33.大好き
レスタ王国が滅んだ。
大陸に存在する三つの大国の一つとして名を馳せていた国が、魔王軍の侵略によって半日も経たずに崩壊した。
その事実は全大陸を揺るがせる、大きな事件となった。
だが、人類にとって最も大きな損失は──剣聖の死。
人類最強と名高い剣士が失われたことで、各国は魔王軍に対する警戒意識を更に高めることとなった。
────まぁ、そんなことはどうでもいい。
レスタ王国での戦いに勝った。
私は最愛の花嫁──エレシアを取り戻すことができて、魔王は未来の強敵を早いうちに殺すことができた。
今はそれだけで十分だと思うべきだ。
「その楽観的思考、私のご主人様として些か不安ではありますね」
『同意する』
持っていたティーカップに、ピシッと亀裂が走った。
…………危ない危ない。もう少しで折角の贈り物が壊れちゃうところだったよ。
「そうやってすぐに態度に出るところ、将来のためにも直した方がいいと思います」
『同感だ』
ガッシャーーーーンッッッ!
握っていたティーカップが粉々に砕けて、その破片が足に降り注いだ。
そこにすかさず布を持ったエレシアが現れる。
「動かないでくれ。破片が刺さったら大変だ」
「エレシア。いくら貴女でも、そこまでする必要は無いと思いますよ」
『貴殿は甘やかし過ぎだ。このままでは主人が手に負えないダメ人間になってしまうぞ』
「だが、しかし……」
「『だが』も『しかし』も駄菓子もないんですよ。貴女がそうやって何でもかんでもやってしまうから、ご主人様は自分の身の回りのことすら十分にできないのは?」
『まるで子供だ。本当に教養のある貴族出身だったのか?』
────ぷっつーーん。
「さっきから煩いんだよ! 外野が! 今は私とエレシアのお茶会なの!」
とうとう我慢ならなくなった私は立ち上がり、部屋の隅で待機している二人に──ビシッ! と指を差した。
「邪魔しないで黙ってて! その口、強制的に閉じさせるよ!」
「おーおー、やれるもんならやってみやがれです。こちとら元人類最強ですよ? その程度の命令なら反抗できるんですからね」
『そもそも我には閉じる口が無いのでな。命令範囲外だ』
白銀の軽鎧を纏った女騎士は喧嘩腰でそう言い、豪華なローブに身を包んだ骸骨はカラカラと骨を鳴らす。
何か一つ言えば、見事な連携でぶん殴られる。
無駄に口が達者な二人だ。私がそいつら相手に口論で勝てる訳がなく────
「う、ぅわあああああん! エレシアぁぁぁ!」
ついに何も言い返せなくなった私は、エレシアにしがみ付いた。
その様子を外野は呆れた目で見ていたけれど、エレシアだけは優しく抱き返してくれた。
「おーよしよし。アンリは昔から喧嘩が弱かったからな。負けるのは恥ずかしいことじゃないぞ。何があっても私だけはアンリの味方だからな」
これだよ。これこそ私が求めていた安らぎ。他人では決して満足することができない幸福感。やっぱり私にはエレシアしか居ないんだ。
「うぅ、だから私は嫌だったんだ! 剣聖を完璧に蘇らせるなんて、絶対嫌な予感しかしないって言ったのに……!」
どうして剣聖がここにいるのか。
それは私が死霊術で蘇らせたからだ。
魔王との一騎討ちで戦死した剣聖の体を持ち帰って、エレシアと同じように自我を保った状態でアンデッドに作り変える。
剣聖がこっち側になれば大きな戦力増強になる。剣聖にやられたデュラハンやリッチ、数百のアンデッドの損失を考えても、十分なお釣りが出るくらいには……。
でも、最初、私は反対した。
少し言葉を交わしてみて分かったけれど、剣聖はかなり性格が悪い。物腰柔らかい口調のくせに、こっちを馬鹿にするような毒舌を平気でぶん投げてくるから、こいつを仲間にしたら後々絶対に面倒なことになるって言ったんだけど……。
────頼む、アンリ。
それは他でもない、エレシアからのお願いだった。
剣聖のことは自分が責任を持つから、って……。
あんな腹黒女のどこが気に入ったのか、エレシアは何度も剣聖を仲間に引き入れることで得られる利益について話してきた。しかも、その話にタナトスや魔王まで乗っかってきたせいで拒絶するにも拒絶しづらくなって、最後は私のほうが折れたって訳だ。
正直、妬いているところはある。
エレシアから強く庇われた剣聖に、私は嫉妬しているんだ。
そういった点でも気に入らない。だから私は剣聖が嫌いだ。
いくら強くても、私が所有する駒の中で圧倒的な強さを持っていたとしても、この感情が覆ることはない。
でも、可愛い花嫁の頼みは無下にできない。
だから仕方なく、だ。本当に仕方なく……私は剣聖を死霊術で蘇らせた。『絶対に私達を裏切らない』という、非常に強力な制約で縛って。
「……二人共、もう少しアンリに優しくしてやってくれ。この子は繊細なんだ」
「繊細って、ただの小心者では? …………まぁエレシアが言うのであれば、従いますけど」
『少しからかっただけだ。もうやらぬ』
それまで口うるさく私を虐めていた二人は、案外すんなりと注意を受け入れた。
…………おかしい。
私がご主人様のはずなのに、どうして私の言うことを聞いてくれないのか。
「でも、あまり楽観視しないほうがいい……というのは本当ですよ」
白銀の女騎士──剣聖フィリンは改めて私に忠告してきた。
さっきまでの揶揄うようなふざけた態度ではなく、真剣な表情を浮かべながら。
「レスタ王国は確かな軍事力を持っていました。私が拠点にしていたことも考えれば、大陸の中でも一、二を争うくらいに。それが半日も経たずに滅びたのです。今後は国同士が協力してくると考えて間違いないかと」
『この者の言葉に同意だ。それに滅び方も異常だったからな。余計に警戒されるのは当然だろう』
異常……?
『先日の戦いで殺した者──騎士も平民も全てアンデッドにしただろう』
「ああ、そうだね」
どこかの誰かさんのせいで、私のアンデッド軍団には甚大な被害が出た。
その補填のために死体は全てタナトスの能力で蘇らせたんだっけ。
でも、それがどうしたんだろう?
『今、レスタ王国には死体が一つもない。ということだ』
「それは普通、ありえません。たとえ死体を焼いても跡は残ります。私が他国の者であっても、その惨状を目にすれば真っ先に死霊術士の存在を疑うでしょう」
「……つまり、魔王軍に死霊術士がいることが知られたってこと?」
肯定するように頷かれた。
……そっか。
「まぁ、でも……問題は無いかな」
「ん?」
『む?』
二人の意見を聞いた私は、それでも大丈夫だと思った。
それが意外だったのか二人は同じように首を傾けて、片方は「何言ってんだこいつ」みたいな顔になる。
「魔王ならそう言うかなと思ってさ。だってあの魔王のことだ。そうなることを分かっていて私を迎え入れたんだろうなって……」
むしろ、私を警戒してくれるならそれでいい。
警戒すればするほど人間側は攻めづらくなると思うし、攻めてこないのであれば私はエレシアと一緒にいる時間が長くなる。それってむしろ良いことじゃない? すぐに戦争を仕掛けられるより……ずっと良い。
「まぁ確かに、あの魔王なら既に考えはついているでしょうが……」
『娘のことだ。すでに対策も考えているのだろう。しかし……』
「『ご主人様(主人)に諭されるのは、なんか気に食わない』」
「喧嘩売ってんの?」
今度こそ本当に黙らせてやろうかと脅せば、二人は「冗談だ」と下がった。……ったく。
「アンリ。楽しそうだな」
「…………は? 楽しい? 私が?」
エレシアの言葉に本気で困惑する。
今更彼女の目を節穴だとは疑わない。でも、どこをどう見て私が楽しそうなんて言葉が出るんだと疑問に思ったのは本当だ。
「アンリは変わった。今のお前も、その……好きだぞ」
ガッシャーーーーーーン!!!!
割れたティーカップの代わりに新しく用意された物を落とす。またエレシアが慌てて破片を掃除し始めて、フィリンやタナトスからは「何をやっているんだ」と呆れられた。
でも、私は──そんなことどうでもいいくらいに動揺していた。
予想もしていなかった不意打ち。
一番愛している人からの「好きだ」という言葉。
何もかもが終わって安心して、これ以上なく油断していた私の思考を吹き飛ばすくらいには、その衝撃は強かった。…………いや、あまりにも強すぎた。
「あれ? あれあれあれぇ? まさかご主人様──照れているんですか?」
「っ、──!」
指摘されて初めて、顔が赤くなっていることに気がついた。
自覚したらどんどん熱くなっていく。これは気温のせいじゃないことくらい、私だって分かっていた。
でも、でもぉ……こんな不意打ちで…………。
「み、見ないで!」
途端に、エレシアに見られることが恥ずかしくなった。
だから視線を逸らした。その視線の先には、それを面白がったクソ女が────
「いやぁ下衆なご主人様でも、中身はちゃんとした乙女ってわけですか。あらあらまぁまぁ、良いではありませんか。ええ、とても良い反応だと思いますよ? ずっとそうして入ればご主人様も少しは可愛くなれるのでは? ──ぷふっ」
「…………うるさい」
『常日頃からエレシアに愛を囁いているくせして、いざ同じことを言われるのはダメなのだな。主人にもそのような一面があったとは、この我でも想像できなかったぞ』
「……………………うるさい……っての!」
我慢ならなくて、私は「うぎゃぁああああ!」っと両手をあげて二人を追いかけ回す。
エレシアを中心にぐるぐると。二人に追いつけないことは明白なのに、羞恥心でどうにかなっていた私は、そんな至極当然のことすらも考えられなくなっていた。
「アンリ。各幹部に話があるため至急会議を──っと、これは一体どういうことだ?」
あははー、と他人事のように笑うフィリン。
その後ろを浮遊しながら、心底愉快そうに骨をカタカタと鳴らすタナトス。
私達の様子を見てどうしたらいいのか分からず、オロオロと困惑しているエレシア。
そこに魔王も加わってきて、私とエレシアの憩いの場所は一気に騒がしくなった。
「ああ、もう! 全員一回、部屋から出て行けーーーー!!!」
エレシア以外を強制的に追い出して、バタンと扉を閉める。
その時、なぜ余まで……という魔王の呟きを聞いたけれど、そんなの関係ない。私とエレシアの二人きりの時間を邪魔する奴は誰だって平等だ。
「ふぅ、やっと静かになった……」
溜め息を吐き出す。
くるっと振り向けば、エレシアと目が合った。
「…………随分と、遅くなっちゃったね」
本当はもっと早く、こうして二人きりになれたはずだった。
でも、こんなに長くなっちゃったのはきっと──私達への試練だったに違いない。正直そう思わないとやってられない。
「エレシア。……その、えっと…………もう一回、いい?」
「もう一回?」
「好きだって、もう一回……言ってほしいな」
まだ恥ずかしい。
でも、私なりに勇気を出してお願いした。
エレシアはそれを当然のように聞き入れてくれて、ニコリと微笑む。
「好きだ」
「…………っ、うん! 私も、大好きだよ!」
感情の昂ぶりを抑えられないまま、エレシアの胸に飛び込む。
エレシアは最初驚いて、でもしっかりと私の体を抱きしめ返してくれた。それが嬉しい。それだけで今まで頑張ってきて良かったって思う。
「エレシア。好き。大好き。だーい好き」
「ああ、私もだ」
私は笑う。エレシアも笑ってくれた。
ああ、幸せだな。
これが、私が掴み取った幸せなんだと──噛みしめる。
叶うならば、これが永遠に続きますように。
私はそう願って、また──笑った。
これにて第一章完結です!
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!




