28.陽だまりの時間
昨日も更新しております。読み飛ばしにご注意ください。
「…落ち着いたかしら?」
「すみません、ジェーン様。お見苦しいところを…。」
「いいえ、元はと言えばわたしのせいよ。混乱して当たり前。わたしからすれば、知らなかったのに最善策取り続けられるのねって驚きだけれど。」
「最善策だったかは…。」
キールを幸せにできる相手はエリスしかいなかった。まさかの内容を告げられ、混乱したエリスはあの後一瞬過呼吸を起こしかけた。ジェーンが冷静に治癒魔法をかけてくれたおかげで、だいぶ落ち着いた。落ち着いたなら、と冷め切った紅茶をジェーンが入れ直し、エリスとジェーンは今度こそゆっくりと紅茶に舌鼓を打った。
「ストーリーと違ってたっていいのよ。全員幸せなんだから。」
「…全員、幸せ…?」
「そう。エリス様、スタインシュイン先生のお相手、確かに書かれていたのは貴方だったと思う。けど、それ以外の選択肢も、スタインシュイン先生自身にあったはずよ。けれど、貴方の行動の一つ一つが積み重なって、結果としてトゥルーエンドと一緒になっただけ。…トゥルーエンドの相手を探していたわたしが言っていい話じゃないのは分かるけど、でも、出来レースで結ばれたわけじゃないでしょう?」
「…ジェーン、様…。」
出来レースだったわけじゃない。その言葉に、エリスは思わず目を見開いた。ジェーンの話を聞き始めてから、しこりのように引っかかっていたのは、それだと思った。ストーリー通り、なるようにしてなっただけかと、自分の人生を自分で選べたわけではなかったのかという思いが虚無感として浮かんでいた。そこに刺さる言葉だったのだ。
「…ジェーン様、ありがとうございます。」
「…お礼を言われる内容じゃないわ。わたしのせいで混乱させちゃったんだもの。」
ぼろり、とエリスの頬を流れた涙を、ジェーンは慣れたようにテーブル越しにハンカチで拭う。いやに慣れていると思って聞けば、グローリアにもよくやっているのだと返された。
「わたしも最初悩んだのよ。リアが聖女かもって、家では結構前から話が出てて。完全にこれストーリー通りにいくなら、わたしが何やっても変わらないかなって。でも、リア可愛いし。お互いにシスコン化してって、あれこれはストーリーから外れてるなって思ったあたりで、自分が知ってる人、大事な人たちだけみんなハッピーエンドならそれでいいやーって。」
「吹っ切れたのですね。」
「そう。わたしの場合はヒロインが目の前にいるから、吹っ切れるの早かったのよ。好きなように生きようってね。でもエリス様はそうじゃないじゃない。その中で、自分にできる範囲でみんなのハッピーエンドを目指すってかなりハードル高いのに、それに挑んでるんだもの。すごいわ。」
「…ありがとうございます。」
にこにことエリスを褒めちぎるジェーンに、慰めの色はない。純粋に思ってくれているのだと察して、エリスは照れまじりに礼を言った。
そこからしばらく、二人は前世の話をした。ジェーンとしては色々な生活の利便性の低さよりも、娯楽の少なさが堪えるらしい。確かに、前世は娯楽だらけだったように思う。
「あーでもエリス様と話せてかなり楽になったわ。周りからすれば当然でも、前世がある身からすると、なんで!? ってことが多すぎて。でも不満に思うのも周りから理解されないから結構きつかったの。共有できる人がいるだけでかなり気が楽だわ…。」
「確かにそれはありますね。わたくしも、ジェーン様とこうしてざっくばらんにお話しできてよかったです。」
「ふふ、そう言ってもらえて嬉しいわ。ありがとう、エリス様。」
にこやかに微笑むジェーンは、今までのグローリアの姉としての表情よりも生き生きとしていた。ジェーンもジェーンで、きっとどこか演じながら生きていたのだろうとエリスは想像する。
「今度ユル様とのお茶会にいらして。多分エリス様なら、見目にこだわらないでしょう?」
「ええ。それを言えばわたくしの兄も似た感じですので…。」
「確かに、そうね…。」
朧気な記憶で思い浮かべる、攻略対象だったユル―――ユル・アークナイトは、どこか色気のある女子学生の見た目をしていた。確か幼少期に体が弱く、それが元で領地に伝わる古い伝承に則って女の格好で育てられそのままの見目で過ごしていたのだったか。一部の学生からは距離を置かれているようだが、ライルという兄を持つエリスからすれば特に何も思うところはなかった。女の自分より兄や異性の先輩の方が色っぽく美しいのは『もぶきゃら』故に仕方ないのか…程度の感想だ。
「グローリア様はもうお会いに?」
「ええ、先日ね。婚約がまとまるっていうお話になって真っ先に。」
「…グローリア様はなんと?」
「美人なお義兄様ができるわ! って、いつも通り。ユル様も喜んでいらしたわ。」
「それは良かったです。」
そこまで話したところで、昼時を告げる鐘が鳴り響いた。ジェーンとエリスは連れ立って、寮ではなく学舎側の食堂に向かうことにした。ずっと話し込んでいたので、普段授業を受けていた時よりも空腹かもしれないと二人は笑い合う。
「エリス!」
「! キール様。」
食堂の入り口で自分を呼び止める声に振り返れば、キールがカルロスと連れ立って歩いてくる。別方向からグローリア達も歩いてくるのが見えて、エリスは思わず笑った。
「せっかくですから、皆様ご一緒にいかがでしょう?」
賛成! とグローリアとケイティが声を上げる。エステルとルークがまるで見越していたかのように、十人ほどが座れる長テーブルを既に確保しているところにカルロスによって連れていかれ、みんな思うことは一緒かともう一度笑う。
「うーん、春だねえ。」
「季節はもう時期夏ですが。」
「エステル嬢、季節の話じゃなくてみんなの恋路の話。」
「恋路って言い方…。」
「良いじゃないか、他にしっくりくる言いようがないんだから。」
「それは、まあ。」
ほのぼのと話すルークとエステルに言われて気づいたが、確かに皆が皆、一気に婚約がまとまった。この一角だけ急に春めいているかもしれない。ルークの言葉に思わず、とエリスとキールが納得して頷いていれば、遠くの方から恨めしげな視線を複数感じた。恐らくだが、まだ婚約者のいない誰かの視線だろう。割と華やかな縁が結ばれた者たちが集まっていれば、それは目を引くはずだった。
「そういえばエリス嬢、授業の遅れは大丈夫そうか?」
「ジェーン様からノートの写しをいただいたので問題ないかと。思っていたよりも進んでいないようでしたし…テスト範囲を考えれば妥当でしょうか?」
「そうか。それなら午後はイルシュナー教授のところへ。ノート以外のことは教授が取りまとめてくれているらしい。遅れが気にならないのなら呼ぶよう言われた。」
「ありがとうございます。」
すっかりエリスのための伝書鳩扱いされているカルロスに、エリスは深く礼を言った。クラスこそ異なるが、カルロスとは幼馴染。しかもエリスもカルロスも学園のために奔走することが何かと多いため、セット扱いを受けることがこれまでも度々あった。今回もその延長線のようだ。
「それなら午後はボクも同席するよ。」
「あら、医務室はよろしいので?」
「うん、なるべく早くにイルシュナーのところへボクも行かなくちゃいけなくてね。ちょうどいい。」
話がまとまったところに、キールが朗らかに入り込む。イルシュナーにはキールの元へエリスを送り込んでくれた恩がある。二人で行くのがむしろ筋かとエリスも頷いた。
昼食に一人養護教諭が混ざっていようと、エリスの婚約者になったのなら良いかと、皆素知らぬ顔で受け入れていた。これまでであれば、エリスが手伝いをしに医務室に昼に行かない限り、一緒に昼食をとることはなかった。だが今日ばかりはキールも、体調を崩していた婚約者の久しぶりの登校だからと、過保護に過ごすことにしたらしかった。
「ふふふ、お二人が仲睦まじいご様子で安心しました。」
「え?」
「仲睦まじいというか…あれでは老夫婦だろう。」
「それが良いんですよ! 通じ合っていらっしゃる感じ!」
きゃあきゃあと声をあげるケイティは満面の笑みだ。カルロスはそんなケイティを宥めながら、優しい眼差しを向けている。この二人もある意味、付き合いの長い者同士でしか醸せない空気感をまとっているのになとは、二人以外総出の感想だ。
「婚約式はいつなさるので?」
「ボクの領地がまとまり次第かな。次の休みに視察に行って、エリスが気に入ればそれで本決まりだから、最短でもそこから日取りになるね。」
「え…あの視察ってわたくしが気にいるかどうかを確認するためなのですか…?」
「勿論。ある程度はボクが選んで絞っているから、そこから二人で決めて行こうって話したでしょ?」
「いえ、あの…仰ってましたが、まさか実際にそのための視察までとは…。」
「行かないと分からないことも多いからね。」
エリスはこれから何だって選んでいいし、選ぶ練習だよ。続けられた言葉に、エリスははっとしてキールを見上げる。領地の話が出て、視察の理由に頭を抱えていたエリスだったが、キールの思いやりに顔を上げざるを得なかった。
自分の好みを抑圧してきたせいか、エリスは好ましいものを選ぶ、というのが苦手だ。選択肢であれば、好む好まざるに関わらず、最善を考えられる。だが好みに関しては分からなかった。確かに、領地も一緒に決めようというのは、話した。だがここまでエリスに献身的になるものかと驚くエリスに、キールはなんということもないと言いたげに微笑んだ。
「ただ気に入ってもらえたら良いなと思ってるよ。今回行くのがボクのイチオシだからね。」
「どこに行くんだ?」
「ああ、それがね───。」
驚きにフリーズしてしまったエリスに助け舟を出そうと、カルロスがキールに話を振る。キールがどこか領地の話をしているが、驚きのあまり、エリスの耳にあまりその話は入ってこなかった。ぼうっとするエリスの手を、隣に座ったグローリアがそっと握りしめる。
「!」
「愛されていらっしゃるのですね、エリス様!」
満面の笑みで、こそこそと内緒話でもするようにグローリアに言われてエリスは頬がカッと熱くなるのを感じた。そんなエリスを、仲の良い面々が微笑ましいと言わんばかりの表情で眺めてくる。これまで感じたことのない類の羞恥心に見舞われて、エリスは今度こそ顔を両手で覆って俯くほかなかった。




