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第49話 勇者への復讐(1)

 ガルーダゼノクとプルモーゼノクが倒された日の翌日に当たる、六月二十二日。まだ日付が変わったばかりの深夜のことである。

 

「眠れないよ。お父さん」


 エスティム西地区の十番街の外れに佇む、石造りの一軒家。その二階の奥にある寝室で、五歳のアリーフは一緒に寝ている父親にそう言って愚図った。


「この暑さだからな。寝苦しいのはしょうがない」


 大人でも堪えるほどの熱帯夜の不快さに、父親は参った様子で掛けていた布団をめくり上げると、大きく寝返りを打って息子の方に体を向けた。


「じゃあ、眠れるようにまた父さんが昔話をしてあげよう。お前の大好きな勇者ダーウードの話だ」


「うん。聞きたい!」


 この地にアラジニアの王朝がまだ開かれていなかった三百年以上前、勇敢な若者だったダーウード・イブン・ナージーは天から下りてきた悪い堕天使たちと戦い、彼らの魔の手から人々を守ったという。父親がアリーフに語り始めたその英雄伝はこの国では有名な語り草となっており、例え小さな子供でも知らない者はいない。


「ダーウードは神様から授かった聖なる剣を取り、アドラメレクという悪い天使と戦って右の肩を斬りつけたんだ。アドラメレクは傷を負い、大慌てで天に逃げて行った。アドラメレクの炎で村を焼かれてしまった人たちはとても喜んで、ダーウードに心から感謝したんだよ」


「格好いいなあ。僕もダーウードみたいになりたい!」


「きっとなれるさ。お前は、そのダーウードの血を母さんから受け継いでいるんだからね」


 数年前に病で死んでしまった妻のことを思い出しながら父親は言った。英雄ダーウードの血は、その子孫である彼女を通してアリーフの体内にも流れている。亡き妻の実家に言い伝えられてきたダーウードの末裔だという話が本当かどうか確かなことは分からないが、そう信じることで彼は愛する息子をより誇りに思えるし、きっとアリーフ自身もそうだろう。


「ダーウードはただ強いだけの乱暴な男なんかじゃない。とても優しくて、決して思い上がったりしない謙虚で立派な人だったんだ。体だけでなく心も強くてこそ、本物の勇者だからね」


 父親の語りを聞きながら、アリーフはうとうとと眠りに落ちてゆく。夢の中では憧れのダーウードが勇ましく剣を振り回し、炎を吐いて暴れるアドラメレクと激しい戦いを繰り広げているに違いなかった。


「呪われた罪の仔め。生きることは許されぬ」


 家の外。親子がいる二階の寝室の窓を見上げながら、蜥蜴(とかげ)、あるいは竜を彷彿とさせる赤色の魔人は鬱積した怨念を吐きかけるかのように言った。とうの昔に癒えたはずの古傷が、今も疼くような気がする。自分の右肩をそっと撫でたサラマンドラゼノクは家の玄関の前に置かれていた大きな木の樽を睨みつけると、指から発した火炎をそれに浴びせて炎上させた。


「憎きダーウードの血を引く者は、この私が滅ぼし絶やす。奴のように先祖から受け継いだ禁断の力に目覚め、我らに牙を剥くようになる前にな」


 樽を包んだ炎は家の扉から室内へと燃え移り、勢いを増して建物全体を焼き尽くしてゆく。夜の闇を眩しく照らす業火を眺めながら、サラマンドラゼノクは勝ち誇るように肩を揺らして(わら)った。




 一軒の民家を全焼させた深夜の火災は、駆けつけた憲兵隊の消防班によって明け方までには消し止められた。


「火元はこの樽ですね。燃え方が特に激しいのがその証拠です」


 二階の寝室からは、無惨に焼け焦げた父子の遺体が発見されている。現場の状況を検分して、カリームは出火場所を樽が置かれていた家の玄関前だと断定した。


「だが、樽の中身は空だったそうだな。何か発火するような物が入っていなかったとなると、やはり放火か」


 燃え具合の異様な激しさを見ても、自然発火ではなく意図的に強い炎を浴びせられたとしか考えられない。幼い子供も犠牲となった凄惨な放火殺人事件に、ラシードは吐き気がするほどの強い不快感と憤りを覚えた。


「周囲に燃え広がる前に鎮火できたのは不幸中の幸いでした。アレクジェリア大陸軍を相手に籠城している今この時に、ご城下が大火事にでもなってしまえば一大事ですからね」


 ダーリヤが言うように、戦時下での火災はこのエスティムを攻囲している神聖ロギエル軍にも突入の隙を与えることになりかねない。この家の住人である親子を殺めたのみならず街全体をも危険に晒したという事態の重さを鑑みれば、放火犯は必ず捕らえて厳罰を下さねばならないだろう。


「それにしても、相当の高熱ですよ。木でできた樽が黒焦げどころか、一部は溶けて蒸発してしまっています。こんな熱を、犯人はどうやって発生させたのが不思議ですね」


 火打石や松明などを使って普通に着火しただけでは、炎はここまでの高温にはならない。現場検証を進めていたカリームが、異常に気づいて首を捻った。


「もしかして、犯人はまたあの魔人……ゼノクなのかしら」


 運び出された親子の遺体の方を調べていたハミーダが近づいてきて言った。凄まじい魔力を持つあの異形の怪人たち――ゼノクならば、通常は発生し得ないような超高熱の火炎を魔法で作り出せてもおかしくはない。


「毒を使う通り魔と皮膚病を起こす疫病神に続いて、またゼノクの犯行ですか。戦も大変ですけど、こっちの方も切りがなくて頭が痛くなりそうですね」


 疲れたように溜息をつきながらダーリヤが言うと、ラシードはやや気まずそうに彼女たちから視線を背けて曖昧に言葉を濁す。


「そうだな。まあ何と言ったらいいのか……」


 既にターリブから説明があった通り、今この聖地で起きているゼノクの戦いは神々の抗争である。アラジニア人が崇める神ジュシエルとヨナシュ人を守護する神ザフィエルが、配下の天使や信徒の人間たちを手駒に用いて熾烈な戦争を繰り広げているのだ。今回の放火もゼノクの仕業であれば恐らくその争いの一端だろうが、そうした悪寒を誘われるような壮大で空恐ろしいこの世界の構造についてラシードはまだ部下たちには話せていない。


「いずれにせよ、これは決して許すことのできない凶悪な事件だ。何としても犯人を捜し出し、捕まえて厳しく罰さなければならん。例え相手が天使だろうが悪魔だろうが容赦はしないぞ」


 捜査のため部下たちを街に散らせたラシードは、自らも焼け落ちた家の付近を回って手がかりを探すことにした。このような事件では、犯人は様子を見るために犯行現場へ戻る傾向があるという。どこかに不審な人物はいないか、ラシードは道行く人々を注意深く観察し、彼らの話し声に耳をそばだてながら街路を歩いた。


「犯人はきっとヨナシュ人だ。奴らは俺たちアラジニア人を恨んでるからな。このくらいはしてもおかしくない」


「あの人でなしどもめ! 子供まで焼き殺すとは、なんて残忍な連中なんだ」


 犠牲になった親子はアラジニア人だということで、民衆の間には早くも犯人はヨナシュ人だと決めつける噂が広まり始めている。互いに争い合う神々の思惑に動かされて、ザフィエル教徒のヨナシュ人がジュシエル教徒のアラジニア人を殺したという可能性は確かに考えられるが、民族対立が激化してヨナシュ人だというだけで誰彼構わず憎悪を向けられてひどい仕打ちを受けるようなことがあってはならない。


「早く犯人を見つけ出さないと、噂がどんどん広まってまずいことになりかねんな」


 ロギエル教徒のアレクジェリア大陸諸国と聖地を巡って宗教戦争をしている最中だというのも、市民たちが普段以上に異教徒に対して神経を尖らせている原因だろう。こうした噂や中傷はやめろと言ってもなかなか止まるものではなく、沈静化のためにはとにかく一刻も早く真相を解明して人々の前に提示するに限る。ラシードはそう考えて捜査のために歩く足を速めた。


「神様だったら、人間たちのために誰が犯人なのか教えてくれてもいいと思うがな」


 手がかりを探すのに苦労していたラシードは、ふとそんな風にぼやきたくなる。もし自分がジュシエルやザフィエルの立場だったら、可愛い信徒たちのために奇跡でも起こしてすぐに真犯人が分かるようにしてやるだろうに、と。だが現実には、神というのはそういう大事な時に限ってなぜか腰が重く、人間界の問題にはなかなか介入しようとしてくれないものなのだ。


「神頼みなんてやめて、人事を尽くすしかないか」


 ラシードがそう呟いて溜息をついたその時、上空で何かが眩しく光った。太陽とは明らかに違うその光に反応して空を見上げたラシードは、まるで隕石の如く自分を目掛けて凄まじい速さで落ちて来る巨大な青白い光の球を目にして息を呑む。


「しまった!」


 想定外の攻撃に舌打ちするラシードだったがもはや避ける暇もない。地上に落ちて炸裂した光弾は大爆発を起こし、轟音と共に真っ赤な火柱を立ち昇らせた。

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