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10 1994/11/27 sun 校舎前:金之助、二葉にちょっかい掛けるのは止めろ!

 金之助の外観は……。


 一見して寝ぐせっぽく無造作に散らされた髪型はゲームそのまま。

 ただし全体のバランスからカットもセットもきっちりとなされているのがわかる。

 目つきは前髪越しでもわかるくらいに鋭く凜としている。

 全体にも引き締まって精悍な顔立ち。

 その中にあって口元だけは若干緩く軽薄さを感じる。しかしそれがかえって人間味を引き出し、年齢相応の少年らしい魅力を醸し出している。

 身長は俺より少し高い一八〇㎝くらい。

 マッチョでも細身でもない、均整の取れた体格という表現が妥当だ。


 ゲームと現実で容姿の方向性は違わない。

 それでも現実の金之助は明らかな二の線、画面越しと直接見るとでは大違いだ。

 俺からすれば一回り年下の子供にすぎないから、こうした客観的な評価もできる。

 しかしもし同世代なら、憧れか嫉妬が先に来たかもしれない。


 ああ、だから「上級生」では同性とつるんでる場面がほとんどないのか。

 ギャルゲーである以上は当然だけど、一匹狼だから単独行動ばかりになる。

 不思議と納得できてしまった。


「二人とも挨拶なしかよ。寂しいだろうが」


 ──はっ、どのくらい黙り込んでいた?


 我に返るや、ちらり目配せを寄越してくる二葉に気づく。

 はて?……いや、そうか。

 俺にこの場で求められるのは一樹としての言動。

 下手を打つわけにいかない。

 迂闊には口を開けない。

 だから二葉は「あたしに任せて」と言っているのだ。

 まいったな。

 外出する前にこうした事態を予測して対策を練っておくべきだった。

 でも悔やんだって仕方ない。

 二葉に目配せを返す、ここは任せたぞ。


 二葉がわざとらしく頭をかく。


「いやぁ~ごめんごめん。久々に金ちゃんの顔見たから、ついうっとりしちゃってさ」


「そう? オレってそんなにカッコいい?」


 見え透いたお世辞に、金之助がにへらと締まり無く笑う。

 それを受けた二葉は目を細め、いかにも蔑んだ視線を返す。


「ばぁか、そんなわけないでしょ。珍しく学校で見かけたからびっくりしただけよ」


「何を言っている。学校に来るのがオレ達生徒の仕事だ」


 金之助がふんぞり返って胸を張る。

 しかし二葉は顔色一つ変えない。


「それこそ普段は学校に全然顔見せない人が何言ってるのさ」


「あれ? もしかしてオレが学校来てないの気づくほど気に掛けてくれてた?」


「金ちゃんみたいに騒がしいのがいなければ嫌でもわかるっての。さぼるのも程々にしとかないと留年しちゃうよ?」


「出席日数はちゃんと計算してるさ。そこまでバカじゃないって」


 上げて落としてスルーしての二葉。ボケてボケてボケ倒そうとする金之助。

 片や一刻も早く追い払いたく、片や粘って口説くチャンスを掴もうとしている。

 単なる日常会話のはずなのに、妙に激しい主導権争いがなされている。

 黙って指を咥えているのも情けないが、何のフォローもしようがない。

 頑張れ二葉。


「そのバカじゃない人がどうして日曜なのに学校いるのよ」


 二葉が「平日来ない癖に日曜は来るとかバカじゃん」と言外に滲ませる。

 それをわかってかわからずか、金之助が伸びをしながら大きく欠伸をする。


「ふわぁーあ……昨日はちゃんと授業出てたんだよ。その後保健室で寝てたら若杉先生に捕まってさ、そのまま徹夜で今まで付き合わされてた」


 若杉先生は保健室の養護教諭でヒロインの一人。

 通勤が面倒だからと保健室に住み着いてしまったダメな大人である。


「付き合わされてたって、まさかお酒?」


「いやオレはお茶。オレはいいんだけど先生が『生徒に酒を飲ますわけにいかない』ってさ。んで、酒が切れたから買いに行かされてるとこ」


 生徒の前で酒を飲むのはいいのか。

 ああ、でもそうだ。若杉先生を攻略するには保健室に通って、酒に付き合って、ひたすらグチを聞く事から始まる。

 金之助に攻略の意志まであるかは定かじゃないけど、ひとまず「上級生」のシナリオに沿って時間が流れているのは窺える。


 二葉が呆れた顔を見せる。


「買いに行かされるって……まだ飲み会が続くわけ?」


「戻ったらオレは寝る、絶対に寝る。それより話戻すけどさ」


「うん」


 たるんだ縄が二葉の手元で僅かに揺れ動いた。


「二人が一緒にいるなんて珍しいじゃないか」


「それがさあ、聞いてよ」


 二葉がくいっと腰縄を引き、ピンと張って金之助に見せつける。


「ん?」


「このバカアニキ、あたしが夕べお風呂してるとこに入ってきてさ。『昔は一緒に入ったじゃないか』とかキモイこと言い出して。それでぶん殴って、ケリ入れて、一晩正座させて、現在町内引き回しの刑に処してるとこ」


 それはお前じゃないか!

 しかも二葉に向けられていた金之助の視線が俺に移った。


「一樹……オマエ、いつから宗旨替えしたんだ?」


 まずい。

 この台詞からすると、二葉はミスをやらかしてしまったらしい。

 一樹のキャラを考えれば一見おかしくなさそうだが……考えるんだ!


 二葉が金之助につかつかと詰め寄る。


「宗旨替えって何よ。あたしが男っぽくて、胸も薄くて、ぴょんぴょん飛び跳ねてるサルみたいだから観る価値がないとでも、いつもみたいにからかいたいわけ?」


「薄いどころか芸術的なまでに真っ平らじゃねえか」


「普通は『そんなことないよ』って言うでしょ。誰が全否定しろと言った!」


「だからこそオレはオマエの裸が見てみたいといつも言っている。全否定どころか全肯定してるし、観る価値がないなどと一度も言った覚えはない!」


 叫び合う二葉に金之助、傍からはマヌケな夫婦漫才にしか見えない。

 ただやりとりからして、二葉は根本的に何かを誤解している。

 「宗旨替え」という単語から導き出せる問題は二葉の属性だけではない。

 きっと一樹の嗜好そのものが問題なのだ。


「はいはい、みんなに同じ事言ってるものね」


「二葉みたいな胸なんて唯一無二の存在なんだから誰にも言いようがないだろう。そうあえて言おう、二葉のツルッペタはオレのジャスティスだ!」


「拳を握りしめて大声でそんなこと叫ばないで!」


 やばい、二葉が金之助のペースに乗せられてしまった。

 早く考えをまとめないと。


 プレイした時の記憶を思い出せ。

 一樹の盗撮写真で真っ先に思い出せるのはパンツ。

 それも公園で思い出した写真の様に、若き日の俺をモニターにかぶりつかせるほど劣情を掻き立ててくる代物。

 そうだ、そう言えば俺はプレイ中に全裸写真を見た覚えがない。

 写真は全て着衣、それもごく一部の例外を除いては全てがパンツだ。


 一樹の部屋を思い出せ。

 ポスターはエロゲーのヒロイン達、98の使い途もエロゲー。

 本棚に並ぶ経済学の本は普通のエロ本ではなく一八禁コミック。

 そして恋人はニンフちゃんだ。


 いつも仕事で身分を偽装する時の様に、一樹の仮面を被るべく暗示を掛ける。

 俺は一樹、俺は一樹、俺は一樹、俺は一樹、俺は一樹……。


 ──わかった、これが一樹だ!


 二葉の肩に手を置く。

 

「二葉、夕べから誤解だって言ってるだろう」


 二葉は即座に俺の手を払いのけた。

 

「キモイから触らないで!」


「俺にとってはお前に着せられた冤罪の方がよっぽどキモイ」


「何が冤罪よ。妹、それも双子の妹の裸をなめまわす様に見る兄がどこにいるの!」


「それはお前の被害妄想だ」


「何を寝ぼけ──」


 二葉よ、いい加減に空気を読め。

 これが女友達相手ならお前の説明でいいけど、金之助相手には通じない。

 男には例え妹であっても女には明かさない一面があるんだ。


「なぜなら俺は生身の女に興味がない。生身の女は無駄に柔らかいから、生来持ち合わせる素晴らしきフォルムを自らの愚かしい動きによって台無しにしてしまう」


「はあ?」


「しかしそこにパンツにブラという薄く滑らかで神秘的なヴェールが加わった場合、その芸術性が更なる高みまで引き上げられる一瞬がある。俺はその刹那を捉えたいからこそ盗撮に命を賭けているんだ」


「頭おかし──」


「しかも生身の女は体臭や体温、さらには感情までも持ち合わせている。そんなもの、芸術として愛でるには邪魔でしかない。それに比べて、ああ何て二次元の美しきかな」


 二葉が黙り込んだ。よし、フィニッシュだ。


「ここに誓おう。俺はお前を蝋人形にしたいと思った事はあっても、お前の風呂を覗きたいなどとは一度も思った事がない!」


 そう、二葉は普通の変態を前提に話を進めていた。

 しかし一樹は普通の変態ではない、キングオブキモオタなのだ。

 ここまでの性癖は同性同士じゃないと語り合わない。

 女には決して理解できない領域だから、二葉が見誤るのも無理はない。


 一樹なら盗撮のために脱衣所の着替えを覗く事はあるだろう。

 しかし風呂そのものを覗く事は断じてない。

 なぜなら一樹はいわば一種の不能者。

 生身の女それ自体は彼にとって塵芥に等しいのだ。


 金之助が得心した様に頷きを示す。


「ホント相変わらずだな。二葉の風呂を覗いたって何か悪い物でも食べたかと思ったが……いや、むしろ食べていてほしかった。お前はいい加減に生身の女へ目を向けろ」


 ふう、何とか切り抜けた。

 しかしまずい、二葉が完全に凍り付いてしまっている。


「ふん、俺の恋人はニンフちゃんだけだ。なあ二葉?」


「え、えっと……うん……そうだね……あたしの誤解だったみたいね……」


 二葉が答えにならない答えを返す。

 その目は虚ろで焦点が定まってない、口はぽかんと開いたまま。

 しっかりしろ、金之助の視線がそっちに戻ったらどうするんだ!


 だが幸いにも金之助はこちらに視線を向けたまま口を開いた。


「とにかく夕べは風呂に入ったんだな。道理で臭くないわけだ」


 まずい。こんな質問に答えられるまでには、まだ考えが煮詰まっていない。

 二葉、早く立ち直ってくれ。


「あ、ああ……」


 どういう時なら一樹は風呂に入るんだ?

 とりあえず言葉を放ったものの後が続かない。

 どうしよう、何を言えばいい。


 まごつきかけたところで、ようやく二葉の目に光が戻った。

 腕を大きく振りながら腰縄をピンと張る。


「あたしが無理矢理入れたのよ、夕食の味噌汁鍋を頭からぶっかけてさ」


 それも俺の言った台詞じゃないか。

 でも、いいぞ。

 金之助が二葉に目を向け、再び二人の間で会話が流れ出す。


「二葉もホント大変だな、つくづく同情するよ」


「そう思うなら金ちゃんもアニキにもっと言ってやってよ」


「断る、オレは一樹と友達ではない」


 これが本音であるのはかつてプレイヤーとして金之助を操った俺は知っている。

 しかし一樹にすれば、一応まともに相手してくれる同性は金之助だけ。

 ならば、一樹としての台詞は……。


「照れるなよ。俺は金之助の親友じゃないか」


「オマエはどこまでキモイんだよ!」


 その叫びとともに、腹に金之助の拳がめり込んで……いた?

 でも痛みはない。

 確かにめり込んではいるけど、押しているだけ。

 ただの殴る真似だった。


 そういえばゲームでも金之助が一樹を殴るシーンは度々あったが、ほとんどは「腹を殴ってみた」と言ってた。

 本当にぼこぼこにする時は「力一杯」とか「全力で」だった気がする。

 つまりはじゃれあい。

 これも一つの一人称マジックか。


 金之助が再び口を開く。


「あれ? いつもの決め台詞は言わないのかよ」


 知ってるよ、七つの星を持つ男が出てくる漫画を真似た台詞だよな。


「我が脂──」


 一旦言いかけるも慌てて口をつぐむ。

 確か違う、現在ではデブに定番となったこの台詞じゃない。

 何て台詞だったか。思い出すためには一樹をもっと掘り下げるんだ。


 一樹はなぜ謝らない。

 ありえないと思ったけど、考えてみたらそういう人種はいた。

 それはキャリア様の中でも特に最悪なヤツ。

 自分が失敗してノンキャリから責められても「悔しければお前も人間になってみろ」の一言で終わらせてしまう。

 つまり自分が一番偉いと思っているから謝らない。


 ──わかった、ここで言うべき台詞はこれだ!


「ふはははは、我が帝王の体にお前の拳は効かぬ」


 金之助が両手を広げながら首を振る。


「またそれかい、『我が分厚い脂肪』の間違いだろうが」


 気づくと二葉が憐れんだかの様な眼差しを俺に向けていた。

 まさにかわいそうな人を見る目。

 俺だって好きでやってるんじゃない!


 二葉が溜息をつきながら金之助の顔を見上げる。


「はあ、金ちゃんもあたしのツル──薄い胸がジャスティスとまで言うなら一樹痩せさせればいいじゃん。同じ顔してるし、胸は当然無いし、体育の着替えで見放題でしょ」


 そうなの?

 いや、昔の写真からそれはわかる。

 でもにわかには信じがたい。


 と言うか、お前は話題をつなげてどうする。

 俺は半ば羞恥プレイな演技疲れで精神的に限界なのだが。

 正直言って俺の知る限りの二葉にはそぐわない言動だ。


「そう言えば中学入り立ての頃は一樹も痩せてたっけ。お前ら兄妹って二卵性の割にはよく似てるし、それもいいかもな」


「冗談を真に受けないでよ」


「そこは冗談だけど、オレはもし二葉が男なら喜んでソドムの河を渡るぞ」


「は?」


 前髪に隠されているはずの金之助の目がきらりと光った気がした。

 金之助が二葉との間合いを少し詰め、その高い上背をやや折り曲げる。

 その一連の動きは実に自然、恐らくは本能でやっている。


「二葉の性別がどうあろうと中身が変わるわけじゃないだろう。そのぱっと見元気少女の裏側には誰にも負けない優しさと細やかさを秘めてるじゃねえか」


 二葉が顔を赤らめ、所在なさげにもじもじする。

 口では何のと言っても、やはり女の子にしてみれば褒められるのは嬉しいのかなあ。

 とてもじゃないが俺には真似できない。

 男にしてみるとこんな歯の浮く台詞を聞かされると正直イラつくまであるのだが。

 この辺りもゲームプレイと現実では大違いだ。


「ちょっと……金ちゃん……何言ってるの……」


 金之助がさらに間合いを詰め、その口調をスローダウンさせる。


「お前は誰よりも女らしいって言ってるんだよ」


「え……もう……やだ……」


 どうする……二葉が口説かれるのを黙って見ていていいものか。

 見てる限りでは二葉も満更ではなさそう。

 一方で、さっき二葉は「金ちゃんには興味ない」とはっきり言った。


 こういう時の女の子の心理って俺にはわからない。

 しかも一樹が二葉の事を実際にどう思っているかもわからない。


 でも、この際そんなのはどうでもいい。

 俺は一樹じゃない、だけど二葉の兄であるには変わりない。

 だったら俺は金之助にどうしても言わねばならぬ事がある。


 二人の間にずずっと体を割り入れる。


「金之助、二葉にちょっかい掛けるのは止めろ!」


「な、なんだよ急に」


 戸惑う金之助、しかし俺は容赦なく睨み付ける。

 世の中に妹を目の前で口説かれて黙ってる兄はいないんだよ。

 それは妹の気持に関係なくな!


 金之助がしばし黙る……が、ニヤリと笑いを浮かべた。


「お前がそんな感情ムキ出しにするなんて珍しいじゃねえか──」


 まずかったか?

 しかし続く金之助の言葉に安堵させられる。


「──少し見直したよ」


 金之助が正門に足を向ける。


「それじゃオレは行くわ。せっかくの兄妹水入らずをこれ以上邪魔したくないしな」


 金之助の背を見る形になった二葉が慌てた様に叫ぶ。


「そんなんじゃないから!」


 金之助はその叫びに反応せず歩き始める。

 そして俺とすれ違いざまに足を止め、肩をポンと叩いた。


「たまにはまともな写真も撮れよ。せっかくいい腕してるんだからさ」


 そのまま金之助は「じゃあな、お二人さん」と手を振りながら去っていった。

 実に鮮やかな引き際、どこまでも飄々とした佇まい。

 これはモテるよなあ……。


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