走れ執事!転生自転車チートで。
執事は激怒した。必ず、かの脳内お花畑の王子からお嬢様を救わねばならぬと決意した。
執事には恋愛がわからぬ。執事は、転生者である。前世では自転車として、レースを疾走して暮らしてきた。けれども今世仕えるお嬢様に対しては、人一倍に忠実であった。
むろん、執事には下心など、一切ない。もっとも時折、お嬢様から切ない眼差しを向けられることはあった。しかしそれを恋愛ととらえることは執事にとり、恥じ入るに価する不敬であったのだ。
今日夕方、お嬢様に付き添い執事は、歴史ある王城の夜会に出席した。
そこで驚くべきことに、お嬢様の婚約者であった王子が、片腕に下品な男爵の娘をぶらさげ婚約破棄を宣言してきた。そのうえ、ありもせぬ罪状を並べたてお嬢様を断罪し、牢獄に入れようとしたのである。
執事は激怒した。
呆れた王子、呆れた王家だ。生かしてはおけぬ。
執事は前世が自転車なだけあり、単純な男であった。お嬢様を横抱きにし、王子と男爵の娘をなぎ倒して疾風のごとく王城から走り去った。
お嬢様は聖女である。しかしもはや、こうなってしまっては神殿や実家には帰れぬ。どこへ行こうと王城からの追手がかかること、火を見るより明らかである。
残された途は只ひとつ。今夜じゅうにお嬢様を連れ隣国に逃げるコースであった。
走れ! 執事。転生自転車チートで。
路行く人を律儀に避け、先に通し、執事は黒い風のように爆走した。
広場で祭りの、その舞台のまっただ中を駆け抜け、観客たちを仰天させ、猫に素早く逃げられ、小川を飛び越え、少しずつ昇ってくる太陽とまったく同じ速さで走った。すなわち時速1.7億センチである。
陽は、ゆらゆら地平線より顔を出し、まさに最後の一片の夜闇も、消えようとした時。
お嬢様を抱えた執事は、疾風のごとく隣国に突入した。間に合った。
すぐ後ろに迫っていた追っ手たちも諦めざるを得ず、帰っていった。
追っ手も執事も気づかなかったが、その瞬間、王城が崩れ、王子も男爵令嬢もみな、下敷きになったのだった。
千年の歴史を誇る王城は聖女の力で保たれていたが、お嬢様が隣国に入ったことで、その力が届かなくなってしまったのだ。
「ありがとう。これからは、あなたと生きていきたいわ」
お嬢様は腕のなかから執事を見上げた。
「わたくしが、あなたを好きだと、知っているでしょう?」
「一生乗ってください、お嬢様」
うっかりと前世の自転車が表に出てしまった。
執事は、ひどく赤面した。
なろうラジオ大賞応募用、千文字短編。テーマは 「自転車」 。あの名作のオマージュです。




