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転生したのはモブだったはずの世界にて  作者: 黒乃きぃ


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24/30

24.仮面の表情をほどいて

「…大丈夫かい?」

「え? ええ、はい。」

 病室に戻ったエリスは、有無を言わさず一度は寝かされた。けれども、パベリーの淹れた紅茶を飲みたいと言えば今度は枕とクッションで背中を預けられるようにして、ベッドの上、体を起こした状態でティータイムと洒落込んでいた。アンカースが気を利かせて、キール用にクッションのきいた椅子を運び込ませたため、キールも一緒だ。パベリーは紅茶を淹れると、空気を読んだのか部屋を辞した。ぼうっとしているエリスが、それに気づいたかどうか、キールには分からなかった。分からなかったので、声をかけた。

「本当に?」

「…お父様のことで、心配してくださっているのですね。」

「…それは、まあ。」

 じっと自分を見つめるキールの強い視線に、これは体調のことを問われているのではないとエリスはすぐに気がついた。苦く笑えば、キールはキールで苦虫を噛み潰したような表情をする。きっとセリウスのあの態度は、一定想像の範疇でも、想定外もいいところだったのだろう。

「…わたくし、お父様との思い出があまりないんです。」

「うん。」

「両殿下の魔力のことで勅命を受けていらしたそうで…幼い頃のお父様は、いつだってお忙しそうでした。お母様から淑女教育を命じられてからは、ほとんど顔を合わせる事もなかったと思います。キール様と屋敷でお会いした時も、お父様がわたくしに何の用があるのだろうと思っていたのです。」

 訥々と、クスクスと、内緒の話を聞かせるように話すエリスの表情は凪いでいる。穏やかな笑みにも見える表情を浮かべていて、それがキールの胸を締め付けた。母親は過干渉、父親は放任───どころか、父親として認識されているのかも危うそうだ。そんな両親の元で、よくもここまで真っ直ぐにエリスが育ったものだとキールは幼少期の達観したエリスを思い描く。

「お父様との距離感が分からないとずっと思っていたのですが…分かるはずがなかったんです。だって、きっとわたくし、お父様を同じ家で暮らしている人くらいにしか思っていなかった。ある程度の歳になって、急に可愛い我が娘、なんて言われても、なんというか…お父様にとってわたくしという娘は、成長した今だけをさすんだろうなと思ったら、」

 わたくしなんて、代わりのきくお人形みたいに思えてしまって。顰めた声で告げられたそれは、きっとエリスがずっと胸に秘めていた感情だったのだろう。理性的に、実父だから受け入れなければと思う反面、自分の表面以外見ようともしないそれに、失望し続けていた。

 父親として認識した上で気持ち悪い、と拒絶するような感情であったほうが、いっそセリウスにとっては救いになったのかもしれない。けれどエリスにとって、セリウスは自身の近しい人間の枠組みの外側の人間であった。それを知ったら、今度こそセリウスは立ち直れないだろうと、キールは想像する。わざわざ伝える気もないし、知って傷付けばいいと思うほどの攻撃性も持ち合わせてはいない。けれど、すり減りながら成長したエリスの根源はこれだったのか、と納得していた。

 キールは一人納得して、エリスをどう愛していけばいいかを考えながら、相槌を打ちカップに口をつける。とりあえずは、家に良いイメージを持つところからだろうか。口火を切るついでに、これからは敢えて近い距離の呼び名だけで呼ぶことを小さく決意した。

「…エリスは、どんな家に住みたい?」

「え?」

「家の話。どうせなら暮らしやすい方がいいだろう?理想があったら教えて欲しい、兄上という心強いパトロンもいることだしね。」

「アレイシス様にそれは失礼では…。」

「あ、ちゃんと義兄と呼んであげて。兄上は本当にエリスを気に入っているから。事前にね、前祝いだから家を整えるのに金は惜しまないって言われているんだ。」

「…お祝いの規模感が段違いですね…。」

「まあ兄上は領地経営が趣味で、私財は貯め込む一方みたいなところがあるから…ここぞとばかりに使いたくなったんじゃないかな。」

 キールの知るアレイシスは、領地を富ませることが何よりもの生きがいであり趣味で、回り回って得た私財は必要以上には使わず貯め込み、貯めたままでは経済が回らないと数年置きに一気にある程度金を使うタイプの人間だ。無論、経済を回す時も領地で何か起きた時に投じる私財を残すため最低限の範疇で放出している。だから今回もその久しぶりの経済を回すタイミングと合致しただけだと考えれば、事前に伝えられた予算が世間的には桁違いでも、アレイシス的には痛くも痒くもないはした金なのだろうと予想できた。そうなれば遠慮をするだけ無駄だ。

「住み込みの使用人は一旦はスタインシュインの本邸から何人かと、あと新しく採用する手筈だ。エリス付きには勿論パベリーさんを置くからそこは安心してほしい。家具は最低限あるけれど…ボクの私室と談話室くらいしかまともに揃えていなくてね…エリスの好みがあれば教えて。あ、床材は前々から張り替える予定があったから、オリーブグリーンにしてしまったんだけれど良かったかな?」

「えっと、」

「これから長く過ごすんだから、ね?」

 怒涛の情報量に驚くエリスを無視して、希望だけ教えてと、キールはエリスに微笑んだ。これまでエリスが服から何から、ローリヤの好みを前提として選んでいたことを知っている。夜会の日、今までで一番似合う藤色のドレスを着ながら、どこか不安げなエリスを見た時に確信した。それまでも、おそらく彼女の好みから逸脱しているであろう愛らしい服を身につけていても、似合っていないわけではなかったから何も言わなかったけれど。エリスが不安げな時は、自分の我を通した時こそだ。自分の好みを言っていいのだと、強請ることは悪いことではないのだと、エリスに意識付けていく必要があるとキールは考えている。だから躊躇うように唇を震わせるエリスの言葉を、笑顔のまま静かに待った。

「…オリーブグリーン、とても良いと思います。」

「渋めの色だけれど、光に当たると重たさは出ない色だよ。」

「素敵ですね。」

「リネンの色の好みはある?家具は今のところマホガニーで揃えているけれど。」

「あまり華美なのは…。」

「落ち着く色味がいい?」

「…はい。」

「私室って落ち着く方がいいよねえ。」

 華やかさより落ち着いた色味をエリスが好むのは知っていた。年齢よりそれがおそらくは大人びた趣味で、そうした嗜好がローリヤから受け入れられるかと考えれば、受け入れられなかったのではないか。好みをポツポツとこぼすエリスに同意して頷いていれば、ほのかにエリスの頬に赤みがさしているのに気付いた。血の気の失せていた顔色に、薔薇色がさす。口元はふわりと綻んでいて、エリスの浮かべる和らいだ表情にキールは思わず目を見開いた。出会って十年近く、こんなにも肩の力が抜けたエリスは、初めて見た。

「タウンハウスはどのあたりにあるのですか?」

「ん? ああ…大通りに魔法書の専門店が並んでいる路地があるだろう? あそこのちょうど裏手の通りに面しているよ。」

「王城と学園のちょうど中間辺りなのですね。」

「そう。もう一本奥に行くと、スタインシュインのタウンハウスがあるよ。ボクらが暮らすのは、兄上が義姉上と婚約された頃からボクが暮らしている別邸だ。元々ボクだけが暮らすために見繕ったんだけれど、まあ二人でも不自由はしないと思う。こじんまりしているけれど、一応庭もあるよ。」

「お近くに暮らされているなんて…本当にお義兄さまと仲がよろしいのですね。」

「君たち兄妹みたいな関係とはちょっと違うけれどねえ。」

 そういえば、とエリスが漏らした疑問符に、キールの意識は現実に引き戻される。

 ───彼女のこんな表情が、ずっと見たかった。出会った頃からずっと張り詰めていたエリスが、徐々に自分の前で肩の力を抜いていく。その様子に、キールは言いようもないほどに胸の内が満たされてくのを感じていた。思わず、絵画でも見つめるような気持ちで、エリスを見つめてしまうほどには。

 だからこそエリスの問いはキールにとってありがたかった。はっとして、慌てて言葉を紡ぐ。

 普通爵位も継がない次男坊が家を出るのに屋敷を与えられることは稀だ。ましてやそれが長男の暮らすそれと近いことはほぼない。それだけ良好な関係───跡目争いなどの心配も何もないというのが裏付けされているようなもの。エリスがしみじみと言葉にするのも無理がない。

「ライルくんはエリスに対してずっとあんな感じかい?」

「あんなとは?」

「んー…過保護?」

「ふふ…ええ、そうですね。お兄様はずっとわたくしを心配してくださっていて。…お兄様がいたから、わたくしはやってこれたんだと思います。」

「…そっかあ。」

 兄弟、兄妹といえばとキールが水を向けた先で、エリスは遠い目をして微笑んだ。ライルがいたから。実際そうなのだろうなと、クラウン家の内情を今まで以上に知った今、より思う。ライルがあの家の生命線だった。ライルがバランスをとることで、何とか家族のていを成している家だった。庭で三人でテーブルを囲んだときにエリスが見せた少し拗ねたような表情も、それだけライルにエリスが信頼を寄せている証だ。ライル以外の家族に対し、エリスは一貫して、作った表情で相対していた。

 果たしてそれにセリウスやローリヤが気づいているかは分からないし、キールにとってどうでもいい。だが、肝に銘じておこうと思った。エリスは容易く自分を殺して見せる。それが最善だと思えば躊躇わない。仮面のような表情をエリスが纏ったその時には、きっとエリスは何かを押し殺している。その時おそらく真っ先に、その仮面こそがキールが気づく契機になりうるだろう。

「…エリス、」

「なんでしょう?」

 ふわり、微笑んだエリスがキールを見やる。小首を傾げてキールを伺い見るエリスの表情はどこまでも穏やかで、肩の荷が降りたと言わんばかりの晴れやかなものだ。その表情に、思う。

「…ボクのこの感情が…果たして恋と呼んでいいものなのかは、正直分からない。けど…君はボクを諦めないでくれた。だからボクも、君を、君が幸せに笑う未来を見たいっていう夢を、もう諦めないことにする。」

 エリスと出会った時から、キールが抱いていた、夢。自分の代わりに、エリスが幸せになってくれたら自分も報われると、勝手に願いをかけていた少女を、幸せにする権利を得た。キールの祈りにも似た夢を初めて聞かされたエリスは目を丸くしていたが、それを無視して、キールはそっとエリスの手を握った。

「…順番があべこべでごめんね。これから先の未来、ボクと一緒に、幸せになってほしい。」

 幸せにする、と言い切るのが本来のプロポーズだとは思ったものの、自分を守ってくれたエリスに捧げるには陳腐だと、キールは共に幸せにと願った。緊張ゆえに、ふにゃりと眉を下げた少し情けない笑みで自分に懇願するキールに、エリスは目を見開いたまま───ぽろりと涙を溢した。

「…っ、はい!」

 泣きながら満面の笑みを浮かべるエリスをそっと抱き寄せる。穏やかな日差しが、抱きしめ合う二人を静かに包み込んでいた。


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