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5 幽霊は委員長を知っている

 怪談に限らず、人は「知らないもの」「分からないもの」に恐怖心を抱くそうだ。子ども時代に苦手だったものが大人になるにつれて苦手ではなくなるのと同じものだと、僕は認識しているけれど、ではどうして怪談、幽霊に恐怖心を抱くのか。それはきっと、恐らく、多分、「見えないから」だ。細かく分類すれば理由は数多あるのだろうけれど、現段階における僕らの恐怖心は「見えないから」でほぼ統一される。


 聞こえるのに――見えない。

 見えるのに――存在が認知出来ない。

 故に僕らは、怖いのだ。


 見える人は怖くないし、存在が認知出来る。それが出来ないから、見えない人は見える人に畏怖する。

 見えないのに、聞こえないのに、怪談や怖い話を聞くのが好きな人類がいる。


 僕は彼らの存在を否定するつもりはないが、恐怖心を覚えつつもどうしても聞きたくなる心理は、本を読む楽しみに似ているのかもしれない。

 怪談にしろ、幽霊になった経緯にしろ、ストーリー性があるからだ。

 ストーリーがあれば先を気にするのは道理。自然の摂理だ。そこに好みが加わればなおさら。


 まぁ僕は、ホラーなんて苦手なのだけれど。


*****


 裏山で謎の声を鈴姉と聞いてから一日。

 八月九日。

 僕はある家の前で右往左往していた。

 挙動不審。

 いつ警察官に職務質問されてもおかしくはないと分かっていても、踏ん切りがつかずにいた。


 表札に「日浦」と書いてある家の前に、僕はいた。三年前の夏に裏山で亡くなった日浦舞菜さんの家だ。

 家の場所を調べて家の前まで来るのは良かった。問題はその先だった。


 ――どんな理由でインターホンを押せばいい?


 無関係の僕が日浦家にどんな用事があってやって来るのか。中学生の僕なんかが「三年前の自殺の真実について調べたい」と言って「はい、そうですか」と言って入れてもらえる家かどうかすら分からないというのに。


「どちら様?」


 ああ! 違うんです! 怪しい者じゃないんです! だから警察だけは勘弁してください!!

 咄嗟に声のした方へと凄まじい勢いで頭を下げた。


「あらあら、どうしたの? 迷子にでもなったのかしら……」


 心配する優しい声に不信感はなく、純粋に僕に声を掛けてくれているらしかった。恐る恐る顔を上げると、白髪混じりの髪が太陽に反射して目を細める。目が光に慣れると、困った顔をした中年の女性が顔を覗き込んでいると分かった。


「……えーっと」

「もし、時間があるのなら上がりなさいな。冷たい麦茶を出してあげるから。熱中症になってしまうわ」


 一言、『おばさん』と表現出来るその人は、にっこりと微笑んで一軒家を指差す。

 日浦家の、立派な家を、指差した。

 流されるままに日浦家のリビングで冷たい麦茶をごちそうになっている僕の頭の中はまだ真っ白で、何がどうなっているのか理解出来ずにいた。偶然声を掛けられた相手がまさか日浦舞菜さんの母親だなんて、どんな偶然だろう。


 いや、家の前でうろうろされていれば声を掛けずにはいられないか。

 僕のミス――いや、作戦通りというわけだ。


「そう、風丘くんは中学三年生なの。じゃあ……莉胡ちゃんも今それくらいかしらね」


 リビングの豪奢(少なくとも僕の家より)なソファに腰掛けたおばさんは、お盆を膝に乗せたまま僕の顔をじっと見る。懐かしむような目から逃げる気がまったく起こらない。おばさんの目が寂しそうで、きっと娘の舞菜さんを思い出しているからだ。

 それよりも、おばさんの口にした名前に意識が奪われた。


「莉胡……って、三葉莉胡のことですか?」

「やっぱり知っているのね! そうだと思ったのよ、おばさん」


 女の勘ってやつかしら。と嬉しそうにおばさんは言う。


「良かったら、舞菜の部屋を見ていってもらえない? 舞菜が亡くなってから莉胡ちゃんも来なくなって、あの子の部屋を開ける機会がないから……」

「…………」

「あの子が死んでから、もう三年になるかしら。娘の舞菜と莉胡ちゃんはね、毎日のように一緒に遊んでいたの。舞菜にとっては妹みたいな存在でね。私も嬉しかったわ」


 返す言葉も、挟む言葉も出ない。

 一通りの事情を調べてはいても、当事者――遺族の言葉はただの中学生でしかない僕には重くのしかかる。


「やだわ、暗い話になっちゃって。ごめんなさいね?」


 おばさんの顔を、見れない。

 望んでいた日浦舞菜さんの部屋に入れるというのに、気が進まない。

 先に進めると分かっているはずなのに、気が乗らない。


「死んだ人の部屋に入るのは嫌、よね……?」


 悲しげな顔のおばさんに罪悪感が募り、慌てて「ぜひ、見せてください!」と声を張り上げた。娘を失った悲しみから、人と話す機会が減っているのかもしれない。寂しがり屋のおばさんに図られたというのが真実に近い。


「さぁさぁ、こっちに来てちょうだい」


 意気揚揚と立ち上がるおばさんの後を追いかける。

 舞菜さんの部屋は二階にあった。

 扉には手作りと思われる名前プレートが掛けられていて、扉を開けると恐らく当時のままの部屋が現れた。当時のままと言っても、今回のように誰かを連れておばさんが部屋に入った痕跡が見える。

 たとえば、部屋の中央に置かれたテーブルの上の五冊のアルバム。

 学習机にこれ見よがしに置かれた日記帳。

 本棚に飾られた笑顔の写真とトロフィー。


「うふふ、風丘くんは女の子の部屋なんて初めて?」

「女とは言えない姉の部屋なら何度か……」

「風丘くんにはお姉さんがいるのね。その様子だと舞菜と莉胡ちゃんみたいに仲は良くなさそうね」

「一方的にこき使われてます」


 頭に浮かべてみた鈴姉の顔は、とても悪い顔で笑っていた。

 アルバムを愛おしそうに捲っていくおばさんは僕の話を笑って聞いてくれていた。何度そうやって他人を招き入れてアルバムを捲っているのだろう。誰も来なくても、アルバムを捲っては生きていた頃の舞菜さんを思い起こしているのだろう。


 僕はなんて軽い気持ちで来てしまったのか。

 手紙の主を突き止めたいだけで、その流れで日浦舞菜さんに行き着いただけで、こんな出会いがあるなんて思いもしなかった。

 ここで、どうしても共通の人物の存在が役立った。気になってはいたが、いつどのタイミングで話題に出せばいいのか迷った末の今。


「あの、三葉はどうしてここに来ていたんですか?」


 おばさんの見ているアルバムを盗み見るに、随所に小さい頃の三葉の姿が舞菜さんらしき人物の隣に並んで映っている。

 楽しそうに、笑って。

 なんの変哲もないその写真に、僕は得も言えぬ恐怖を感じた。


 既視感。


 三葉ではなく。

 日浦舞菜という、写真の中の女の子に。


「その人……」


 今の三葉に、そっくりだ。


 そっくりなんてものじゃない。

 細かな顔の造形はもちろん違っているが、雰囲気や、髪型、笑顔の作り方までも。


「この子が舞菜よ。私の一人娘。隣にいるのが莉胡ちゃん。どうやって知り合ったのか分からないのだけれど、いつしか家に来るようになっていたわ」


 舞菜さんが亡くなってから来なくなった三葉は、写真の中の舞菜さんと瓜二つだった。

 気味の悪い相似感。

 大人になるにつれて美人になってはいるが、外見の特徴はほぼ変わらない舞菜さん。中学時代から高校時代にかけての姿なんて、本当に中学三年現在の三葉莉胡と一緒だ。


 気になるのは、口調。


 誰に対しても敬語であるかどうかが気になってきた。


「あの、日記を見てもいいですか?」

「どうぞ。自由に見ていいわよ」


 舞菜のことを知って、生きていたことを覚えていて。と言外に言われた気がして、僕は息を飲み、覚悟を決めてから日記を手に取った。

 もう何冊も書いているのか、最初のページは三年前の三月から始まっていた。



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