凍剣 雪中行 7
帰らずの森、その外周森の入口広場に、御用猫一行の姿はあった。そろそろ日も高くなっていたのだが、森の入口は木陰も多く、時折吹き抜ける風が、容赦無く寒気を運んでいた。
「少し冷えるな……サクラ、寒くは無いか? 」
迎えのエルフが現れるまで、まだ、しばらくかかるであろうか。御用猫が埃除けの外套を外し、隣に座る少女の膝に掛けてやると、何か、信じられぬものでも見たかのように、一度二度、目蓋を上下させたサクラであったのだが。
「あ、ありがとうございます……ですが、私は大丈夫です、風が冷たいのは皆同じなのですから、これはお返しします……でも、意外というか、なんというか、その、いえ……嬉しいです」
ほんのりと頬を染め、きゅう、と外套を抱き締めてから、サクラは、それを御用猫に返そうとするのだが。
「いや、俺の服には防寒の呪いあるから、別に寒くは無いぞ」
「もう返しません! 」
くわっ、と目を見開き、コートの上から、前掛けの様にそれを被った彼女は、何やら、ぶつぶつ、と文句を言い始めるのだ。
「ふふ、若先生、照れ隠しも程々にしないと、サクラに嫌われてしまいますよ? 」
荷台の上で、くすくす、と笑うリチャードは、まんまるに膨らんだくるぶしを、まるで紙風船の様に、ぽんぽん、と手の上で躍らせていた。どうやら、軽量化の呪いの修練中であるようだ。
「お前こそ、あんまりくるぶしで遊んでいると……いや、なんかこいつも楽しそうだな、まぁ良いか」
浮かびながらも、ぷるぷる、と短い尾を振る丸餅は、確かに機嫌が良さそうなのだ。
「何ですか、それ、なんだか楽しそう、私もやりたいです」
目を輝かせて荷台に乗り込んだサクラに、押し出されるように、リチャードが御者席にやってくる。ぽむぽむ、と手毬の様に、くるぶしを跳ね上げては、ほわぁ、ほわぁ、と、サクラは感嘆の声を上げる。
「まだまだ、子供だなぁ」
「そうでもありませんよ、サクラもあれで、色々と考えているようです……最近では、大先生とティーナの事にも、折り合いをつけた様子ですし」
あぁ、と御用猫は納得する。流石のサクラも、薄々勘付いてきたものか、二人の関係について、一時期は御用猫に何かと文句を言っていたものだが、言われてみれば最近は、そうした愚痴を聞かされる事が、ついぞ無くなっていたのだ。
「そうか……ううむ、サクラも侮れないな、子供の成長は、思うよりも早いという事か……何だか、感慨深いなぁ」
「またそんな事を言って……サクラに怒られても、知りませんよ? 」
顔を見合わせ、くすり、と笑った後で、ふと、御用猫は顎に手をやる。
「それで思い出したが、何でサクラだけ、呼ばれなかったのかなぁ、オーフェン達が、くるぶしの術後の経過を診たかったのは分かるが、リチャードまで御指名とは……」
「はん! それなら分かりますとも! 」
突然に、背後からサクラが割り込んでくる。つい今しがたの上機嫌が嘘のように、何やら御立腹の様子であり、胸に抱かれたくるぶしが、きつく締め付けられてしぼんでゆく。
(風船か、こやつは)
「大方、イリヤラインの仕業なのです、ええ、分かりますとも、いやらしい! 私が居ると、邪魔されるとでも思ったのでしょうね、あの、はしたなエルフは! 全く、森の妖精が聞いて呆れるというものでしょう、はしたない、あぁ、はしたない! 」
ぷりぷり、と頭から湯気を立てるサクラは、何やら火が着いてしまったものか、リチャードにまで文句を言い始めるのだ。
「大体、リチャードもリチャードです、親愛の口づけだか何だか知りませんが、あんなに代わる代わる、軽薄にも唇を許し、だらしなく鼻の下を伸ばして! まったく、ふしだらです! いやらしい! 私、エルフというものは、もっと神秘的で、高貴な種族かと思っていたのですが、いたのですが! 」
以前の、世界樹での祭りの事を言っているのであろうか、自ら思い出し、また怒りが込み上げてきた彼女は、その細腕に力を込めるのだ。危機を察知したくるぶしが、じたじた、と暴れ始める。
「……あれは、黒エルフの挨拶だろ? 森エルフとは関係ないぞ」
「あの娘も参加していたでしょう! ゴヨウさんは黙って……いや、そうですとも! 」
びっ、と御用猫に向けて指を差し、サクラは眉を吊り上げる。
(う、しまった、余計な口を差したか)
迂闊に口を挟んだ事を、彼は後悔したのだが、些か、遅きに失したであろう。
「そうなのです! ゴヨウさんは黒エルフのしきたりを良い事に、所構わず、いつもいつも黒雀と、ちゅうちゅうちゅうちゅう! あぁ、はしたない、いやらしい! いくら子供だからといって、いえ、子供であるからこそ、分別というものを、今の内から教えてあげなければならないでしょう、黒雀は森で暮らすエルフ達とは訳が違うのです、クロスロードで生きるならば、それなりの、人間の常識というものをですね、きちんと弁えさせて……聞いているのですか! 二人とも! 」
いつ終わるとも知れぬ、サクラの説教を、右から左へと聞き流しながら。
(これは、そうか、荒事になるのかも、知れないな)
ふと、御用猫は思いつくのだ。
卑しい野良猫への頼み事など、他にはある筈もないのだ。おそらく、それは間違いないだろうと、確信を持てる自分に呆れながらも。
(まぁ、友人からの頼み事なのだ、荒事になろうとも、惨めに首を漁るよりかは、はるかに、まし、な仕事であろう)
申し訳なさそうに口を濁す、オーフェンの顔が目に浮かぶようで、御用猫は思わず、にやり、と笑う。
「真面目に聞きなさい! 」
「ふがっ」
顔面に押し付けられたくるぶしの腹は、しかし、なかなかに、柔らかいものであった。




