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続続・御用猫  作者: 露瀬
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同たぬき 3

「はい、ごめんなさい、生きててごめんなさい」


 もう六月だというのに、早朝の冷え込みは、床板を固く締め付けるほどであり、そこに正座する御用猫の脛に、遠慮無く、その感触を伝えていたのだ。


 しかしながら、真に彼の肚を冷やしているのは、周囲を取り囲む、女性達の視線であり、御用猫は、かれこれ一時間、こうして責め苦を味わっていたのだった。


「……五回目です」


「え? 」


 彼の正面に仁王立ちするのは、薄い桃色の矢絣に、紺色の袴姿の、黒髪の少女である。馬尾に纏めた長い髪を、ぷるん、と震わせ、正座する男を見下ろす少女は、組んでいた腕をゆっくりと解き、御用猫の前に手の平を突き出すのだ。


「今の台詞は、五回目だと、そう言っているのです」


(数えてんじゃねーよ)


「はい、申し訳ありません、反省しております」


「……それも、三回目です」


「数えてんじゃねーよ! 」


 ついに声を荒げた御用猫は、立ち上がって文句を言おうとしたのだが。両の肩を、二人の女性に押さえられると、再び正座し、頭を下げるのだ。


「……ゴヨウさん、私が、なぜ怒っているのか、きちんと、理解しているのですか? 」


「はい、それは……いいえ、よく、分かりません」


 普段と違い、目の前の少女、サクラの怒りは、静かなものであったのだ。それは、何とも不気味であり、御用猫の野生は、未だに脳内で警鐘を鳴らし続けている。


「今日が、ゆっこちゃんの入学日だと、私は、つい先ほど、知らされた訳なのですが」


「はい、でも、それについては、私にとっても突然の事であり、責任の所在は、段取りを早めに連絡しなかった、アドルパス様に、あると思うのです」


「……アドルパス、様、に? 」


 背後から響くのは、串刺し王女こと、リリィアドーネの怨声である。最悪の時宜にて、一堂に会した女性達は、朝帰りをしたばかりだというのに、再び出かけようとする御用猫を不審に思い、こうして魔女裁判が行われていたのだが。


「それは、まぁ、良いとしましょう……ゴヨウさんも? 何やら? 秘密の仕事を? されていたそうですし? フィオーレとリチャードは? 何かを知っているようでしたが? それについても、まぁ……今回だけは、許してあげましょう」


「ありがとうございます」


 ぺこり、と再びお辞儀する御用猫に、しかし、サクラの怒声が、遂に浴びせられたのだ。どうやら、怒りの堰は、切られてしまったようである。


「ですが! それを隠していたのは許せません! 嘘をついて、こそこそと! 一人で行くつもりだったのですか! 何故ですか! 同じ学校に行くのなら、私が案内して然るべきでしょう! そもそも、ゆっこちゃんが入学するのなら、何故、私に相談しないのです! 今は月に一度しか登校していないのです、ゆっこちゃんが居るのなら、しばらくは続けて通っても良いのに、お姉ちゃんとして、学内を案内したり、一緒に登下校したり、ご飯を食べたり、相談に乗ったり、楽しみじゃありませんか! わくわくします! ゴヨウさんが隠していたせいで、危うく、その立場を誰かに奪われるところであったのですよ! 分かっているのですか! 信じられません! 」


「いやだって、サクラが通ってるなんて、知らなかったし」


「だまらっしゃい! 」


 どん、と足を踏み鳴らし、サクラは彼の言葉を切るのだ。些か理不尽な怒りではあろうが、実のところは、彼女がロードウィル士官学校に通っていると、御用猫は知っていたのだから、これはもう、言い訳のつかぬところであろう。


 とはいえ、先日の仕事は内密なものであったし、当然に、その内容も、サクラは知らぬのだ。そろそろ、時間が迫っている事を押していけば、彼女も諦め、一先ずは、やり過ごせるであろうか。


 御用猫は、そう考え、それを実行に移そうとしたのだが。


「……サクラ、そろそろ、支度をせねば間に合わぬ、猫も着替えをする為に、マルティエに戻ったのであろうし」


 意外な事に、救いの手は、リリィアドーネから伸ばされたのだ。確かに、御用猫は、辛島ジュートに扮装する為、ここに戻ってきたのであるのだ。


「むぅ……分かりました、では、私も着替えてきます、ゴヨウさん、絶対に、先に行ってはいけませんからね、校門で待ち合わせましょう」


 まだ、納得のいかない様子ではあったのだが、時間にうるさいサクラの事である、遅刻するわけにはいかぬと、そう考えたのであろう。


 ふと見れば、みつばちが灰色の騎士服を用意していた。先程までは、無表情の中にも怒りを滾らせていた、彼女であったのだが、今は優しげな表情にて、彼の制服を両手に抱えている。


「分かった分かった、そうだ、どうせなら皆で行くか? リリィも久しぶりであろうし、みつばちと黒雀も……」


「……それで、猫よ」


 リリィアドーネの、細い栗色の髪は、そろそろ、肩にかかる程に伸びてきている。彼女の美しさは、市井でも知らぬ者は無く、あれ程に鋭かった眼も、今では、何やら色気さえ孕んできたようだと、若い男達には、評判であったのだが。


「……昨夜は、何処に、泊まっていたのだ? 」


 少なくとも、今の彼女の視線に、そのようなものは、微塵も感じられぬであろう。


「……いやだなぁ、そんな、いつもの……いや、いつもの事だと言うのも、おかしな話ですが……」


「ほぅ……いつも、団長の屋敷に、行っているのか? 」


「ぐうっ」


 夜の店だと、誤魔化しは通じぬようであった。


(あの顔……まさか、みつばち、裏切ったのか……)


 にこにこ、と笑顔のくノ一であったのだが、言われてみれば、彼女が笑顔を見せるなど、不自然な事この上ないのだ。


 しかし、これは、なんたる不忠逆心か。確かに、みつばちは、アルタソマイダスに対して、過剰な敵愾心を持ってはいたのだが、自らの手を汚さずに、リリィアドーネをけしかけるなどと。


(おのれ、そのような奸計を、めぐらす女であったか……やはり、此奴は駄目な女だ、こうなれば、里からさんじょうを呼び寄せ、なんとしても交代させねばなるまい)


 しかし、今は、この危機を乗り越えるのが先であろう。御用猫は、最後の頼みとして、この包囲網には参加せず、中立を保っていた、黒い死神に目を向けたのであったが。


「……先生、だらしない、痛い目みる、当然」


「ですよねー」


 御用猫は、ぺちん、と額に手をやり、その目を閉じたのだ。


 もしかすると、ゆっこの晴れ姿が、この世の見納めになるであろうか、などと思いながら。





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