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4 情報はすぐに見つかる

 私は、殺される。の書き出しで始まる手紙が届いてから三日。それは三葉が事故に遭ってから三日が過ぎたという意味でもあるが、世間は驚くほど平和だった。


 何もない。

 まったく、何の変哲もない夏。


 朝の五時に起きて宿題と鈴姉のおさがりの過去問題集を解いてから、新聞を取りに行くと時間は七時を超える。ちゃっかり受験生をしている自分自身に内心で苦笑してリビングに入ると、すでに起きてアイスを頬張る鈴姉に新聞を催促する手招きをされた。

 朝の早い時間からアイスを食べて大丈夫なのだろうかという取り越し苦労な心配をよそに、新聞を読み始める鈴姉。

 早いと言っても八月である。太陽が昇れば気温も上がる。アイスが欲しくなるのも当然だ。そしてクーラーを効かせたリビングでぐうたらするのも鈴姉の夏の過ごし方ではあるのだが、新聞を率先して読むのは大変珍しい。

 決して進んで新聞を読むような姉ではなかった。

 真面目ではなくても、不真面目ではない。……なんて鈴姉はあまり見たくなかった。


「珍しいね。鈴姉が新聞読むなんて」

「そういう時もある」

「……そう」


 目覚まし時計を勝手に動かした鈴姉と同一人物だとは思えない口振り。いつもファンキーな我が姉が、今もパンクっぽい服装をしている我が姉が、優等生の大学生っぽく見える!

 出来る社会人みたいだ!


「真音、うるさい」

「何も言ってないだろ?」

「顔がうるさい」


 耳に髪をかける仕草(実際に耳に届く髪の長さではない)をして、新聞をめくる鈴姉は僕の方を見ないで言った。


 ――顔がうるさいって何。


 見てもいないのに。

 ふと、頭によぎった夏休み直前の朝の会話。目覚まし時計の件で釣られて思い出してはいたのだけれど、改めて思い返す。いつの間にか僕の話にすり替えられていたことも一緒に。

 今の僕には実感のない妙な質問。


「鈴姉、もしかして決めた? 十代の内にしておくべきこと」

「そうかもしれねぇ」


 男らしい返答にいつもの鈴姉だと安堵して、しかしカッコいい返事に少しだけ不安にもなった。

 さらに鈴姉の武勇伝が増えたら、弟としては複雑になる。


 複雑怪奇。


 姉の武勇伝を聞かされる僕。男としての価値がなくなりそうだ。

 言って止める鈴姉じゃないし、僕が鈴姉を止められるなんてことはあるはすがないのに。


「無理かもしれねぇけどな」

「え?」


 弱気な発言に驚く。

 僕が弱音を吐くとすぐに暴力や暴言を浴びせる熱血系の鈴姉が、「無理」という単語を使った。数々の武勇伝を語るその口から、ネガティブな言葉が飛び出した。

 あまりの衝撃で勢いのまま聞き返してはいるけれど、二度も同じ台詞を言う鈴姉ではなく、また事態を飲み込めないでいた僕も刹那以上の時間のおかげで頭にまで理解が追い付いた。

 さらに新聞をめくって読み進めているかと思うと、閉じて、立ち上がる。険しい顔の姉を、僕は初めて見た。


「走って来る」

「どこに!?」


 いくらジョギングを始めるには丁度いい時間だとは言っても、走る服装ではないし、何よりも突然の行動すぎる。


「適当に」


 革製のパンツを履いているのに、ただでさえ夏にする格好ではないのに、鈴姉は暑がる様子も見せずに新聞を丁寧に畳んでからリビングを出た。

 もちろん食べ終わったアイスの棒は捨てて。

 颯爽とした姿に、姉ではなくて兄なのではないかと疑った時期が何度かあるが、今日ほど強く感じた日はない。

 あれが姉であると信じろという方が不可能だ。

 例えば鈴姉が男だったと仮定しよう。

 多くの武勇伝を持つ兄だったとするなら、僕は今のような無個性に近い薄っぺらな性格をしていなかったかもしれない。

 人生ががらりと変わる。まったくの別物だったに違いない。

 自慢出来る兄を持った弟として、胸を張って生きていたに違いない。


 兄、だったなら。

 姉、ではなくて。


「なんで鈴姉って、女なの?」

「なんでかしらねぇ?」


 独り言に返事があった。声の方へ振り向くと、両親がキッチンの側で並んで立っていた。

 ネクタイを締める父親と、父親の鞄を持つ母親。


「最初は男の子だって言われてたのになぁ?」


 ねぇ? と顔を見合わせる両親は仲が良い。恋人時代がそのまま現在まで続いているというよりも、友達関係の最果てを見ている感覚に近い。

 僕たちの知らないところで恋人でいるのなら、子どもとしても文句はない。目の前にでべったりされるのに比べたら、ずっと良い。

 かと言って友達感覚の空気を目の当たりにするのも困る。お互いにその気がないように見えてしまうのだ。

 僕は逃げるようにして二階の自室へと戻った。

 直接「逃げた」と言われても仕方がない。

 間違いなく僕は「逃げた」のだから。

 部屋の中を見渡して、机の端に置かれたままの手紙が視界に入る。薄紫の封筒。

 内容はほぼ暗記した。


「そう言えば、三年前ってまだ中学入ってなかったな」


 小学校六年生当時、僕は今とさほど変わらない小学生だった。取り立てて話すことが何もなく、平凡極まりない存在だった。その頃は委員長だった早乙女も強烈なキャラクターだったし、別のクラスではあったけれど、三葉だって人気者だった。その二人を羨ましいと思ったこともないし、目立ちたい性格でもなかったから、変わることなく中学三年生になっている。

 これと言った思い出の無さは自分でも呆れる。鈴姉に「中学時代の間にしておくべきことをしろ」と言われるのも納得出来る。

 新聞を見て、どの記事を読んだのかは分からないまでも突然走りに行くと家を出た鈴姉を見習おうではないか。


 僕はパソコンを起動させた。


 三年前ともなるといくら小学校最後の夏だったとしても覚えている記憶なんてあるわけがない――だって僕なのだ。それに、手紙の主と僕の記憶に共通する何かがあったとも思えない。


 ――三年前の八月の真実に、私は気付いてしまった。


 その三年前の八月に起きたことを知れば、手紙の意味もおのずと分かるだろう。ならば殺される未来を避けられる可能性だって起こり得るはず。

 病院で早乙女に手紙を見せた時、この手紙は僕の家に直接送り届けられたものだと言った。郵便局を経由せずに届けられたものだと。

 直接、手紙を書いた本人が、僕の家に来て、僕の家の郵便受けに手紙を入れて行った。


 三葉莉胡。

 早乙女未樹。


 この二人のどちらかが僕に嘘を吐いている可能性だってあるけれど、どちらにしても三年前の夏の出来事を知らなければその嘘が嘘であるかどうかも分からないわけで。

 ネットに繋げたパソコンの検索エンジンに適当な文字を打ち入れて検索を開始する。地域は半径五キロ圏内から絞り、これで有力な情報が無ければ範囲を拡大して調べる。地道な作業だし早く起きすぎる生活リズムを作っているのでなかなかに目が疲れやすい。いつもは朝の勉強が終われば二時間ほど寝るのだけれど、善は急げということわざに従っている。調べ終わったら寝ればいいのだ。

 暑い時間の行動は、なるべく避けたい。

 暑いのは寒いのよりも苦手だ。


「見っけ」


 思いの外ヒットするのが早く、嬉しさのあまり独り言を呟いた。音楽を口ずさむことは多くても(たいてい鈴姉の口笛が原因)独り言は言わない方だ。なのに、珍しい。

 一人で調べて果たして時間が足りるのかと不安を覚え始めた瞬間だっただけに、喜びもひとしお。

 なんと調査時間はたったの五分。

 駅から五分――みたいなお得感。

 今ならこの抗菌まな板が付いてきそうなところまで想像して、意外にもテレビっ子であると晒しただけで終わった。……意外でもなんでもないか。

 テレビっ子と言っても、外国人がしている吹き替えの通販番組が好きなだけで、クラスの中でも同じ人種が少なからずいるのだから、テレビっ子だとは一概に言えないかもしれない。

 どうしてああいう大袈裟な吹き替えの番組は面白いのか。

 話を戻す。


「女子大生の自殺……?」


 鈴姉ならば現役の大学生だ。でもこれは三年前の新聞記事で、当時まだ高校生だった鈴姉が関係しているとは思えない。

 高校でも数多の武勇伝を保有する鈴姉である。その中に大学生が関わっていたという話は聞いたことがない。

 それらしい情報は他になく、しかしこれだけで十分な収穫だと言えた。

 僕が今通っている中学の裏山――早乙女が話した怪談の舞台となった場所である――で、首吊りの死体が発見されたのだ。


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