尊敬
起床してスマホの電源を入れると、八時半になろうとしている時刻に思わず目を見開いたが、今日は日曜だったと思い直した。
起き上がり、昨日の事を思い出す。
あのチャラ男が、憤慨する程の熱意と誇りを持って仕事をしていたとは。
しかも、何よりも好きな存在であろう女に対してだ。
その時、スマホにLINEが届いた。
丁度、彼からだ。
〝今日、ふたりでのみ直すか〟というメッセージ。
今日は二人らしい。
昨日の事もあって合コンはもう懲り懲りなのだろうか。
もしくは昨日のお詫びをしたいのかもしれない。
了承する旨の返信をするとすぐに既読になり、〝7時にレオパルドでいいか?〟という、徳利とお猪口の絵文字が添えられたメッセージが届いた。
〝レオパルド〟とは以前、オリエンテーションという名の武勇伝を聞かされていただけの時間を過ごした、あのバーの事か。
なら、日本酒ではなく、ワインやカクテルの絵文字を使用すべきではないだろうか。
そう思いながら、了承を伝えた。
〝レオパルド〟の前に着いた。
LINEで確認すると、渡仲はもう店内にいるらしかった。
一度入店を経験した筈だが、店の扉から漂う独特な空気が、未だに僕を緊張させる。
息を吐く。
意を決して、ドアを開けた。
「うぃっす」
ドアベルの音に反応して振り向いたカウンター席の渡仲は、グラスを揺らして氷の音を立てながら僕に笑みを浮かべた。
隣の席に腰掛け、「お前もこれにすれば」という彼の勧めで注文したウィスキーで乾杯を交わす。
「うぅんー……」
ウィスキーを口を含んだ渡仲は分かりやすく口を〝へ〟の字にしながら唸った。
青汁や漢方薬でも飲んだかの様な表情だ。
明らかに無理をしている。
バーでウィスキーを吞むのがカッコいいと思っているのだろうか。
無理をしてまで吞む意味が分かりかねる。
仮にそれがカッコいいとしてカッコ良かったら何なのだろう。
そして、自分が好みではないにも関わらず、僕に勧めるのはもっと意味が分からない。
お前もカッコ付けろという事なのだろうか。
そう思いながら、ウィスキーを傾ける。
全く、美味しくない。
この魅力が分かるには年齢が足りないのか、嗜好が合わないのか、美味しくないウィスキーなのか。
気付くと数秒前の渡仲と同様になっていた表情を戻す。
「昨日、悪かったな、取り乱して」
彼の性格上、終始、昨日の事には一切触れずに自分の武勇伝を語り続ける可能性があると予測していた故、その第一声に少し驚きながら、「いえ」と返す。
「俺さ、ガキの頃、親から虐待受けてたらしいのね。親父は暴力、お袋は育児放棄。ほら、これ」
渡仲は英国旗がプリントされたシャツの上に羽織っている黒いGジャンの袖を捲った。
「親父に根性焼きされた痕。親父が熱がってる俺を見てげらげら笑ってたのは何となく覚えてる」
文字盤の大きな腕時計の上には、赤く小さな点がある。
「で、外のごみ捨て場に放り投げられて、そのままうずくまってたら、たまたまそこに先生が通り掛って助けてくれたんだってさ。痣だらけの傷だらけで、いつ死んでもおかしくない状態だったらしいよ」
渡仲は、しみじみとした口調で言った。
「あっ、そうだ、施設で誰かの財布がなくなった事があってさ、真っ先に俺が疑われて皆からすげぇ責められまくったわけ。もう、完全に濡れ衣よ。で、先生が皆を怒ったわけ。結局、財布は持ち主の奴が便所に置きっぱにしてたの忘れてたってオチ。すげぇ謝られたもん。あと、窓硝子が割れた事があってさ、そん時も責められまくったのを先生が庇ってくれたわけ。だから、〝ボール蹴ってたら割っちゃったぁ〟って、すぐ自白したもん」
それはお前なのかよ。
「命、救ってくれたし、皆から責められても、悪さしても、いっつも味方してくれてたからさ、だから昨日は、あの人が施設を退いてまで立ち上げたあの会社の事、侮辱されてる気がしてちょっと、カッとなっちゃったよ」
ふふっと笑うと、「空気、悪くしてごめんな。情けないわ」と詫びた渡仲に、「いえ」と返す。
彼の参田に対するリスペクトは並大抵のものではないらしい。




