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転生したのはモブだったはずの世界にて  作者: 黒乃きぃ


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26.結ばれた赤い糸たち

 クラウン家の歪な家庭環境は、女子寮の一部に広まってしまった。けれど、ごく限られた人間のみの公然の秘密とされることになった。それは一重に、婚約者となったキールの名誉のために自身の恥を晒すといって語ったエリスの、献身的な姿に話を聞いた者たちが胸を打たれたからである。クラウン家の現状は、身内が内情を語るには恥ずべきものだ。だからこそエリスは話す気がなかったという。

 人魚の血族が、愛情に生きる種族だというのは常識だ。今後キールを貶す者は、エリスの逆鱗に触れる。エリスは臣下として王家からの覚えのいい。そのエリスがこれまで伏せ続けていたことを明かしてまで庇ったということは、それだけ深い愛があるということ。人魚の血族が愛のために行動したというのならば、それにケチをつけるのはゆくゆく自身の首を絞めかねないと、打算的な判断もあった。

 打算的だろうとなんだろうと、クラウン家を今後継ぐ、ライルの傷にならなくて済みそうだという事実は、エリスの気を楽にした。

 女子寮でエリスが訥々と語り上げたあの後。マダム・クレイは家庭環境が気にかかる学生たちのサポートをより手厚くできないか草案をまとめると、勢い勇んで談話室を後にした。もちろん、エリスにはしばらく無理をしないようにとよくよく言い聞かせた上だ。エリスの生い立ちは、寮母として学生達を預かる身であるマダムの矜持か何かを刺激したらしかった。

「…今の話を伺って、尚のことエリスさんがスタインシュイン先生と結ばれてよかったと思いました。」

「ケイティさん…。」

「昔から確かに、お二人は仲がよろしかったですし。エリスさんがそれだけ信頼して、心を開ける方と結ばれて。それが私たちもよく知るスタインシュイン先生ということ、なんておめでたいんでしょう!」

 幼少期を知るケイティだからこそ、思いの詰まった言葉だった。おめでたい! と声を大にした後は、グローリア様もそう思うでしょう!? と、未だエリスに抱きついているグローリアに詰め寄る。詰め寄られたグローリアは、ぐずぐずと鼻を鳴らしながらもそっとそれに頷いた。

「エリス様が、幸せになる選択をしたのなら…それが何よりだわ。」

「ケイティさん、グローリア様…ふふ、ありがとうございます。」

「わたしたちもおめでたいと思っていること、忘れないでくださいね。」

「勿論です、ジェーン様。」

 そこからしばらく、エリスのいない間の学園のあれこれを話しこむ。授業の遅れは多少あるものの、ジェーンがとっておいたノートを見れば、十分に追いつける範疇だった。

「良かった、この内容でしたらどうにかなりそうです。ありがとうございます、ジェーン様。」

「お礼なんていいのよ。エリス様の役に立てて何よりだわ。」

「でも…お手間でしたでしょう?」

「いいえ、復習になったから、むしろ助かったわ。」

「ジェーン様…。」

 あくまでも礼を受け取ろうとしないジェーンに、エリスは小さく苦笑する。どうにもジェーンは、ふとした時にグローリア同様エリスのことも甘やかそうとするきらいがある。可愛がる妹と同い年だからなのか、それ以外の理由があるのかエリスにも分かりかねたが好意は受け取るべきだろうと、笑ってもう一度だけ感謝を伝えた。

「そういえば、王城で伺いました。グローリア様、おめでとうございます。」

 気付けば室内に残るのは、ジェーン、グローリアの姉妹とエリスのみになっていた。ケイティとエステルは朝のみ授業を抜ける申請をしていたらしく、先程慌てて出ていった。今から戻ればギリギリ昼前の授業に間に合うだろう。ほかの野次馬で残っていた者たちは、マダム・クレイが出ていった後、追いかけるように一人二人と静かに消えた。流石にまだ広く情報の流れていない婚約話を大っぴらにするのははばかられてなかなか切り出せずにいたが、ようやく言えた。おめでとうと万感の思いでエリスは言祝ぐ。グローリアはぼっと頬を赤く染めた。

「えっと…ありがとう、エリス様。」

「グローリア様が幸せになられて、こんなに喜ばしいことはないですわ。」

 にこり、と微笑むエリスに、グローリアははにかむ。早々に祝えて役得だと茶目っ気たっぷりにエリスがおどければ、グローリアとジェーンは楽しそうにころころと笑った。

「えっとね、実はあたしだけじゃないの。」

「…と、言いますと…ジェーン様も…?」

「ええ、まだ内々のお話だけれど…。」

「おめでとうございます!」

「ありがとう、エリス様。」

 照れくさそうにはにかむジェーンの珍しい表情に、グローリアとエリスは揃って沸いた。どんな相手かと聞けば、グローリアがクリストフと逢瀬を重ねている間に通っていた図書館で知り合った、同じ伯爵位の嫡男だという。

 クリストフがグローリアと婚約すると言うことは、クリストフが婿としてフルール家を継ぐのが順当ではある。だがそうすると長女であり、これまで当主教育も受けてきたジェーンをどうするか、が両家の悩みになり得たのだが、偶然にもジェーンの想い人は嫡男だったらしい。グローリアとクリストフの関係がどうなるかわからない期間、ジェーンはその相手と距離を取ろうとしたらしいが、相手側から、もしも家を継がなくて良いとなったらば自分を選んで欲しいと早くにプロポーズまがいの告白を受けていたとか。

 熱烈な恋の話題に、エリスもグローリアも口元を手で覆いながら、それから、それから? と話の先をねだった。

「魔力持ちの家系の方なのだけれど、先先代のご親族に混魔の家系の方を迎えられていて、それでご本人は先祖返りほどではないけれど魔力持ちよりも力をお持ちなの。それで、魔力コントロールについてお話ししているうちに…、」

「素敵なご縁ですね。」

「ふふ、お姉様ったらお顔が真っ赤!」

「さっき真っ赤な顔をしていたリアに言われたくないわ。」

「それは言わないでってば!」

 姉妹の可愛らしいふざけ合いに挟まれて、エリスはくふくふと笑う。笑われていることに気づいたジェーンとグローリアは一瞬、決まり悪そうに顔を見合わせたが、すぐに吹き出してエリスにくっついて一緒に笑い出した。三人が三人、将来が決まったのだ。笑いが溢れるのも当然だった。

「ではジェーン様は先方に嫁がれるのですね。クリストフ殿下はフルール家に。」

「ええ、そうよ。丸く収まってよかったわ…。」

「考えてみたら、あたしって王家に嫁ぐか、誰かに婿入りして頂くかしかなかったものね。嬉しいのは勿論なのだけれど、良かったわ。」

「ふふ、リアの旦那様はリアが好きな方を選びなさいって言ったでしょう? そんな縛られずに選んで良かったのよ。」

「それに甘えて、好きな人を好きになったけれど…本来だったら、ね? お姉様が大丈夫って言ってくださるから、全然考えずにいた自分が恥ずかしいわ…。」

「大丈夫、誰を選んでもわたしがなんとかしていたわ。」

 グローリアの髪を愛おしげに指先で梳いているジェーンは事もなげに嘯く。だがそれがどれだけ大変なことか。聖女だと分かってからのグローリアの嫁ぎ先は、普通に考えれば、グローリア自身が言った通りほぼ二択だった。ちなみに婿をとるといっても入婿の選定条件には王家も口を挟んであろうことは想像に難くない。ジェーンはむしろ、グローリアがステファンと結ばれない限りは、ほぼほぼ嫁入りする必要性があった。フルール家が聖女を手放すとは思えないし、聖女を他家に嫁がせるのはリスクも多い。

 感慨深く、丸く収まったと言うジェーンの言葉には、万感の思いがこもっているように思えてならなかった。少し冷めた紅茶を口に運びながら、エリスは二人を眺める。仲のいい姉妹だ。ジェーンに至ってはグローリアに合わせて年齢の異なる学年に編入するのも躊躇わない程に。

「お二人は本当に仲がよろしいですね。」

「ええ! お姉様が大好きよ。」

「ふふ、わたしもリアが大好きよ。」

 ふと、エリスは違和感に襲われた。随分長いこと記憶の端に追いやっていたが、『げーむ』内でここまで姉が聖女を気に掛けていたか。姉妹仲は良いとモノローグで語られていた記憶は、ある。けれど姉が聖女のためにここまで献身的だったか? ストーリー上で、ここまで姉が絡んでいた記憶が一切ないことに気づき、エリスはハッと息を飲む。自分というイレギュラーがいる時点で、それ以外のイレギュラーが存在してもおかしくはない。だがまさかそれが、こんなにも近くにいる可能性を考えたこともなかった。

「…? エリス様、どうしたの?」

「え、ああ、いえ…随分休んでいたので、医務室の薬品の予備を確認しなければいけないことを思い出したんです。少し前に、多めに発注をかけておいたので問題ないかとは思うのですが…つい、」

「ふふ、エリス様は責任感がお強いのね。」

「癖のようなものですね。明日は授業が終わったら医務室に行かなくては。」

 咄嗟に誤魔化しつつ、実際問題気にかかる問題であったため、今後の予定を立てる。授業の遅れを取り戻すため、各教員に質問に回る必要があるが、まずは多方に影響が出る医務室関連から予定を立てるべきだろう。ふむ、と顎先に指をかけて考え込むエリスに、グローリアが軽やかに告げる。

「多分大丈夫じゃないかしら? クリストフ様が色々動いていらっしゃったから。」

「殿下が…ではきっと大丈夫ですね。とはいえ、なるべく早く確認はしなければ。」

 キールの魔力によって薙ぎ倒された薬棚と、そこに保管されていたはずの薬品。ある程度は回収できただろうが全てではないはず。キールが用意していた引継書を読んだクリストフが復旧に取り組んだとして、おそらく感覚値でしか要不要の分からないものも多い。その辺りをキールが正確に記せていたか、内容をエリスは確認していない。そのため、グローリアの言葉を聞いても、安心しきれないのがエリスの率直な感想だった。

「スタインシュイン先生の方でも動かれているのでは?」

「動かれていると思いますが…勝手にもう、自分の仕事として考えてしまっていて。なんだか落ち着かないんです。」

「そう…。あら、リア。そろそろ時間じゃないかしら?」

「え、あ! 本当だわ、ごめんなさいエリス様、あたしちょっと行ってきます!」

「? はい。お気をつけて。」

 ジェーンに指摘されて、はっと時計を見上げたグローリアが慌ただしく談話室を飛び出していく。怒涛の勢いで扉の向こうに消えていくグローリアを、エリスは呆気に取られたまま見送った。

「クリストフ殿下に呼ばれているのですって。婚約の準備が、かなり急ぎみたいで。」

「なるほど。」

 クリストフも婚約後すぐに魔力の繋ぎ込みを行うと言っていた。先祖返りの体質については、その一族しか知らされていない制約が多いと聞く。キールの寿命のような、急ぐべき理由がある可能性が高い。訳知り顔でエリスは頷いた。

「…さて、エリス様。」

「はい、なんでしょう。」


「───二人きりで、お話したいことがあったの。」


 少しお時間をもらえるかしら? ジェーンはにこりと満面の笑みでエリスに問う。その目だけが笑っていないことに気づき、エリスは思わず息を飲む。まただ、と。普段接するジェーンと、あまりに違う雰囲気。いつぞやかの、二人きりでの東屋が思い起こされる。

「…構いませんよ。場所を変えましょうか? ここでは、どなたかいらっしゃるでしょうから。」

「そうね…じゃあ、わたしの部屋でも良いかしら?」

「…ええ、もちろん。」

 相手のテリトリーに入り込んで問題ないか、という不安は少なからずあった。だがここは、ジェーンの話に乗らなければ本意に近づけないという直感があった。エリスは深く息を吐いて、意気揚々と歩き出すジェーンを追って談話室を後にした。

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