事故
「うちの会社どう? 慣れた?」
「はい」
「仕事、楽しめてる?」
「はい」
「それは良かったぁ。変わった職場だけどアットホームな感じでしょ?」
「そうですね」
「分からない事があったら、何でも訊いてね」
「はい、ありがとうございます」
釣井の案内で角を曲がると、衝突事故を起こしたらしい二台の車と、そのでパトカーが停まり、警察が事情聴取を行っていた。
「あっ……、やっぱ……、あっち、から……」
釣井は何故か踵を返した。酷くうろたえた様子だ。
そして、釣井はその場にひざまずいた。
顔は青白く、汗だくだ。
「ちょ、大丈夫ですかっ!」
左胸を押さえる釣井は、苦しそうに息切れをし始めた。
過呼吸らしい。次第にそれは激しくなっていく。
「ちょっと、ここで休んでて下さいっ! すぐ戻りますからっ!」
過呼吸を起こした場合は、袋を口に当て、自分が吐いた二酸化炭素を吸い続ければ回復すると、以前観たテレビ番組で紹介されていたのを思い出した僕は、釣井の体を自販機に凭れさせ、目の前に建つコンビニに急いだ。
「小さい袋下さいっ! お釣りはいりませんっ!」
千円札をレジ台に放り投げながら言った僕は、女の店員がバーコードを読み取った五〇〇ミリリットルの水とビニール袋を、奪う様に素早く手に取り、店を出た。
そして、自販機に凭れたまま苦しそうな様子の釣井の元へ急ぎ、彼女の口にビニール袋を当てた。
「深呼吸して下さいっ!」
ビニール袋の底を握りながら、〝吸って、吐いて〟という掛け声を繰り返す。
すると、釣井の過呼吸は次第に治まっていった。
あの時、あの番組をたまたま観ていて本当に良かった。判断は間違っていなかった。
安堵しながら蓋を開けたペットボトルを釣井に渡す。傾けられたそれから水が、汗だくの首を伝う。
「ありがとう……、汰駆郎君……、助かったよ……」
釣井は手で口を拭いながら言った。
「あのさ、この事、二人には内緒にくれる? 特に先生は心配しちゃうからさ」
「あっ、はい」
水を再び口に含んだ釣井は深く息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「ホント、ありがとね、汰駆郎君」
「いえ」
「ごめんね、騒がせて」
「いえ、とんでもないです」
それから駅前に着くと釣井は、「じゃあ、また明日ね」と、無理矢理作った様な笑顔で手を振り、マンションに向かって行った。
思わず、安堵の息を吐く。良かった。
突然の事に頭が真っ白になったが、何とかなって本当に良かった。
初めての経験にかなり慌てたが、何とかなって本当に良かった。




