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100 1994/12/01 Thu 一樹の病室:アキラを知る身としては、イジメとしてやらせてるとは思えない

 言われるまま紙袋を開く。

 ツンと鼻をつく、揚げ物の香り。

 これは……中身を見ずともわかる。


「コロッケ?」


「うん、昨日話したお肉屋さんの。是非食べてもらおうと思って買ってきたんだ」


「それは嬉しいな」


 芽生を、それこそ隷従と呼べるくらい虜にしてしまったコロッケ。

 どんなものか食してみたかったし。

 この流れだと、更なる「けろさんど」かもと思ったし。


「ふふ」


「でも、どうして芽生までそんなに嬉しそうなんだよ」


「一樹君には、私の好きな物を知っておいてほしいの」


 だあっ!

 これ以上惑わされてたまるか!

 とにかく口に入れよう。


 紙袋の中には包みが三つ。

 白、黄色、赤色で色分けされている。


 まずは白いのから。


 包みを解いて、ぱくっと一口。

 さくっとした感触とともに、歯がタネへ突き刺さる。

 揚げ物につきものの、胸を突く油の刺激も無い。

 これは紛れもなく揚げたてだ。


 口の中に広がる味は紛れもなくじゃがいも。

 ふんわりほくほく、ふんわりほくほく。

 舌の上でころころと転がるアクセントはひき肉だな。


 つまり……何の変哲もない普通のコロッケ。

 付け加えるなら、普通の「肉屋の」「揚げたての」コロッケ。

 ああ、でも、ただのコロッケなのに、どうしてこうも惹かれるのか。


 黄色はカボチャ、赤はカニクリームコロッケ。

 あっという間に三つとも平らげてしまった。


 気づくと、芽生が微笑みながら見つめている。

 感想を待っているのだろう。

 なら告げよう。

 もう、このコロッケに与える形容はただ一つだ。


「美味いな」


「でしょう?」


「陳腐な形容で悪いけど、これは本当に美味しい。お肉屋さんのコロッケというのは、どうしてこうも美味しいのか」


「新鮮な油を使ってるからという説が有力ね。上質の肉を使ってるからという説もあるけど、それだと野菜だけのコロッケやカニクリームコロッケの美味しい理由が説明できないし」


 質問したつもりじゃなかったのに即答されてしまった。

 それもやたら具体的な説明。

 こんなの聞かされても、


「へえ……」


 としか答えようがないじゃないか。

 しかし芽生は御機嫌なのか、勝手に話題をつなげていく。


「そうそう、このコロッケはアキラも美味しいって言ってくれたのよ」


「龍舞さん?」


「『さすがはフランスに起源を持つだけあるな』とかなんとか──」


 ものすごくどうでもいい。


「──コロッケの起源はフランスというのは俗説で、実際にはイギリスにイタリアにオランダにと諸説あるんだけどね」


 それもものすごくどうでもいい。


 というか、どうしてそんなことを知っている。

 ああ、まるでコロッケ博士。

 芽生のキャラが理解できなくなってきた。


 と言っても、それは二葉についても同じ。

 ゲームの裏には色んな顔があるってことだな。

 それがきっと現実なんだ。


 芽生が「あっ」と小さく口を開け、二葉に顔を向ける。


「アキラで思い出した。昨日頼まれたノートはちゃんと渡しておいたわよ」


「ありがとう」


 礼を伝える二葉は仏頂面。

 全然感謝しているように見えない。


「わたしの授業を邪魔してまで頼んだのだから、もう少し殊勝な態度をとってみてはいかが?」


「殊勝も何も、そもそも龍舞さんがアニキをイジメてるんじゃない。おかげであたしまで毎晩毎晩ワープロ打つ羽目になってるんですけど」


 あっ!


「二葉!」


「はっ!」


 二葉も「しまった!」と口を抑えた。


 ノートはあくまで俺一人で作っていることになっている。

 また龍舞さんにそのことを話したとき、芽生もその場にいた。

 芽生なら当然、今の台詞が俺達にとって都合の悪いものであることを察しただろう。

 もし龍舞さんの耳に入ったらどうなるか。


 しかし芽生はふっと嗤う。


「今のは聞かなかったことにしておくわ」


 意外な答えに問い返す。


「いいのか?」


「今のわたしは『一樹部長さま』に仕える騎士ナイトの身。あるじを裏切ることはできないから」


 随分と大仰というか、茶化しているというか。

 まあ、何でもいい。


「助かるよ」


 芽生がちろっと二葉へ目を向ける。


「それに、これで『二葉副部長』に貸しができたしね」


「ちっ」


 「さま」を抜いた明らかなあてつけに、二葉が舌を鳴らす。


 でも、これで二葉の理不尽な芽生いじめも止むだろう。

 いくら犬猿の仲と言っても、行き過ぎは周囲が不快になる。

 せめて対等の条件で喧嘩してくれ。


 二葉が神妙な面持ちで芽生を見る。


「ねえ、芽生。ちょっと真面目に聞いていいかな?」


「わたしに答えられることなら」


「芽生って龍舞さんに授業のノート貸してるんだよね?」


「そうだけど?」


「それなのに、どうしてアニキにノートとらせてるの?」


 さすが二葉。

 失敗を失敗に終わらせず、開き直って今後につなげたか。

 この流れなら単刀直入に問うてもおかしくない。


「さあ? アキラからは何も聞いてないし、話す子でもないし。わたしも話を聞きながら『どういうこと?』って思ったのが隠さないところよ。ただ……」


「ただ?」


「アキラを知る身としては、イジメとしてやらせてるとは思えない」


 へっ!?

 二葉が目を見開きながら問い返す。


「どういうこと?」


「そこまでは。何か彼女なりの理由や事情があるとしか」


「ふーん……」


「腑に落ちなさそうね」


「当然でしょ。もったいつけて出てくる台詞がそれ?」


 芽生の言葉は憶測にすぎない。

 まるで説明になってないからな。


「失敬。では、これでどう?」


「ん?」


「アキラは単純だから先に手が出る。一樹君が気に入らないならノートをとらせるなんて回りくどい真似するより、殴る蹴るのサンドバックにしてるんじゃないかしら」


 おい。


「そう言われると、確かに引っ掛かるくらいのものはある。龍舞さんのことをよく知らないあたしでも、イメージ的にはそんな感じだし」


 芽生がくすりと笑う。


「もちろん、わたしからアキラに止めるよう口添えしてもいい。でもそうしたところで、きっと『うるさい』とか『口出すな』で終わるのがオチよ」


「もうホントに見た目通りじゃない」


「でもアキラって見かけで誤解されやすいけど信用できる子よ。もしよかったら、もう少し様子を見てくれないかしら?」


 と言われても、二葉は「うん」と言えまい。

 代わりに答える。


「わかった、そうするよ」


 信用できる、龍舞さんの側も同じ事を言っていた。

 そして現にいま、目の前の芽生は信用できる存在となっている。

 だったら龍舞さんのことを信じてみるのも悪くはあるまい。


「ありがとう──」


 芽生が手にしていた、もう一つの紙袋を掲げる。


「──さて。話が終わったところで、わたしもつまませてもらいましょうか」


 自分の分のコロッケも買ってきてたのか。

 芽生は紙袋から包みを取り出し、封を開ける。


「ちょっと待った!」


 ん? 二葉?


 儀式の邪魔をされた芽生が、不機嫌そうに問い返す。


「どうしたの?」


「この流れなら、普通は『二葉さんの分もあるわよ』じゃないの?」


「どうしてわたしが健康優良児全開なあなたにお見舞い買ってこないといけないわけ?」


 至極当たり前の台詞に聞こえる。

 しかしきっと、この場合の「健康優良児全開」の意味は「大嫌い」だ。


「付添いの家族の分まで用意するのが、お見舞いのマナーでしょう」


「むしろ二葉さんがいたら、目の前で思い切り美味しそうに食べてあげようと思ってたわ。それより、二葉さんがそんなにコロッケ大好きだとは思わなかったけど」


「だってアニキがあまりにも美味しそうに食べるから……どんな味なのかなって思って。だから、それ食べさせてよ」


「嫌よ。これ、お肉屋さんのおばさまに無理言って特注で作ってもらった品なのに」


 特注のコロッケって……どんなのだ?


「全部とは言わないから、せめて一口!」


 二葉、お前にはプライドがないのか。

 そうせざるをえないくらい、俺が幸せそうに食べてたということなんだろうけど。


 ──芽生がコロッケを二葉に差し出す。


「全部あげるわ」


「はい?」


 意外な反応に二葉が目を見開く。

 しかしその手は、コロッケをしっかり奪い取っていた。


 芽生が茶目っ気まじりに、ぺろっと舌を出す。


「昨日いじめられた仕返ししただけよ。これは最初から二葉さんのために作ってもらってきたもの。タネには二葉さんの好きな物を入れてあるわ」


「わたし、芽生に好きな物の話なんてしたおぼえないけど……」


「『強敵』と書いて『とも』と呼ぶでしょ? 普段張り合ってるからこそわかるものもあるということよ」


 その説明は微妙に違うと思うが……。

 まあ「好き」の反対は「無関心」。

 大嫌いだからこそ、その人をよく知っているというのは言えるだろう。


 芽生が二葉に促す。


「せっかくですもの、冷めないうちに食べてもらえると嬉しいわ」


「そうね、じゃあ遠慮無く」


 二葉がぱくつく──と、同時に動きが止まった。


「これは……美味しい」


「そうでしょう、そうでしょう」


 芽生がえへんと胸を張る。

 この時代でも大事なことは二回繰り返すんだな。


 二葉がコロッケをしげしげ見つめながら、訥々と語り出す。


「クリームコロッケ。だけど中はただのクリームじゃない。牛乳を使ったクリームと違って、どこか濃厚で微妙に青臭さの残る味。これは……豆乳?」


「お見事」


「でも、どうしてあたしの好物が豆乳と?」


「だって練習終わった後、シャワー浴びてから腰に手を当てて豆乳をごくごく飲んでるじゃない。他の部員達はスポーツドリンクなのに、珍しい物飲んでるなって」


 二葉……。


「運動の後には上質なたんぱく質が必要だからね。あたしはなんといっても『健康優良児』、この見事な筋肉を維持するための秘訣よ」


 二葉はそう言って、力こぶのポーズを示す。

 よくも即興で、そんな嘘をぺらぺらと。

 もちろん「胸を大きくするため」という本当の理由は話せないだろうが。

 ついでに芽生が先程放った皮肉まで切り返してみせるところは、なんともはやだ。


 二葉が再びコロッケにぱくつく。


「でもこれ、豆乳クリームだけじゃないわね。何かを細切れにしたものをアクセントに加えてる」


「それも当てられる?」


「ぷるっとした食感はこんにゃくに似てる気もするけど、そんな歯応えはないし……生レバーに近いけど、火を通すと固くなるはずだし……かと言って、フォワグラほどのトロトロ感もないし……」


「降参かしら?」


 芽生はいかにもしたり顔。

 対する二葉は仏頂面で文句をつける。


「降参も何も、あたしの当てられない物入れて『好物』はないでしょうよ」


「おかしいわね。大皿で一気に掻き込んだくらい、大好物なはずだけど?」


 二葉の顎の動きが止まった。


「まさか……これ……」


 芽生が艶やかに光る唇の端を嫌らしく上げた。


「そう、牛のアレ。二葉さんが食べやすいように、細かく刻んで混ぜてもらったの。美味しいでしょう?」


 二葉の喉が蠕動し、ほっぺたが膨らむ。

 咄嗟に口を抑えると、ダッシュで病室から出て行った。


「芽生! なんてことを!」


 しかし芽生はくすくすと笑っている。


「わたしは悪くないわ。『食べたい』と懇願してきたのは二葉さんでしょう?」


「それはそうだが」


「何も言わなければ、わたしがそのまま食べるつもりだったのに……あはははは! 人をバカにするからよ!」


 芽生は我慢できなくなったか、高笑いを始めた。

 してやったりと言わんばかりに。

 今回ばかりはさしもの二葉も一本とられたか。


 しかしお前ら。

 対等の条件で喧嘩してくれとは思ったけど……いい加減にしてくれよ。


「はあ、はあ……」


 二葉が戻ってきた。

 息は絶え絶え、顔はすっかり青ざめてしまっている。


「お疲れ様。それじゃわたしはそろそろ診察行くわね、ごきげんよう」


 俺に向けて小さく手を振ると、すたすた二葉の横を通り過ぎようとする。


「芽生、待って!」


「何?」


 二葉がいかにも無理矢理な笑顔を作る。


「あたしの好物をわざわざありがとう。お返しにあたしからも御礼をしたいんだけど」


「お気持ちだけいただいておくわ」


「そんなこと言わずに。実は芽生が来ると思って、あたしも用意してたんだ」


 二葉が足早に冷蔵庫へ向かう。

 しかし芽生はきっぱり告げた。


「時間ないからはっきり言うわ。この流れで二葉さんがまともな代物を出してくれるわけないでしょう。大方、先客に押しつけられて困った見舞い品じゃないの?」


「ちっ」


 ちっ、じゃないよ。

 若杉先生の持ってきた「けろさんど」渡そうとしたんだろうけど、そんなの俺でも引っ掛からないよ。

 利発な二葉らしからぬ言動から、牛のアレのダメージがどれだけ深刻なものだったのかよくわかる。

 本当にトラウマだったんだなあ。


「では──」


「芽生、アニキからの命令でも聞けないと言うの!」


「一樹君がわたしの迷惑になるような命令するわけないでしょ──」


 芽生が腰を屈め、俺の目線と水平に合わせる。


「──ねっ、わたしの(・・・・)御主人様」


「あ、うん……そうだな」


 としか言えないじゃないか。

 

「今度こそ本当にごきげんよう、失礼」


 言葉通り、今度こそ芽生は部屋から出て行った。


 二葉が歯ぎしりしながら、出口を睨む。


「アニキ……」


「ん?」


「尾けてくる!」


 叫ぶや否や、二葉は病室を飛び出した。


              ※※※


 二葉が戻ってきた。

 抜き足差し足で部屋に入ってくるや、きょろきょろと廊下の左右を見回し、パタンとドアを閉める。


「ふう」


「ふう、じゃないよ。金之助を監視した時もそうだけど、そのわざとらしい行動はやめろ」


「えー、誰が聞き耳立ててるかわかんないじゃん」


「だから普通にやればいいだろうが。まさか芽生を尾けるときも、その調子だったんじゃあるまいな」


「普通に歩いたよ、そうしないと変な目で見られるじゃん」


 わかってるんじゃないか。


「じゃあ最後までそうしろよ」


 二葉が頬を膨らます。


「どうせやるなら楽しみたいもん」


「病室に監視カメラがついてたらどうするんだよ。というか、多分付いてるぞ」


 大部屋はともかく、個室の場合は監視カメラが設置されてると聞いたことがある。

 もちろん盗撮とかではなく、容体の急変に対応するために。


「生死を彷徨う状況じゃないし、ナースステーション側で切ってるよ。そうじゃなければアイちゃんが現れるわけないじゃん。出雲病院のことは熟知してるんだしさ」


 二葉がやりこめたとばかりに、「べー」っと舌を出す。

 そんな講釈聞きたくて言ったわけじゃないんだけど。

 この辺りはやっぱり子供だ。


「アニキ、話する前に何か飲もうか。入れてあげるね」


 今度こそ本当に飲めるのだろうか。

 迂闊に返事をすると再び来客が来そうな予感がするので、今度は黙る。


 あっ、そうだ。


「芽生って、どこの科に行ったの?」


「聞きたい?」


 二葉はにんまりもったいつけた顔。

 大方の見当はついてるんだけどさ。

 ここで成果を聞いてあげとかないと、またどこで機嫌を損ねるかわからない。

 これぞ我が妹操縦術。


「是非聞きたい」


「産婦人科」


 やっぱり。

 理由も見当つくけど、あえて問う。


「どうしたのかな?」


「アニキって、どこまでもデリカシーないなあ。生理不順とかじゃないの?」


 やっぱり二葉はわかってない。

 だったら当座はどうでもいい話、後に回そう。

 俺よりも説明するに相応しい者がいることだしな。


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