2 黒い人
これは大学生の時にアルバイトしていた時の話。
アルバイト先は、小さなマンションの様な建物の一階部分にある店舗で、2階の一室にスタッフのロッカールームがあった。
そのためアルバイトの時はまず一階の入口から入り、2階に行く必要があって、その手段としては2つ。
単純に階段かエレベーターだ。
入口から入ると、長い一本道の廊下があってその途中にエレベーターがあり、突き当たりに階段がある。
その階段は普段扉があってしまっているためか、入口から差し込む光と室内灯頼りで、昼間でもなんとなく薄暗い感じがあった。
閉所恐怖症……とまではいかないが、狭い所が好きではない自分は、基本どこでも移動は階段一択。
だから勿論このアルバイトの時は、必ず階段を使っていた。
階段を使うには一本道であるため、エレベーターの前を通る事になるのだが、このエレベーターはエコ仕様で、使用時以外はエレベーター内部の電気が消えている。
つまり人が中にいる時のみ電気がつくのだが、そのエレベーターの扉には広いガラスの窓がついていて、一目で中全体を覗く事ができた。
そのためエレベーターが一階で止まっている時は、中の電気が消えているのが丸見えで、乗る時、開けるボタンを押すと電気が点いてから扉が開く。
そんな仕様であるため、普段は全く気にかけた事はなかったのだが、ある日奇妙な事が起きた。
「……あれ?」
階段に向かって歩いている時、遠目からエレベーター内の電気が点いているのが見えたのだ。
ガラスから明かりが漏れて、いつもよりその周辺が明るい。
『もしかして、俺が乗ると思って誰か待っていてくれている?』
最初はそう思ったが、近づくにつれて、おかしな点に気付いた。
エレベーターのドアが閉まったままだ。
普通待っていてくれるなら、ドアを開けたまま待っていてくれるはず。
だから次に思いついたのは、変態や精神がちょっと不安定な人が中にいて、そのままボンヤリしているのかも?だ。
一気に青ざめた俺は、触らぬ神に祟りなし!と呟きながら、さっさとエレベーター横を通り過ぎる事に決めた。
そのまま足早に歩き続け、さっさとエレベーターの隣を通り過ぎたのだが……その際、一瞬だけ横目にそのエレベーター中が見える。
やっぱり誰かいた。
誰かが立っている姿が目に入る。
目の端に映ったその人物は随分と髪が長い人物だったようで、ちゃんと見たわけじゃないが、腰の方まで伸びていた気がした。
「…………ほんと何してんだ?」
階段の扉の前に到着した後、フッと後ろを振り返ったが、まだエレベーターからは光が漏れていて、無音であるため上の階に上がったりもせずにずっと一階に待機している様だ。
やっぱり精神が弱っている系の人だったのかも……。
そう思って気にせず階段の扉を開き、ロッカールームに向かったのだが、その時もう一つ妙な事に気付いた。
なんか……黒一色だったな、さっきの人。
目の端に映った色が黒だけで、それに違和感を感じる。
いくら目の端だといえ、それなりに色は認識できるはずなのに……。
おかしいなと思ったが、上も下も黒の服でも着ていたんだろうと納得して、特に誰にも言わずにバイトへと向かった。
そうして終わった後、スタッフ全員でロッカールームに向かうのだが、俺以外は全員エレベーターを使うので、そこでやっとさっき起こった出来事を思い出した。
「あ、あの〜……実はさっき……。」
直ぐに体験した話をしようとしたが、ハッキリ何かを見たわけじゃないし……実害はないしで、寧ろわざわざ嫌な話をするのはな……と考えてしまい口を閉ざす。
すると、全員さっさとエレベーターに乗り込んでしまい、先に行ってしまった。
勿論、エレベーターに乗ったスタッフに何かあるわけなく、普通に2階に到着していたし、着替え終わった後も一階に無事到着していたしで、今まで通り何も問題なし。
そのため一応「この建物にちょっと精神不安定な女性がいるかもしれないです。」とは言っておいたが、全員そんな話聞いた事がないと、笑うだけであった。
そうして家に帰宅した後、両親と弟と家族でご飯を食べている時、一つの話題としてこの話をしてみたが、弟は無視だし父は基本自分の好きな事にしか興味がない人だったため適当な返事しか帰ってこない。
母も「へぇ〜。とりあえず危ない時は逃げなよ。」くらいだった。
まぁ、こんなもんか〜……。
特に話題を大きくして欲しいわけじゃなかったので、その話は終わりにし、この日以来、すっかりこの話は忘れてしまった。
そうして時は流れて、なんと10年後。
仕事でもちょっと中堅どころになってきたお年頃の時、とっくに家を出て一人暮らしをしていた俺。
久しぶりに母と会って食事をしていた時の事だ。
なんでその話になったのか忘れたが、母が「そういえば……。」と、思い出したかの様に俺の学生の時のアルバイトの話をし始めた。
「そういえば、アンタさ、あのマンションの一階にある店で働いてたじゃない?
2階に着替える所があった所〜。」
「お〜……懐かしいな。確かに働いていたけど、急にどうしたんだよ?」
突然の話題転換に戸惑っていると、母はちょっと考え込む仕草をする。
「う〜ん……まっ、いっか。もう時効時効。アンタエレベーターで変な女見たって言ってたじゃん?」
「あ、うんうん。あったな、そんな事。
でも、それを見たのは一回だけだったから、今にして思えば見間違いだったのかもな。」
そのバイトは三年くらい続けたが、結局変な女を見たのはその時の一度だけ。
だから時の流れとともに、見間違えだったんだろうなと思っていた。
しかし、母は笑顔のまま首を横に振る。
「多分それ見ちゃった系だったと思うよ〜。
あの建物、地元では有名な出るっていわく付きの物件だから。今まで色んな目撃情報があったらしいよ。」
「はぁぁぁ?!!」
青天の霹靂!なんでこんな10年も経って言うの?!
ポカンとする俺に、母は話を続けた。
「でね、そこが訳あり物件になったのは何十年も前の話で、元々あそこはカラオケボックスだったのよね〜。
まだまだ当時は遊べる所も少なくて、結構流行っていたらしいんだけど……ある日家事が起きて、逃げ遅れた人が亡くなったそうよ。
酷い状態だったんだって……。
昔はそこまで建物も厳しく取り決めはなかったから、建物内の構造も悪くて逃げ遅れた人達は…………。」
母は一呼吸置いてから、ボソッと呟いた。
「────全身真っ黒だったんだって。」




