第39話 餓狼の戦士(2)
集合住宅の倒壊と、先ほどのヨナシュ人の男性の皮膚病には何か関係があるのだろうか。それを調べるため、その男の行動履歴を訊ねたラシードは自分も同じ場所へ行ってみることにした。敬虔なザフィエル教徒でもあるあのヨナシュ人は市場で野菜を買った後、会堂に寄って買い物の釣り銭を寄付箱に入れてから帰ろうとしたところで手の痛みを感じ始めたのだと言う。
「聖なる会堂の近くだけあって、割と小綺麗な町ではあるが」
道を歩いているだけで肌を傷めてしまうような衛生状態の悪さは見て取れない。ラシードが首を傾げつつ会堂の周囲を歩いていると、曲がり角の向こうで急に女性の悲鳴が聞こえた。
「どうした。大丈夫か?」
「痛い……肌が急に……!」
ヨナシュ人の通行人の女性は黒ずんだ自分の首を押さえて痛みを訴えていた。先ほどの男と同じ皮膚病の症状である。ラシードが素早く周囲に視線を走らせると、刹那、物陰からこちらを窺っていた怪しげな老婆が身を隠して逃げ出したのが目に映る。
「待て!」
灰色のアバヤに身を包んだその老婆を追って路地を走るラシード。だがその時、突如として民家の屋根の上から飛び降りてきた一体の魔人が彼の行く手を阻んだ。
「この先へ行ってはならぬ。ラシード・アブドゥル・バキよ」
額に長い一本の角が生えた兎――アルミラージを想起させる姿をしたそのゼノクは、進路を塞がれて立ち止まったラシードに角を向けて威嚇する。
「俺のことを知ってるようだな。何のつもりだ」
「汝に警告しに来たのだ。この件には関わるなとな」
ラシードを脅して後退させようとするかのように、アルミラージゼノクは額の鋭い角で突き刺すような仕草をする。圧されてじりじりと後退したラシードはやがて両足で地面を強く蹴ると、後ろ向きに大きく跳んで背後に建っていた商店の屋根に飛び乗るという離れ業を見せた。
「行くぞ! 変身!」
呪文を詠唱して再び高く跳躍したラシードの全身が眩い光に包まれ、彼は空中で獅子の鎧を纏ってレオゼノクとなる。あふれる魔力を迸らせながら砂埃を巻き上げて着地を決めた彼は、両手の鉤爪を振りかざしてアルミラージゼノクに戦闘を挑んだ。
「この件に関わるなだと? 人を襲っておいて、取り締まってくれるなとは身勝手な主張だな」
「不敬な物言いはよせ。我らと同じ神を崇めし信徒よ。これは天罰なのだ」
「罪もない人を苦しめておいて何が天罰だ。ふざけるな!」
残虐行為を正当化するようなアルミラージゼノクの言いように怒ったレオゼノクは、右手の爪を勢いよく振り下ろして相手を斬りつける。胸から火花を散らして後退したアルミラージゼノクに、レオゼノクは休む間もなく猛攻を加えた。
「なぜ反撃して来ない? 遠慮は無用だぞ」
アルミラージゼノクには殺意が見られず、先ほどから進路を妨害しての足止めに徹するばかりで本格的な攻勢に出てくる気配がない。不審に思ったレオゼノクは間合いを取り直して訊ねたが、アルミラージゼノクは無言のまま答えず、額の角を向けて前傾姿勢を取りながら牽制してくるだけだった。
「言っておくが、それで手加減するほど俺は悪党に対して親切じゃないぞ」
アルミラージゼノクを大きく蹴り飛ばしたレオゼノクは右手を握って魔力を集め、必殺の拳撃を繰り出す体勢に入る。既に十数発の攻撃を受けて満身創痍となっていたアルミラージゼノクはふらふらとよろめきながら立ち直り、両腕を広げて無防備な体勢でその場に立ち尽くした。
「うぬ……例え我を殺めたとしても、神は汝を許し給うであろう。汝に利用価値がある限りは、な」
「何を言ってるんだ。さっきから……」
泰然と死を受け入れたかのようにアルミラージゼノクが呟くと、レオゼノクは謎めくその科白に戸惑って突進するのを躊躇う。一瞬、時が止まったかのような静寂が両者の間に流れたその時、不意に死角から飛んで来た光弾がレオゼノクに命中して爆発を起こした。
「くっ……誰だ!?」
光弾が飛んで来た方を見上げたレオゼノクの目に映ったのは、遠くに立つ会堂の屋根の上からこちらをじっと睥睨している黒い狼のような魔人の姿だった。レオゼノクを嘲笑うかの如く冷たく見下ろしていたその戦士は、やがてアルミラージゼノクの方へ顔を向けると片手を胸にかざして拝礼するように頭を下げる。
「よくやった。神の忠実なる騎士・ルプスゼノクよ」
部下の働きを褒めるかのような言葉と共に、アルミラージゼノクは大きく跳躍して建物の向こうへ姿を消す。ルプスゼノクと呼ばれた狼の魔人はそれを見届けると無言のまま踵を返し、自分も屋根の上から反対側の路地へと飛び降りて撤退した。
「ルプス……ゼノク……?」
アルミラージゼノクを援護射撃して危機から救った今の魔人は、人々を皮膚病で苦しめている犯人たちの一味なのだろうか。一人その場に残されたレオゼノクは照りつける真昼の強い陽射しを厭うように首を傾けつつ、全身を覆っていた獅子の装甲を消し去ってラシードの姿に戻った。




