姉も山にいる
恐ろしい推理だと、自分でも思う。
怪談よりも何倍も恐ろしい話だ。
だって、幽霊から手紙を貰ったようなものだぞ。
現実味もないし、現実的でない。
見えないからこそ信じられない――まさにそうだ。
死体を見つければ、信じられるかもしれない。信じたいわけじゃない。でも、手紙の理由を見つけたい。
手遅れかもしれなくても。
手掛かりは樹齢六〇〇年超えの木だ。推測するに、裏山で一番大きな木だろう。貫禄があって、いかにもって感じの……。
「真音?」
決して広くはない裏山は、一瞥すればほとんどの景色が一望出来るはずだった。
樹齢が六百年を超える木であれば、すぐに見つかるものだと思っていた。有名になってテレビで取り上げられてもおかしくはない。
すっかりそんな大木がある前提で話を進めていたが、その木を直接見た人間っているのだろうか?
「真音、無視かよ?」
「聞こえてるよ、鈴姉」
「聞こえているなら返事しろよ、馬鹿」
「いって!」
どうして裏山に鈴姉がいるかなんて、考えるだけ時間の無駄なのである。頭をはたかれはしたが、向かい側からやって来た鈴姉を視界から外す芸当を、僕は持っていない。
秦さんと別れてからまだ五分と経たない内に出くわした。
「鈴姉、あれからずっと走ってたの?」
「休憩は挟んだぞ?」
「……あ、そう」
僕の知る限り、鈴姉は朝も昼も食べていないし、財布も持たずに家を出たはずだ。それなのによく走れるものだ。感心はしない。
汗は掻いているが暑そうな素振りや様子はなく、流れ落ちる汗を時折頭を振って振り落としている。どこまでも爽やかだが、気の所為だ。
「真音はなんでここにいるんだ?」
「ちょっと確認作業というか」
「ふうん」
特に興味もなさそうな相槌。
「鈴姉、ご飯食べないの?」
朝から何も食べずに数時間も走っていれば、倒れない方がおかしいと弟として心配したものの、返ってきた言葉にやはり鈴姉だと、こればかりは感心せざるを得なかった。
「中学の知り合いに会ったからブランチをごちそうになってきた」
奢らせた、の間違いではないかという感想は必死に飲み込んだ。
心配するだけ損をさせてくれる姉だが、これほどまでに「ブランチ」という単語が似合わないのも珍しい。
「それで、確認作業って何の?」
にっこりと悪意のある笑みを浮かべる鈴姉。
しまった。これは尋問タイムか!?
姉の立場を利用して、あまり聞かれたくないことも無理に話させようとする強硬手段。
「い、いやぁ……」
濁してこの場を去りたい気持ちは十分にある――が、鈴姉である。裏山を庭と言っても過言ではない鈴姉である。
話して手伝ってもらうのも、有りなのではと僕の中の悪魔が囁く。自分で調べないと意味がないという天使の声が遠くから聞こえた。
「もしかして、あれか? 山に聞こえる女の声の正体を探すのか?」
「え、鈴姉知ってるの!?」
「おい、ねーちゃんを誰だと思ってるんだ? それくらいのネタはねーちゃんが中学の時にもあったぞ」
「なんだって!? ……って、そりゃそうか」
声が聞こえるだけの話なら誰もが知っているくらいだし、もう古い。それ以上のことは、鈴姉だって知らないはずだ。
クラスの誰もが知らなかった話――怪談。
「じゃあ、これは?」
もしかして知っているかも、という可能性を捨てきれず、僕は確かめるつもりで聞いた。
「女の人が恋人を探してさまよい歩いているって話」
「ふうん?」
興味が出てきたのかそうでないのか、曖昧な態度の鈴姉は僕の言葉の続きを待っているようだった。
どうやら新しい話は知らないらしい。
僕はさっき秦さんにも話したことと一言一句同じ内容を話した。舞台となるまさにここ裏山の話をするのはなんとなく雰囲気がある。
秦さんに話した時にはなかった緊張感。話す相手が身内で、上手く伝えようとか、自分をよく見せようなんていう余計な気遣いをしなくていいからだろうか。
「それでさ、鈴姉。以前の噂でははっきりしていなかった声が、今回は聞こえるっていうんだ。確か……」
「……私はここにいるの……」
「そうそう。そんな感じの声。なんだ、鈴姉だって知っているじゃないか」
なあんだ、と落胆と安堵が交じった溜息を吐き出してみると、鈴姉は怪訝そうな顔をしていた。
「ねーちゃんは何も言ってないぞ?」
「おいおい、冗談はよしてくれよ。だって今……」
「冗談はよしてくれ? それはねーちゃんの台詞だろうが。ねーちゃんだって一応女子だぜ? 怪談話は怖いに決まっているだろうが」
突然女子アピールされても、それこそ冗談はよしてくれ、だ。
だがしかし。
鈴姉ではないのなら、さっきの声は誰だ?
見渡す限り他に誰もいる気配はないし、秦さんの声でもなかった。明らかな女性の声。
「鈴姉も、聞こえた……?」
「……ああ。バッチリ」
耳に聞こえていたと思われた声だったが、よく思い返せば脳内に直接響いていた気がしなくもない。
葉の擦れる音でも、鳥のさえずりなんかでもない。
「なぁ、真音。その怪談って、誰かの体験談か?」
「……ええと」
思い出せ、思い出せ。
早乙女は話の冒頭にそんな話をしていたはずだ。怖さを助長させる言い回しをしていたはずだ。
「そうだ。マジな話って言ってた! 体験談とは言っていなかったけれど……」
比較的新しい怪談だから、知名度は低いけど信憑性は高く、声が聞こえる話の上位互換とも取れるけれど、その辺りは自己判断でよろしく。とも言っていた。
「いよいよ冗談はよしてくれよって話じゃねーか、おい。中坊って言えばマジなやつほど信用出来ないものではあるけれど、しかしこれは、聞いちゃった声は記憶から消す以外に忘れる方法はないぜ?」
「鈴姉、落ち着いてくれよ。鈴姉が冷静じゃなかったら僕は一体全体どうしろっていうんだよ?」
「ねーちゃんはいつだって冷静だ」
と言った鈴姉は引きつった笑顔。頼りになる鈴姉が取り乱す姿を見たくなかった。
特にこんな現状で。
「す、鈴姉。僕はその怪談について調べてみようと思い立ったわけなんだ。丁度良かった、教えて欲しいことがあるんだ」
「……教えて欲しいこと?」
いつも通りの僕を無理やり作ると、鈴姉は平静を取り戻してくれた。立ち直りの早い姉で助かる。
かくして僕は目的を白状する羽目になったけれど、仕方ない。
「樹齢六〇〇年を超える木を探してるんだけど……」
しどろもどろだったかもしれない。中学生の話す怪談を信じただけでも驚きなのに、さらに話を進めている僕自身にも驚きだ。
何より、行動に起こしている時点で天変地異が起きかねない。
さすがにそれは言い過ぎか。
僕の問いに鈴姉は言った。
僕を疑うような目で。
蔑むような目で。
今まで怖がっていたのが不思議なくらいに。
「樹齢六〇〇年の木? そんなもんねーよ」
僕は沈黙した。




