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転生したのはモブだったはずの世界にて  作者: 黒乃きぃ


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22/30

22.指先で繋がり合う

 少しくすぐったく感じるほど、やわらかな温かさが触れる気配にエリスの意識はふっと浮上した。重たい瞼を開けば、見覚えのある白い天井と風にはためくカーテンが見えた。それからもう一つ。

「エリス嬢、目が覚めたかい?」

「…きーる、さま。」

 エリスの目覚めのきっかけとなった温もりはキールのものだったらしい。柔らかく髪を梳いていた手が、目覚めたエリスの体温を確かめるように頬を包む。高めの体温に、エリスは少しだけ頬を緩めた。

「ここは王城の医務室だよ。…どこまで覚えてる?」

「……。」

「…君が意識を失っていたのは半日程だ。もう書類は提出しているから、ボクたちの婚約の申請は明朝までには受理されるだろう。」

 ローリヤとの対峙を思い出したのか、さっと血の気を失ったエリスは、はくりと口を動かすばかり。その様子にキールは話題を変えた。

 一度目エリスが倒れた原因は、キールによる吸血。失血と魔力不足によるものだった。その後キールの元では、体調が戻りきらない中で無理を押した為、体力が限界を迎えて倒れた。今回は、体調によるものではない。体調は徐々にだが回復していた。むしろ倒れた際、魔力だけ見ればかなり回復していたのだ。今回倒れた理由は、心因性だろうという医師の見立てだった。抑圧されていた親に反発―――まではできたものの、そのプレッシャーと反動に心が耐えられなかった。 倒れる間際のエリスの冷えた体温と怯えたような態度からも、まず間違いないだろうという診断だ。

「パベリーさんが荷物は運んでくれているよ。朝になって、婚約が受理されたら…エリス嬢の体調次第だけれどまずは魔力の繋ぎ込みをしようと思う。その後は魔力が落ち着くまではアンカース卿預かりだ。経過のデータを取るらしい。一旦はボクの部屋で暮らしてもらうしかないかと思ったけれど、兄が早急に住み込みの使用人を集めるって言っていたから…まあ、数日でタウンハウスの方で暮らせるようにはなると思う。王城にずっといるのも窮屈だし、その方がいいかと思って兄に任せてしまったんだけれど良かったかな。」

 あー…と歯切れ悪く声を出してから、キールは努めて明るい声で今後についてをエリスに話して聞かせた。見慣れない弱った姿のエリスに慌てているのか、ほんのりとキールの手が汗に湿っていく。それに気づいているのかいないのか、エリスの手をぎゅうと握る体温に、段々とエリスは怯えた様子から少しずつ力が抜けていった。段々と早口になりながら話すキールの姿に、唇の端でくすりと笑えるようにまでなったエリスを見て、ようやくキールも知らず肩にこもっていた力を抜いた。

「やっと笑ってくれた。」

「え…?」

「いや…色々と、段階も飛ばして、何なら尋常じゃない勢いで話を進めてしまった自覚があるからね。エリス嬢が笑ってくれて…ちょっとホッとしたんだ。」

「キールさま…。」

 ポリポリと頬を掻くキールの姿はどことなく肩の力が抜けて見えた。

 これまでエリスが見てきたキールは、人が良さそうで、ふんわりした空気を纏いつつもどこか奥底で人との距離を保っていた。その距離感の境界に触れて初めて、穏やかそうに見えたのがハリボテで、その実誰よりも張り詰めているのに気づく。エリス以外には、どこまでも傍観者のようなスタンスを保つ人だった。枯渇した魔力の中でキールの生い立ちを知って、なるほどと納得したものだ。そんなキールの気の抜けたようなふにゃりとした笑顔は、エリスにとって今、何よりも尊いものに思えた。

「キール様。」

「ん?」

「…うまく言えないのですが…ありがとう、ございます。」

 何に関して、というのはうまく言えない。けれど、どうしても伝えたくなってエリスは囁くように感謝を紡いだ。

 それは、母親と向き合わせてくれたことかもしれないし、そもそも向き合う力になってくれたことだったかもしれない。家から連れ出してくれたこと、生い立ちから何から正直に話してくれたこと。キールの生を諦められなかったエリスを受けいれてくれたこと。幼少期のエリスの心を、守ってくれたこと。

 キールに感謝すべき事柄は無数にある。キールと出会っていなければ、とっくの昔にエリスは壊れてしまっていたかもしれない。全てを飲み込んで、それこそ傍観者としての立ち位置に身を置いて。けれどキールのようにうまくは立ち回れなかっただろうとエリスは思う。

「…うん、どういたしまして。」

 ぎゅ、と今できる精一杯でキールの手を強く握ったエリスに、キールは敢えて何も聞かないままふわりと笑った。

「体調はどう? 魔力はかなり戻ったようだけれど…。」

「そう…ですね、魔力は六割方戻ったかと…。まだ少し頭が重いですが、寝過ぎでしょうか?」

「いや、エリス嬢の場合気絶だから睡眠とまた別のものだからね…。多分まだ血が足りないんじゃないかな。魔力を繋ぎ込んだら、アンカース卿のところに治癒魔法がうまい人がいるから頼みにいこう。」

「流石にお願いするのは…。」

「大丈夫、アンカース卿からもう許可はもらってあるから。」

「はい…。」

 カーテンに遮られた窓の外はまだ暗い。クラウンの屋敷から王城に戻り、半日ほど経過しているらしい。つまりは真夜中。ただエリスの魔力の戻りから、夜中目が覚めるだろうという予測の元、キールはエリスの側についていたのだという。

「大丈夫、エリス嬢が眠ったらボクも眠るよ。隣の病室を割り当てられていてね。明日の朝、アンカース卿が迎えに来てくれる手筈だから、それまでゆっくり眠るといい。」

「…おやすみなさい、キール様。」

「うん。おやすみ、エリス嬢。」

 髪を優しく梳かれて、エリスはまたとろとろと眠りに落ちる。これまどこか気が張った状態で過ごすのが常だったエリスにとって、初めてと言って過言でないほどに珍しく、安らいだ気持ちでついた眠りだった。エリスの眠りが深くなるまで髪を撫でてやりながら、キールはまだ万全には程遠い体調とはいえ、ひとしずくの魔力をエリスの瞼に落とした。怖い夢を見ないように、という魔術と呼ぶには原始的なそれは、キールのものと混濁したエリスの魔力によく馴染んだようだった。それを見届けて、キールもエリスの病室を後にする。自身にあてがわれた病室のベッドに沈み込んだキールは、そのまま泥のような眠りに落ちた。

 翌朝、朝日の清浄さがどうにも肌に合わないキールにしては珍しく、しっかりと起き出してエリスの部屋に向かった。朝方の物音から想像していた通り、パベリーがエリスの側に控え、身支度も整えられていた。

「おはよう、エリス嬢。」

「おはようございます、キール様。…あの、パベリーのこと、」

「あ、聞いたかな? パベリーさんにはついて来てもらおうと思って。エリス嬢もその方が色々安心だろう?」

「何から何まで…ありがとうございます。」

「当然だよ。だってボクらは婚約するんだ。そうだろう?」

「! ふふ…はい。」

 そういえばエリスには説明が漏れていたなあ、と呑気に考えるキールに対し、エリスは恐縮した面持ち、パベリーは感激を隠しきれていない面持ちだった。それらが微笑ましくて、わざとおどけるキールにエリスも一つ笑みをこぼす。そこへはかったように丁度いいタイミングでアンカースの遣いが二人を呼んだ。

「アンカース様がお呼びです。」

「うん。事前に聞いていた聖堂で良いのかな?」

「さようです。今回、ご婚約に際し言祝がれたいとのことで、両王子殿下もご同席されるとのことでした。」

 事前にお伝えまで、と頭を下げてキールに伝えるアンカースの遣いは、アンカースの部下の操る人形とのことだった。流暢だがどこか単調な声に案内され、キールとエリスは病室を後に、王城の敷地内にある聖堂へ向かうこととなった。この後のことを考え、念のためパベリーも連れて行く。一体と三人が連れ立って歩く姿は、早朝の人の少ない城内ではより一層目をひくようで、エリスは方々から感じる視線に、意識して背を伸ばした。

「大丈夫だよ、エリス嬢。楽にしていい。」

「…これはある意味癖のようなものですので。」

「うーん、癖なら仕方ないのかなあ。」

 何があっても守るから安心していいよ、とこともなげに嘯くキールには、そのための力が確かにある。だからこそ、その隣に立つ以上堂々としていなければ、と、エリスは意地になって笑みを浮かべた。

 病室のある棟と聖堂は、賓客室が主だった棟と中庭を挟んでいる。ただ日差しを考慮し、本来近道である中庭を通ることはせずに屋内と渡り廊下を粛々と進んだ結果、到着まで三十分近くかかった。まだ体力の戻りきっていないエリスは、聖堂に足を踏み入れる前に、脂汗を拭い呼吸を整える必要があった。

「アンカース様、お連れいたしました。」

「来たか。」

 身なりを整えた三人を確認して、ここまで三人を先導してきた操り人形は聖堂の両開きの扉を開け放つ。中にはアンカースとライル、同席すると聞かされていたステファンとクリストフ、それからもう一人が三人を迎え入れた。

「婚約は無事に承認された。よってこれより、予定通り魔力の繋ぎ込みを行う。儀式にはスタインシュイン家からは現当主アレイシス・スタインシュイン卿、クラウン家からはライル・クラウンが同席する。」

「君がエリスさんだね。いやあキールくんがこんなに綺麗なお嬢さんと婚約するなんて!嬉しいなあ。」

「兄上、アンカース卿の話の途中です…。」

 聖堂の中央にはこれから行う魔術のつなぎ込みのための魔術式が既に敷かれていた。それを取り囲むように手近な長椅子にエリスたちが腰を下ろしたところで、アンカースによる説明が始まる。説明が始まってすぐに、それまでソワソワとしたそぶりを見せていた、エリスの知らないもう一人───アレイシス・スタインシュイン、現スタインシュイン公爵当主でありキールの兄が、待ちきれないと言わんばかりにエリスとキールに近付いた。話の腰を折られたアンカースは、またかと言わんばかりの表情を浮かべ、キールは頭を抱えながらアレイシスに物申す。一瞬、空気が固まった。

「…お初にお目にかかります。セリウス・クラウン子爵が娘、エリスと申します。」

「うん。アレイシス・スタインシュイン、キールの兄だよ。これから家族になるのだから義兄と呼んでくれて良いからね。」

「ありがとうございます。」

 アレイシスは、当たり前といえば当たり前だがキールによく似ていた。髪色は同じだがキールの赤い瞳と異なる、紅茶色のそれを人懐こく三日月の形にして笑うアレイシスは、どこか飄々とした面立ちだ。面立ち同様に飄々としたその態度も、アンカースとキールの様子から、アレイシスが通常運転らしいことを把握したエリスは、静かに立ち上がり礼をする。エリスの態度に、満足げに頷いて、アレイシスは気分良さそうに義兄と呼ぶことを許した。恋愛結婚など本人達の関係性が良好な婚約でも、貴族社会で義理の家族との関係性に恵まれることは稀だ。キールの婚約を喜んで、既に幾つかアレイシスによる助力は知っていたエリスだが、それでもアレイシスの好意的な態度は想像以上だった。

「儀式の前にこれだけ言いたかったんだ。…キールを救ってくれてありがとう。魔力の繋ぎ込みをしたら君は我が一族の一員だ。そうなる前に、クラウン家の誇り高き人魚の君に礼を言いたかった。」

「勿体無いお言葉です。それに…キール様を救ったのではありません。キール様には、わたくしの我が侭にお付き合い頂いたのです。」

 暗に、キールの命の恩人などと思わないで良いと、思わないでほしいと、エリスは少しの茶目っ気とともにアレイシスに告げる。アレイシスはしっかりとエリスの真意を読み取ったらしい。そうかそうか!と声を上げて笑いながら、ライルの隣の椅子に戻っていった。

「…説明を再開して問題ないか?」

「すみません、アンカース様。お願いいたします。」

「構わん。魔術式は既に準備してある、此処に両名が立ち、両手の指先を全て合わせる。魔術式を通してお互いの魔力を循環させることで繋ぎ込みがなされる。質問があれば今のうちに。」

「繋ぎ込みによって起こる体調への影響は?」

「キールにはほぼないだろう。エリス嬢は…魔力の戻りは?七割か…それなら多少魔力に酔う程度だろう。一定時間目眩などの症状が予想される。」

「わたくしに影響が出るであろうことは予想済みでしたので問題ありません。式は既存のものなのでしょうか?」

「ベースは既存のものだ。ただこちらで、事前に二人それぞれの魔血証を組み込んである。魔力の反発は起こさない。」

「かしこまりました。」

「ああ、昔のやつ…。此処で役立つとは。」

 魔術式に異なる魔力を流し込む時、通常それらは反発し合う。繋ぎ込みの前に魔血証を組み込む手順を踏まねばと質問したエリスだったが、アンカースの手元には十年前の契約書がある。それから転写したらしい。キールは訳知り顔で呑気に頷いた。

「両殿下はこの婚約と儀式の見届け人を買って出てくださった。両殿下には恐縮ながら、言祝がれるのは儀式の後に。割合急ぎの事案ですので。」

「構わない。」

「無理を言って同席するのはこちらだからね。」

 ステファンとクリストフがそれぞれ頷くと、エリスはキールに手を引かれ魔術式の中央に立った。急ぎ、とは。まさかキールの体調が、とエリスは慌てるものの、キールは柔らかく微笑んで首を傾げて見せるばかり。それに腑に落ちないながらも、促されるままお互い両手の指を全て合わせる。

「では、始める。」

 アンカースの魔力が流し込まれ起動した魔術式に、エリスとキールそれぞれも魔力を流し込む。お互いに示し合わせたように、右手から相手に魔力を流し込み、左手で相手の魔力を受け取った。魔力を体内に循環させる際に魔術式を経由するようにする。魔術式を中心に、ゴウ、と音を立てて風が渦を作った。魔力の多いもの同士、魔術式は眩しすぎるほどに光を放っていた。

 エリスとキールは、魔力を繋ぎ込む間、特に会話もなくお互いの魔力を感じていた。会話をする余裕は勿論あった。けれど、何となく。周囲にいる気の知れぬ相手に話を聞かれるような状況で雑談をするのは気が乗らないと、無意識に二人とも考えていたがゆえだった。恐らく考えは同じだろうと会話はしないまでも視線を合わせた矢先に、二人して同時にくすりと笑う。魔力差があれば双方に苦痛を伴うはずの儀式を、笑い合いながら行うエリスとキールを、二人の兄達はどこか眩しいものを見るような眼差しで見つめていた。

ここから数話のんびりした雰囲気の予定です

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