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第61話 終末を告げる月光(2)

「賑やかね……籠城戦の最中だなんて嘘みたい」


 エスティム南地区の夜の繁華街をラシードと並んで歩きながら、メリッサは人通りの多さと街の活気に改めて驚かされる。神聖ロギエル軍の攻囲が続き、物資の不足と死の恐怖が市民たちの生活を苛んでいるのは確かなはずだが、こうして中心街の様子を一望してみただけではそれがほとんど感じられない。


「敵にはここまで一歩たりとも市内への侵入を許してないし、籠城戦を見越して備蓄しておいた食糧もまだまだある。それに何より、この街は昔から幾度となく大軍の侵攻を跳ね返してきた歴史があるんだ。今回もきっと大丈夫だろうって、みんな信じてるのさ」


 どこか自慢げにラシードが言うと、メリッサは面白くなさそうに小さく頬を膨らませる。古代から何度も各宗教による争奪戦の舞台となり、その度に防備を強化されてきた聖地エスティムは今や世界屈指の堅固さを誇る城塞都市ともなっており、これほどの余裕を見せつけられると攻め落とすのは不可能ではないかと思えてしまいそうになるが、だからこそ彼女は攻略の手がかりを求めてこうしてこの街に潜入しているのだ。


「あ、何あれ?」


 不意に話題を逸らすように、メリッサは通りに面して並ぶ露店の一つを指差して声を上げた。どうやら遊戯を体験できる子供向けの出店らしく、小さな男の子が手に持った木の棒から伸びたゴム紐の先に石を引っかけ、遠くに置かれた的を狙ってその石を飛ばしている。


「射的だな。投石機の玩具(おもちゃ)――いわゆるパチンコだ」


 もっと大型の投石兵器ならリオルディア軍も保有していて相当の殺傷力があるが、この出店で子供たちが撃っているのは威力が低くて危険性の小さい粗末な玩具である。興味を引かれたメリッサは、自分もやりたいと腕を引っ張ってラシードにせがんだ。


「ねえ。やってみましょうよ。面白そうじゃない」


「あれなあ……実は嫌な思い出があるから出来れば見たくもないんだよな」


「えっ、どういうこと?」


 浮かない声で拒否反応を示すラシードの顔を、メリッサは不思議そうに覗き込む。理由を彼女に言うべきか否か、迷ったようにしばし沈黙してからラシードは答えた。


「子供の頃、マムルークの学校で同級生の悪ガキどもにあれでよく撃たれたんだ。玩具と言っても石は石だからな。当たると結構痛いんだよ」


「人に向けて撃っちゃ駄目に決まってるじゃない。ひどいわね」


 昼間にハル・マリアで自分と口論になったサディクという武将はいじめっ子で、子供の頃のラシードは学校で彼と喧嘩ばかりしていたらしいとミリアムが話していたのを思い出してメリッサは顔をしかめる。やんごとなき貴族の令嬢として安全な環境で大切に養育されてきた自分とは全く違う荒々しさの中でこの男は育ったのだと改めて彼女は実感し、そして憤った。


「どうした。凄く不機嫌そうな顔をしてるぞ」


「だって、私のレオ様にそんなひどいことした奴がいたんだと思うと、怒らずにはいられないわ」


 腹立ちを隠せないメリッサに、何を今更、とラシードは彼女の世間知らずさをからかうように乾いた笑いを返す。


「学校ってのはそんなものさ。同じ年齢ってだけでどんな奴でも一緒の教室に押し込めるから、優しい奴や立派な奴もいるが人を苦しめることを楽しむような残忍な奴もそれなりの数いる。パチンコで撃たれるくらいならまだマシな方で、もっと(むご)いいじめも山ほどあるし、それがつらくて自殺する子供だっている」


「世の中には悪い人もいるのはどうしようもない現実だけど、そういう子はしっかり躾をしてから入学させるべきでしょ? 他人に危害を加えないようにする程度のことは習得できて初めて、集団に加わる資格を認められるべきじゃないかしら」


 自分だって生まれつき大人しい性格などではなかったが、最低限の礼儀や親切心くらいは身につけてから人前に出されたものだったし、まだ腕力も判断力も未熟な幼少時に平気で他人を攻撃してくるような人間と同じ檻に放り込まれていたらさぞ大変だったことだろう。昔の自分を思い出して考えつつメリッサが納得しかねるように言うと、ラシードもうなずいた。


「子供の頃、俺もそう思った。誰かこいつら何とかしてくれよってな。でも大人たちはなぜかそうしない。世の中は厳しいんだから甘ったれるなとか、いじめられる方に原因があるんだから自分を変えろとか、訳の分からないことを言って子供が苦しむのをみんな放置してた」


 珍しく愚痴を言うようにラシードは語った。あまり心の古傷を抉るような話になってはまずいと気にするメリッサだったが、話の内容とは裏腹にラシードの表情は妙に明るく、目もしっかりとどこか遠くを見据えている。


「でもいくらおかしいと思っても子供にはどうしようもないからな。もっと強くなって、偉くなって、そういうのを変える力のある人間になって自分の手で世の中を良くしたいと思うようになった。暴力や争いのない、誰も苦しんで泣いたりしない、平和な世界を作りたいってな」


 予期せず興味深い方向に話が逸れ始めたので、メリッサはつい先程まで煮え立っていた怒りの感情を忘れて真剣に聴き入る。十年前にあの襲撃事件で行方不明になってからずっと、彼がどんな思いでこの国で生きてきたのかについてはまだ聞けたことがなかったのだ。


「もしかして、それでマムルークの道を……?」


「ああ。まあマムルークの訓練学校に入ってからそう思ったって話だから後づけではあるんだが、どうせならこの道を頑張って進んで高い身分の将軍に成り上がってやろうと決心したのはそういう理由だ。マムルークは出自は卑しい奴隷だが、今や貴族たちさえ恐れるこの国の有力者だからな。教育のあり方みたいな(まつりごと)の問題にも、マムルークになれば色々と口出しできる」


 精鋭のマムルーク軍団は戦乱の度に活躍して王朝内での発言力を増し、今や旧来の貴族層を脅かすほどの存在となりつつある。戦士階級が武力に物を言わせて台頭し政治を牛耳るというのは普通に考えれば傾国の事態と言えるだろうが、低い身分の出身でも戦功次第では上に立って国を動かせるようになると考えれば、民にとっては希望を開いてくれる良い一面もある制度なのかとメリッサは頭の中で考察を巡らせつつうなずいた。


「それに結局、こういうのは学校だけの問題じゃないんだ。領主が山賊や海賊を真面目に取り締まらないから弱い民たちが襲われるんだし、国が少数派の声を無視して押さえつけようとするから国内の異教徒や異民族に不利な法ばかりが作られる。人は神の前に平等だなんて綺麗事を言いながら、実際は公然と差別がまかり通っていたりもする。大きくなるにつれて、そういう社会の課題みたいなものがいくつも見えてきてな。絶対に偉い将軍になって、俺がこのアラジニアの人々をもっと幸せにしてやるんだっていう決意が強まったよ」


 今の自分にはまだまだそこまでの力はないが、と自嘲するラシードに、メリッサは敬意と励ましを込めた笑顔を送る。閉ざされた温室のような世界で穏やかに育っていた昔のレオナルドには持ち得なかったであろう熱い志が今のラシードの胸に(たぎ)っているのは彼女にとっては新鮮であり、小さからぬ感動さえ覚えるものだった。


「素敵ね。立派な目標だと思うわ。あなたみたいな人が治めるようになれば、きっといい国になるでしょうね。でも……」


「……でも?」


 運命の皮肉に思いを巡らせながら、足元に視線を落としてメリッサは言った。


「十年前のあの事件さえなければ、あなたはこうしてアラジニアに来ることはなかったし、元々リオルディアではいずれ自動的にそういう地位は手に入るはずだった――」


 メリッサが重苦しい声で話し始めたその時、遠くで悲鳴が上がり、それから大きな爆発音が響いた。二人がハッとして見上げると、街灯の松明に照らされて夜空に白く浮かび上がった煙が立ち昇っている。


「感じるわね。ゼノクの魔力……」


「ああ。どうやらまた暴れ出したようだな」


 強くおぞましい魔力を人外の第六感で感じる。顔を見合わせた二人は、路上の人混みをかき分けて爆発が起こった場所へと急いだ。

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