ外れたといっても警察庁長官だの警視総監だのの目はなくなったってだけの話だけど」


「そういうの外れたっていうの?」


「あの人達にとってはそうらしい。勝ち続けてきた分、トップにしか興味ないらしいから」


 そういう人達だからこそ、激しい競争を戦い続けることができたのかもだけど。

 そこはどっちでもいい。


「なんか贅沢言ってるねえ」


「そこなんだよ。負けた現実は認められない。しかし一般人からすれば雲の上のポストにいることは変わりなく、エリートと呼ばれるに相応しいことは変わりない」


「つまり出雲学園の男子達と同じか。上を諦めるしかなくなったら下を見るようになっちゃうわけね。プライド保つために」


「そそ、それで人格が歪んでしまう人もいる」


「つまりまとめると、父さんは出世コースから外れて人の心をなくしちゃったわけか」


 二葉は実に淡々とした口調。

 父親の職場での状況など、心底どうでもいいのだろう。


「正確には外れかけてる、だろうな。まだ挽回が効く位置にはいるんだと思う。だからこそ、今日みたいなスタンドプレイだってするわけでさ」


 はあ、と大きな溜息が聞こえる。


「養ってもらってる身としては文句言えないけどさ。あんな人格異常者が挽回なんてしたら日本の警察は終わりでしょ」


「そこだ。父さんって、昔はあそこまでひどくなかったんじゃないか? 二人に写真教えたってくらいだし」


 今日の父さんを見ると、とてもじゃないがそんな光景は思い浮かばない。 

 二葉にムリヤリ英才教育を施したりとかはあるが、そこはまだ「教育方針」で説明がつくだろう。


 

 二葉が腕を組みつつ、天を見上げる。


「そうね、今よりはまだバランス取れてた。母さんだって『昔はあんな人じゃなかったのよ~』って言うくらいだし」


「昔?」


「二人って大学時代からの恋人同士で、卒業してすぐの結婚だから」


「恋愛結婚なの?」


 ものすごく意外なんだが。

 あんな冷たそうな男が恋愛?


「母さんは普通の家の人だし。あの父さんなら、恋愛じゃなければそんな人と結婚しないでしょ」


「『普通』ってのは、総理大臣ではない普通の国会議員というオチじゃないだろうな?」


 この世界に来て、これまで何度騙されてきたことか。


「本当に誰が見ても普通のサラリーマン家庭だと思うよ。もちろん実はサラリーマンでも雇われ社長とか、そういうオチもない。資産もないわけじゃないけどそこそこ」


「ふむ」


「学歴については一族みんなT大卒じゃあるけど……今回の話においては『普通』の範疇と言えるんじゃないかな?」


 世間一般からすればエリート一族とは言えるんだろうけど。

 二葉はそう言外に滲ませる。


「続けて聞きたいんだけど……母さんはまともな人なの?」


「『まとも』。母さんが一樹を避けるのは明らかに一樹が悪いもの」


「そうだなあ」


 「ドラゴンマダム」なんてタイトルのエロ漫画を目にすれば……。

 人妻モノか熟女モノか母親モノかは知らないけど、母親としては立ち直れなくなるくらいに衝撃的な代物なはず。

 叱るにしても叱りづらいだろうし。


「母さんだって最初は躾けようとしてた。食事のマナーとか、お風呂とか。でも、ついに諦めちゃった」


「そうだなあ」


 誰の言うことも耳貸さないのは、もう身に染みてわかったし。


「それでもやっぱ、あたしと同じ。本心では心配してるよ」


「そうだなあ」


 肉親ならそれが普通だろう。


「ただ、これもあたしと同じで、どうすればいいかわかんないってのが今の母さんだと思う」


「そうだなあ……」


 あれはもう、肉親でも理解不能だと思う。

 ただ一樹についてはいいとしてだ。


「お前の小さい頃のムリヤリな英才教育とか、普通におかしいと思うんだが止めなかったわけ?」


「ああ、そこはね。母さんも感覚おかしいから」


「どういうこと?」


「母さんって天然っていうか、自覚無く努力できちゃうタイプなんだ。大学時代の成績も父さんよりよかったし、あたし以上に語学操れるし。だからムリヤリ勉強させられるあたしを見ても、至極普通の光景に映ってたみたい」


 おい。


「やっぱ普通じゃねえよ!」


 二葉もそういった意味で天然なところはあるが、明らかに親譲りじゃないか。

 というか、親はその上を行ってるじゃないか。


「まあ、あたしも泣き言言わない……というか言えなかったし。でも大きくなっておかしいって気づいて。母さんに話したら『そうだったのね~、ごめんなさい~』って」


 二葉は溜息交じりの呆れた口調。

 もう諦観してしまっているのだろう。


「本物の天然じゃないか」


「天然というか、おっとりした人かな。ただ話せばわかってくれるから、そこが耳すら貸さない父さんとは全然違う」


 俺には華小路級の宇宙人に聞こえるんだが。

 まあ、会ったことあるわけじゃないしな。


「一樹に対する父さんを止めようとはしなかったの?」


「してたけど、あの父さんが従うと思う? それに父さんも全部が間違ったこと言ってるわけじゃないから、止めづらい面もあるし。かと言って一樹を下手に慰めようものなら、付け上がるのもわかってるし」


「八方ふさがりだなあ」


 俺が母さんでも、どうしていいか全くわからん。

 例え教育放棄と罵られようと、そうするしかない気がする。


「だからこそ母さんは今回の話を聞いて喜んだわけよ。誰が聞いても善行だもの」


「それなら母さんには明日明後日で退院できるって伝えた方がよくないか? 母さんだけでも見舞いに来る可能性あるだろ」


「確かにそうだね、電話してくるから待ってて」


 二葉が病室から出て行く。

 さて、冷めないうちに残ったお茶を飲み干そう。


              ※※※


 うーん? 二葉がなかなか帰ってこない。


「ただいま~」


 ようやく戻ってきた。


「おかえ……り?」


「御客様連れてきたよ~」


 二葉が隣の人物を見上げる。

 そこには仁王立ちする仏頂面した女子。

 というか……どうしてこの人がここに?


Bonjourよお


 どこからどう引っ繰り返しても、こんなシチュエーション思いつかないんだが。

 なぜ、龍舞さんがここにいる?


 龍舞さんがつかつかと歩み寄ってくる。

 口にくわえているのは体育館裏と同じくシガレットチョコか。


 立ち止まった。

 相変わらずの冷たい目で睨んでくる。


「Comment vas-tu?《具合はどうだ?》」


「あ、ああ……まあ……」


 さすがにこれくらいのフランス語はわかる。

 と言っても、呆気にとられすぎて、日本語ですら答えが出てこない。


「ふーん」


 龍舞さんは龍舞さんで、顔色一つ変えずそう言ってみせるだけ。

 単なる社交辞令であって、俺の答えに最初から興味はなかったのだろう。

 というか、何しに来たんだ?


「龍舞さんもテレビ観たの?」


「テレビ? なんだ、それ?」


「俺の事故について、学園中でテレビ放送したって話だけど」


「まだ学校行ってないから知らない。キサマが子供を助けて事故に遭ったということすら、ついさっき妹に聞いて知ったばかりだ」


 とりあえず、俺の見舞いに来たというわけじゃないんだな。


「じゃあどうして出雲病院に?」


「先輩がここでナースやってて、用事があって会いに来た」


 わかりやすいが、なんという愛想のない答え。


「じゃあどうして病室に?」


「ロビー彷徨いてたら妹と会って、『アニキが事故に遭ったから見舞いに来てくれ』って」


「うん」


 と頷いてみせるも、なぜわざわざ?


「まあキサマの主である以上、見舞うのは構わない」


「ありがと」


De rien(どういたしまして) ただ返事をする前に腕を掴まれ、ムリヤリ引き摺られてきた」


 なんだそりゃ?


「あたしは……ただ……龍舞さんのことをもっと知りたくて」


 なんという芽生ばりのあざとさ。

 いったい何を企んでいる?


 しかし龍舞さんの答えは非情だった。


「アタシは別に妹のことを知りたくない」


「だ・か・ら、まずは名前から知ってよ。あたしには『二葉』という名前があるんだから!」


「だから妹は妹だろう」


 こないだの会話から何一つ進んじゃいない。


「ほら、内部生と外部生の溝を埋めるとかさ」


「アタシはそんなの全然興味ない。妹と芽生が張り合うのも勝手にやってればいい」


 取りつくシマもない。

 二葉がまるで駄々っ子のように叫ぶ。


「もう! 細かい理屈は抜きにしてさ、あたしは龍舞さんと友達になりたいって言ってるの! 何か文句ある!」


 しかし龍舞さんは眉一つ動かさない。


「ある。アタシが大人しく引き摺られてきたのも、妹に話があったからだ」


「あたしに話?」


 龍舞さんがポケットから紙切れを取りだし、二葉につきつける。


「キサマの常識では、こういう手紙を寄越すことを『友達になりたい』と言うのか?」


「えっと、


【あたしの忠実たる下僕の芽生へ

 このノートを

 あのワカメみたいな緑色の髪した

 食べ物の好き嫌い激しい

 見た目からして冷血単純な

 似非フランス人のヤンキー女に渡しておいて】


 …………」


「頭の悪いアタシでも、これがどれくらい全開にケンカ売ってるかわかるつもりだが?」


 二葉が、それこそ全開で叫んだ。


「これ、あたしが書いたんじゃない!」


「芽生は『妹から受け取った』って言ってたぞ」


「違う! あたしが書いたのは『ヤンキー女』だけだ!」


「ほお、『ヤンキー女』とは書いたんだな?」


 二葉が「しまった」と口を抑える。

 そして、しおらしげに頭を垂れた。


「えと……あの……龍舞さん、ごめんなさい。昨日の学食のことがあったんで、つい」


 龍舞さんが「ふっ」と笑う。


「昨日のはお互い様だから構わない」


 なんてあっさりな流し方。

 二葉が顔を上げる。


「ありがとう」


「どうせそんなこったろうと思ったしな」


「どういうこと?」


「芽生が妹の字を真似て書き加えたんだろ。アイツならそのくらい平気でするから」


 二葉の肩がわなわな震える。


「め・いぃぃぃぃぃ……」


 あんた、芽生のこと「信じられるヤツ」って言ってたよな。

 そういう人間を信じろというのか。


 というか、本気で怖い。

 女の嫌な面を出しまくりじゃないか。

 二葉も二葉だが、芽生も大概だ。


 龍舞さんがこちらを向く。


「というわけで、悪いが見舞いの品は持ってきていない」


「あ、いや……お構いなく」


「代わりに、これやる──」


 ベッドの上に四角い小箱が放られる。

 今咥えているシガレットチョコか。


「──食べかけで悪いが、口休めくらいにはなるだろ」


 見舞いとしてはどうかと思うが、悪気はなさそう。

 龍舞さんって、妙に律儀なところがあるんだな。


「ありがと。あと、こんな状態だからノートは書けないぞ」


 龍舞さんが間を置いてから答えた。


「……わかった。入院中はいい」


 なんか嫌な間だなあ。

 気にしすぎか?


「じゃあアタシはこれで」


 龍舞さんが背を向けて立ち去ろうとする──も、二葉が腕を掴んだ。


「待った!」

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