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第31話 明かされざるべき真理(3)

「ラシードの奴が、敵の斥候に拉致されちまったそうで」


 エスティム城の一角にある、城主ターリブ・アル・ムワイフの私室。マムルークのサディク・ウスマーン将軍はそこに呼ばれ、ターリブと二人きりで密談をしていた。


「うむ。昨夜ダーリヤから報せがあった。敵の斥候は先日、城壁を乗り越えてこの街に侵入した豹のゼノクだとのことじゃ」


「つまり、アレクジェリア大陸軍が少なくとも一人、ゼノクの覚醒者を戦力に持っている、ってわけですか」


 面白い、と言わんばかりの顔で、サディクは小さく鼻を鳴らして口元を歪めた。その軽薄な態度を咎めるように、苦虫を噛み潰した表情のターリブがしわがれた声を尖らせる。


「笑い事ではないぞ。いずれこうなるのを予期して、我らは以前からマムルーク計画を進めてきた。だが世界中からレオニダスの血を引く奴隷の子らを集めて育成してきたにも関わらず、現時点で芽が出ておるのはその方たちのみじゃ」


 マムルーク計画。素質のある少年奴隷を集めて訓練を施し、屈強な戦士に育て上げて精鋭の兵団に組織するというこの新たな軍事制度は、聖地を狙うアレクジェリア大陸諸国の侵略に備えて先代国王モハメド五世がその治世の晩年に創設したものである。その成果は今回の戦で既に存分に現れており、立派な将兵に育ったマムルークたちは攻め寄せてきた神聖ロギエル軍を大いに苦しめアラジニアの国防に貢献している。だが敵が戦争にゼノクを投入してくるとなれば、いかに強兵のマムルークと言えども常人の武勇ではとても対抗できない。マムルーク計画を次なる段階に進めることができればその問題もすぐに解決するのだが、そこには技術的な課題があり難航していた。


「それで十分じゃないですか。例えアレクジェリア人どもがゼノクの大軍団を送り込んで来ようと、この俺が片っ端から薙ぎ倒してみせますよ」


 余裕たっぷりにサディクはそう言って哂った。計画の第二段階への進行に足踏みしている現状はターリブにとっては悩みの種だが、サディクに言わせれば勝利のためにそこまでの進展は必要ない。むしろ自分が皆より突出して前を歩んでいる今の状況は、彼にとっては理想的であった。


「アブドゥル・バキ将軍に捜査を命じてあった毒による連続殺人も、ゼノクの仕業と見て間違いあるまい。この世は変わりつつあるのじゃ。ただの人間だけが歴史を動かしていた静かで平凡な時代は終わり、神々や魔物が恐るべき力で争い合う神話の世界がまたやって来ようとしておる」


「愉快な時代じゃないですか。胸が踊りますよ」


 皮肉ではなく率直な感想として、そう述べたサディクは勇猛な北方の遊牧民の特徴が色濃く出ている細く精悍な美顔に好戦的な笑みを浮かべた。


「まあ、とにかく任せて下さい。まずはその斥候として忍び込んだ豹のゼノクってのを討ち果たしてご覧に入れますよ。民を襲っている殺人犯のゼノクもついでに俺が片づけておきます。あのむかつくラシードの救出だけは、個人的には気が進みませんがね」


 子供のお遣いでも引き受けるかのような軽い口調でサディクが告げると、ターリブは重々しくうなずいて彼を城下へ向かわせた。




「たぁっ!」


 レオパルドスゼノクに変身したメリッサは川岸の埠頭を高速で駆け抜け、バジリスクゼノクに果敢な正面突撃を仕掛けた。バジリスクゼノクが指先から放った黒い光の錐を右手の爪で斬り払い、接近したレオパルドスゼノクは得意の飛び蹴りを敵の胸に浴びせる。


「バジリスクの化身……ただの動物じゃない、魔獣の姿をしたゼノクってどういうことかしら?」


 豹やライオン、鳥や虫や魚といった通常の生物の姿を模したこれまでのゼノクとは明らかに異質なバジリスクの魔人に、レオパルドスゼノクは不気味な違和感を覚えて問い質す。


「我ら天使は、汝ら人間のように下等な生物の(かたち)に進化したりはせぬ」


 レオパルドスゼノクの右手の突きを片腕で払いのけ、反撃に出たバジリスクゼノクは拳の一撃で彼女を弾き飛ばして後退させた。間合いが開いた刹那、すかさずバジリスクゼノクが撃ってきた黒い光の錐が突き刺さり、転倒したレオパルドスゼノクの胸の装甲が付着した毒液に焼かれて白煙を噴く。


「くっ……!」


「ミスリルより硬い骨の鎧と言えども、何発も当たれば溶けて崩れるぞ」


 このバジリスクの魔人は、人間ではなく天使が変身したものだからか相当に手強い。レオパルドスゼノクの苦戦を見たラシードは自らも気を高め、走りながらゼノク化の呪文を詠唱した。


変身(ゼノキオン)!」


 レオパルドスゼノクに指先を向けて再び彼女を撃とうとしたバジリスクゼノクに、変身して突っ込んできたレオゼノクは横から掴みかかってそれを阻み、組みついて体を押さえつけた。


「知らない方が俺のためになる残酷な真実とやらを聞かせてもらおうか。そういう言い方をされると、かえって興味が湧いてくる」


 バジリスクゼノクが先ほど口にしていた、自分の過去にまつわる秘密を聞き出そうとするレオゼノクだったが、彼の腕を振りほどいて拘束を脱したバジリスクゼノクは嘲るように受け流して答えない。


「知りたいか? だがそれを教えるようなむごい仕打ちは、主なる神の愛に反するがゆえに許されておらぬ」


「殺人鬼が愛だの慈悲だの、何度聞いても笑えてくる。天使ってのは人間よりも冗句(ジョーク)が上手いな」


 相手が秘密を明かす気がないのを見たレオゼノクはあっさりと尋問を諦め、倒れていたレオパルドスゼノクに近づくと手を引いて彼女を助け起こした。


「かたじけのうございます。レオ様」


「さっきから気になってたんだが、その口調はどうも馴染まんな。事情はまだ聞けてないが、リオルディアの貴族のお前がマムルークの俺に臣下の礼なんて取る必要はないだろう。もう少し砕けた言葉遣いで頼めないか」


 昔はレオ様などと呼ばれて敬われる関係だったとしても、記憶にないものはどうしてもしっくり来ない。恭しく礼を述べてくるレオパルドスゼノクに、レオゼノクは家来のような畏まった行儀をやめるよう求めた。


「分かったわ。だったら、ひとまず今はレオ様じゃなくてアラジニアのラシード将軍として接することにしましょうか。ちょっと抵抗あるけど、レオ様のお望みとあらば……それでいい?」


「そうしてくれ。敵の斥候に、まるで主君のように丁重に申し上げられると何だかむず痒くてな」


 敬語をやめて対等の物言いをすることを了承し合った二人は、再びバジリスクゼノクの方を見据えて戦闘態勢を取る。ただレオゼノクとしてはこの魔人を倒す前に、是非とも訊いておかねばならないことがもう一つあった。


「俺のことを話す気がないなら別の質問と行こう。エスティムの民や兵士を大勢、その毒で殺した理由についてだ」


「先祖の罪を受け継ぎし者は真の神にかしずくか、さもなくば死あるのみ」


「先祖の罪……?」


 連続毒殺事件の犠牲者たちの身分や素性は様々で、どういった条件の者を犯人は狙っているのかラシードもなかなか読めずに苦慮していた。彼らが先祖の罪を受け継いでいるというバジリスクゼノクの供述は掴み所がないが、一つだけ分かるのは、被害者は皆この魔人が真の神と呼ぶザフィエルを信じていない異教徒だったということである。


「なるほど。確かに殺されたのはジュシエル教徒のアラジニア人ばかりで、他の宗派の被害者は一人もいなかったな。つまり宗教的な動機による犯行と判断していいのかな」


「犯行とは笑止。罪を犯したのは人間たちの方だ。至高の神たるザフィエル様を崇めず、あまつさえ神の選民を迫害するという大いなる罪をな」


 議論の前提が違い過ぎるせいかどうにも対話が噛み合わない。手応えのない論争に飽きたようにレオゼノクは再び戦いの構えを見せ、隣に立っていたレオパルドスゼノクもそれに合わせて拳を握る。


「喰らえ!」


「たぁっ!」


 レオゼノクは右手を振るって爪から黄金の光を射出し、レオパルドスゼノクも同時に右足を上げて同じように爪に灯った赤い光を前方へと蹴り出す。手と足の、合わせて十本の鉤爪から放たれた破壊魔法の刃を胸に受けたバジリスクゼノクは踏みとどまってその打撃に耐えると、頭についた赤い鶏冠を発光させてそこから稲妻を乱射した。


「くっ……!」


 赤い稲妻の絨毯爆撃を受けた川岸の埠頭は次々と起こる爆発でたちまち火の海と化す。先ほどまでラシードたちがいた大きな倉庫も、稲妻の直撃によって屋根を突き破られ炎に包まれた。立ち昇る爆炎の中を突破して殴りかかるレオゼノクだったが、バジリスクゼノクの目の前まで肉薄して鉄拳を浴びせようとしたその瞬間、真上から降ってきた稲妻を浴びて動きを止める。


「ぐあっ……!」


「レオ様!」


 今はレオナルドではなくラシードとして接すると約束したばかりにも関わらず、咄嗟に叫んだレオパルドスゼノクはやはり反射的に彼をレオ様と呼んでしまう。攻撃魔法の高圧電流を全身に流され、レオゼノクは握った右手を突き出した体勢のまま外骨格の鎧のあちこちから激しく火花を散らして苦しんだ。


「最期だな。今度こそは」


 感電したレオゼノクは力を失い、崩れて地面に両膝を突いた。稲妻の発射をやめたバジリスクゼノクはレオゼノクを乱暴に蹴り倒し、勝利を確信したように呟く。


「私が相手よ!」


 レオゼノクに止めを刺そうとするバジリスクゼノクに、レオパルドスゼノクは横から勢いよく飛び蹴りを浴びせて阻もうとした。だがバジリスクゼノクはその蹴りを片腕で防ぐと、レオパルドスゼノクの顔面を殴りつけて彼女を一撃で地面に沈めてしまう。


「常人との交雑を通じて、ゼノクの血も随分と希釈されてしまったようだな。罪の始祖たるあのレオニダスの力の半分にも及んでおらぬ」


「ゼノクの……血……?」


 倒れたレオパルドスゼノクを蔑むように見下ろしたバジリスクゼノクは頭の鶏冠を再び赤く発光させ、燃えたぎる魔力を稲妻に変えて至近距離から彼女に向けて撃ち出そうとする。だが次の瞬間、既に力尽きたように地面に突っ伏していたレオゼノクが急に野獣のような咆哮を発して立ち上がり、猛然とバジリスクゼノクに飛びかかった。


「ウォォォッ!!」


「レオ様……!?」


 バジリスクゼノクの両肩を掴んでレオパルドスゼノクから引き離したレオゼノクは、怒りを爆発させたように咆えながら敵の顔面を続けざまに殴りつける。消えかけていた魔力と闘志を突如として急上昇させ猛攻を加えてきたレオゼノクに、さしものバジリスクゼノクも咄嗟の対処ができずに押しまくられる格好となった。


「つぁっ! たぁっ!」


「遂に本性を見せたか……悪魔め!」


 怯みながらも後退して間合いを取ったバジリスクゼノクは右手をかざして光の錐を撃ち、外骨格でできたレオゼノクの硬い装甲を毒で焼けただれさせた。胸の表面を溶かされて煙を上げながらも、レオゼノクは痛覚を失くしたかのように構わず攻撃を続け、とうとうバジリスクゼノクを殴り飛ばして埠頭の端に追い詰める。


「悪魔……?」


 あまりの凄まじさに、レオパルドスゼノクは戦うのも忘れてその場に立ち尽くしていた。俗っぽく言えば、切れた、という表現がまさに適切なのだろう。息をつかせぬ激しく荒々しい殴打の連続。その戦い方はマムルーク流のアラジニア武術というよりは猛獣の狩りに近い。いつも穏和で品が良く、内気で物静かだった少年時代のレオナルドからすれば信じられないくらいの猛烈な凶暴性を今のレオゼノクは発露しているのだ。


「グガァッ!」


 ずっと冷徹な口調と態度を貫いてきたバジリスクゼノクが、初めて悲痛な感情の籠もった叫び声を上げた。魔力を集めて金色の熱い光を宿したレオゼノクの鉄拳が、バジリスクゼノクの腹に突き刺さって外骨格の装甲を大きく陥没させたのである。


「勝負あり、ね」


 戦慄を帯びた声でレオパルドスゼノクがそう言った直後、深手を負ったバジリスクゼノクは仰向けに倒れ、船着場の端から運河へと転落した。体組織の致命的な損壊によって水中で魔力が暴発し、巨大な水柱が閃光と共に立ち昇る。


「はぁ……はぁっ……!」


 降りかかる水飛沫を浴び、肩を揺らして荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと振り向いたレオゼノクは身動きできずに棒立ちになっていたレオパルドスゼノクの方に目を向けた。迂闊に気を許して不意打ちを喰らった昨日の轍は踏むまいと警戒している。だが初めて目にした彼の逆上に、変身を解いてメリッサの姿に戻ったレオパルドスゼノクは唖然としたまま言葉もなく、あの時のように何かを仕掛けることなど到底できなかった。


「これがレオ様の……本性……?」


 本性を見せた、とバジリスクゼノクは確かに言っていた。ザフィエル教の天使と名乗るあの魔人が果たして何を知っていたのかは、それを聞き出す前に倒してしまったせいで謎のままである。いずれにせよ、これがあの優しく温厚な、自分の憧れの主君だったレオナルドの隠された本当の人格だとは彼女は信じたくなかった。


「っ……」


 誰かがこちらへやって来る足音が聞こえる。逃げるように、メリッサは走ってその場から姿を消した。

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