第37話 誓いの乙女(6)
「おのれ……アラジニアの王朝に仕えるマムルークが、ヨナシュ人如きをなぜ庇う?」
「マムルークだからこそだ。差別される者のつらさを、奴隷上がりの俺たちはよく知ってるからな」
テュンヌスゼノクは左手の鰭を光らせ、魔力で生成した三日月状の光弾を発射してレオゼノクを攻撃する。一発目をかわし、二発目を片手で叩き落としたレオゼノクは疾風の如く接敵し、鋭い鉤爪でテュンヌスゼノクを斬りつけた。
「ヨナシュ人どものつらさを知っているだと? 異教徒などに同情するとは、勇猛無比と謳われたマムルークも随分と腑抜けになったものだな」
「勇猛さってのはな、自分が気に入らないだけの相手をいじめることとは違うんだぜ。人間よりずっと偉大なはずの神が、そんなことも知らないとは思えんがな」
「黙れ。邪神ザフィエルを崇める異教徒に肩入れするならば、同じジュシエル教徒と言えども背教者と見なして容赦はせんぞ!」
テュンヌスゼノクは左の手の甲を覆う装甲を発光させ、その光を長く伸ばすと大きな剣の形にして実体化させた。外骨格の鎧が隆起して生え出たその骨製のサーベルをもう片方の手で掴んでもぎ取り、見せつけるように振り上げたテュンヌスゼノクはレオゼノクに迫る。
「裏切り者には死を。それが聖典に記された神の教えだ」
≪オロデス≫という古代の大王の名を冠したテュンヌスゼノクの剣で胸を斬りつけられ、レオゼノクは不言色の獅子の鎧から火花を散らして倒れ込む。天に向かって高々とオロデスを掲げたテュンヌスゼノクは、魔力を灯して紫色に光るサーベルの刃から雨のように無数の光線を乱射して周囲を爆撃した。
「負けてたまるか!」
両腕を顔の前に交差させて楯にし、降り注ぐ光線を防いだレオゼノクは右手の爪を発光させると高熱を帯びたその魔力をテュンヌスゼノクに向けて飛ばした。飛来した鉤爪型の光の刃をオロデスで叩き落としたテュンヌスゼノクだったが、その隙に素早く跳躍したレオゼノクは飛び蹴りを相手の肩に炸裂させて大きく吹っ飛ばす。
「おのれ、貴様……!」
「観念しろ。どうやら神のご加護はお前にはないようだ」
もはや武運尽きたという冷酷な事実を相手に宣告し、勝負を決する一撃を叩き込もうと魔力を高めるレオゼノク。だがその時、不意に横から強い風が吹きつけてきて彼を襲った。
「くっ……何だ!?」
決して戦闘の邪魔になるほどの強風ではない。だがその風は普通の風ではなかった。風を浴びたレオゼノクの装甲が爛れ、表面が溶けて白煙を上げ始めたのだ。
「これこそが神のご加護というものだ。残念だったな」
まるで自分を守るために神が起こした奇跡だと言わんばかりに、テュンヌスゼノクは高笑いしながら再び武器のオロデスに魔力を集めて光弾の発射体勢に入る。だが苦しむレオゼノクに追い討ちをかけようとしていたテュンヌスゼノクは突如、誰かの声を耳にして空を見上げた。
「何ですと……? はっ、承知致しました。大天使アッハーズ様」
「アッハーズ様、だと……?」
指令を受けたテュンヌスゼノクは戦いをやめ、吹き続ける突風が巻き起こしている砂埃の向こうへと撤退した。テュンヌスゼノクの姿が消えると風も止み、舞っていた砂埃が収まって静けさが戻る。
「どういうことなんだ。神や天使が今の風を……?」
今の風を人体に浴びればどんな悲惨なことになるか、想像するのも恐ろしい。風がもう吹いて来ないのを慎重に確かめてから、レオゼノクは傷んだ全身の装甲を光の粒子に分解してラシードの姿に戻った。
「ここまで来れば、もう大丈夫かな」
テュンヌスゼノクの襲撃から逃れたシメオンとミリアム、そしてスザンナとルツの四人は、離れた場所まで走ってくると疲れきったように息を切らして一斉に地面にへたり込んだ。
「さっきはありがとう。シメオン君。あなたがいなかったら、私は死んでいたかも知れないわ」
「いや、そんな……」
自分を守ってくれたことの礼を言うスザンナに、シメオンは顔を紅潮させて照れ笑いをする。それを見たミリアムは呆れ顔をしながら肘で小さく兄の脇腹を突いた。そんな時、遠くから赤ん坊の泣き声が聞こえてきたので四人はそちらへ振り向く。
「レハベアム先生でも治せないって……もうどうしたらいいの……?」
医者に治療を無理だと断られた母親が、泣いている赤子を抱きながら悲壮な表情で病院の小屋の中から出てくるのが見える。その子の右足はひどく荒れて血がにじみ、重い皮膚病の症状が遠目にも分かるほど広がっていた。
「……スザンナさん?」
泣いている母親の元へ、無言のまま立ち上がったスザンナは何かに引かれるようにして歩み寄る。彼女を追ってシメオンとミリアム、ルツもその母子に近づき、気遣うように声をかけた。
「病気ですか? 可哀想……」
ミリアムがそう訊ねると、母親は涙に濡れた顔を上げて悲しげにうなずく。
「ええ。お医者様に診ていただいたけど、治しようがない、このまま全身に広がって命に関わるようになる前に足を切るしかないだろうって……でもそんなこと……もうどうしたらいいのか」
「……私が治します」
突然、スザンナが小さな、しかし強い意志の籠もった声でそう言ったので皆は驚いた。何かに憑依されたかのような表情で、スザンナは赤ん坊の右足にそっと手をかざす。彼女の掌から放射された青色の光は、たちまち赤子の足の皮膚病を治癒して元の綺麗な肌へと戻していった。
「凄い……スザンナ、どうしてこんな……」
妹が以前から発揮している神がかった不思議な力に、改めて驚いたルツは目を見張る。シメオンとミリアムも歓喜の笑顔を見せる中、マルコという名の赤ん坊の肌はものの数秒で元通りになり、痛みも引いて泣き止んだ。
「ありがとうございます……! 良かったわねマルコ! もう、何とお礼を申し上げて良いか……」
「私ではなく、神様に感謝と栄光を。信じる者はきっと救われます」
決して自分には誉れを帰そうとせず、スザンナは控え目にそう言って微笑む。その時、背後の茂みに隠れていた灰色のアバヤを着た老婆が、忌々しげに彼女たちを見つめていたことに気づく者はいなかった。
「ザフィエルめ……あの服屋の小娘を使ってふざけた真似を。だが真の神であられるジュシエル様の天罰が下るのは止められはしないよ」
テュンヌスゼノクとの戦闘を終えたラシードが向こうから走って来る。音もなく、皴だらけの顔を妖しい愉悦に歪めながらその老婆――人間に化けた天使アッハーズは去っていった。




