表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したのはモブだったはずの世界にて  作者: 黒乃きぃ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/30

21.愛という名の呪縛

 玄関ホールに続く階段を今まさに降りてこようとするローリヤは、手すりにしなだれかかるようにして三人を見ていた。声音こそ柔らかなものだが、その実そこに底冷えするような憤怒の感情が込められていることに全員が気づいていた。それほどまでに、冷たい魔力がローリヤから流れ出していた。

 すとんと抜け落ちた表情のローリヤの背後、階下からでは全体は見えないものの、解けて階段まで届いたのだろう、床に散らばった長い髪が見える。

「お母様、何故ここに?侍女はどうされました?」

「…なあに、ライル。あの子は私の足止めだったのかしら?」

「足止めなんて。お加減が悪いと伏せっていらしたのはお母様でしょう?何かあったら私に報告をするように言っておいたのですよ。その子が…倒れているように見えますが?」

「邪魔だったんですもの。…ねえ、エリス。その混ざり物の魔力は、なあに?」

 詰めるようなライルの硬い声音にもローリヤは怯まない。それどころか、エリスに向けてにっこりとわざとらしいまでの笑みを浮かべる。それはエリスの幼少期、令嬢らしくない振る舞いはしないようにと言い含めた時と全く同じもので、笑みを向けられたエリスは微かに肩を揺らした。

「ねえ、エリス。貴女は誇り高き人魚の娘なの。なのに、どうして?どうして他の魔力が混ざっているの?」

 ───嗚呼、気持ち悪い。

 ローリヤの唇が、笑みを象ったまま吐き捨てる。ローリヤの言葉に俯いてしまったエリスの背に咄嗟に手を添えて、キールはほぼ衝動的に、エリスの前に躍り出ようとした。エリスが片手でキールを制さなければ、キールは間違いなく、その背でエリスを守ったはずだった。

「…お母様にご紹介いたします。わたくしの婚約がまとまりました。スタインシュイン公爵家のキール様です。」

「…ご無沙汰しております、クラウン夫人。数年前にお目にかかりました、キール・スタインシュインです。この度は良き縁を頂き、ありがとうございます。」

「公爵家、」

 スタインシュインの爵位を聞き、手すりを握るローリヤの指先がぴくりと動く。ローリヤは依然貼り付けたような笑顔で、その内情は分からない。エリスは一つ息を吐くと、隣に立つキールの指先をそっと握った。キールが驚いて視線をやれば、エリスはキールに対してふわりと柔らかな笑顔を浮かべ───その後、ローリヤに向けてローリヤとそっくりの作った笑みを全面に貼り付けた。

「公爵家と縁を結べること、子爵家の娘として果たせる最上の役割かと。お母様、お母様が望まれた通り、わたくし令嬢としての役割を果たします。」

「エリスッッッ!!」

 ローリヤの魔力が瞬間的に膨れ上がる。次の瞬間、パンッと音を立てて玄関ホールに飾られた花瓶が弾けた。ライルとキールは反射的にその場にいる人間全員を透明な魔法障壁で包む。ローリヤの足元で倒れ込んでいる侍女も言わずもがなだ。エリスが話し込んでいる隙に従僕に回収へ向かわせようとしていたライルは歯噛みした。

「何故お怒りになるのです?お母様が仰ったのでしょう、わたくしに、エリスは人間のお嬢様なのよと。何度も何度も…言い聞かせたではありませんか。」

「違う、違うわ、エリス。勿論そう、貴女はどこに出しても恥ずかしくないお嬢様になってくれたわ。けれど、私が望んだのは、エリス、貴女が幸せな結婚をすること。縁を繋ぐとか、そういうことじゃ、」

「ああ…それでしたら安心してくださいお母様。わたくしとキール様は想いあっております。」

「でも、ならどうして混ざり物の魔力に?ただ想いあって結ばれるだけなら、貴女が…人魚の娘が眷属になるなんて、そんな、」

「愛し合う結婚ならば、眷属になることなど些事でしょう?」

「う、あ...、」

 図星を突かれたか。途端にしどろもどろになるローリヤの様子は、はたから見れば正常とは言い難い。はっきり言って異常だ。ローリヤが溢れさせる魔力も気に留めず、話し続けるエリスとそれを止めないライルの様子に、キールはクラウン家の常を悟った。これではライルがエリスを家から出したがるのも頷ける。ローリヤはまるでお気に入りの玩具を取り上げられて駄々をこねる子供のような様子だった。

 ローリヤが溢れさせた魔力が、ゆらりゆらりと不規則に蠢いては玄関ホールの装飾を壊していく。制御しきれない魔力を持て余し、違う違うと親指の爪を噛みながらローリヤは髪を振り乱す。少し前までのエリスなら、こうまでなったローリヤの相手が面倒で、全てを諦めて流していた。だが今は違う、とエリスは隣に立つキールをちらりと見た。当たり前のようにエリスに魔法障壁どころか守護の術まで重ねがけしつつも、ローリヤと向かい立つエリスの意志を尊重して、ただ背に庇うだけではない守り方をキールは即座に選んだ。身の安全を守ってくれる人間は、ライルをはじめ少なからずエリスの周りにいた。ただその中でキールだけはいつだって、エリスの意志を守ろうとする。尊重されている。そう感じられることが、エリスにとって何より嬉しく、同時に何よりもエリスを支えてくれる。

「…お母様、わたくしずっとお母様に言いたかったんです。」

 きっと今日が過ぎれば、またローリヤは自室にしばらく篭るのだろう。心配して部屋を訪れるセリウスに、エリスとうまくやれなかったと嘆き、セリウスからエリスへ自分に謝るように伝えてもらう。セリウス曰くの母娘喧嘩が、お決まりの流れで進行してしまうだろう。ライルに申し訳ない気持ちはありつつも、ローリヤに何かを伝えるならば、今を逃してはいけないという直感があった。ちら、とライルに目線をやれば、障壁を維持するのに気を配っていたライルもすぐにエリスの視線に気付く。意味ありげな苦笑いで頷くライルは、きっとエリスの選択の後押しをしてくれていた。

 ───そうだ、ずっとわたくしは、お兄様とキール様に守られていた。そう思ったエリスは、なけなしの魔力を体内に一気に回して、しっかりと背筋を伸ばしローリヤを見据えた。

「わたくしはお母様の都合のいい人形じゃあない。わたくしは、わたくしの意志でクラウン家を出ます。貴女の娘でいたくない。人魚の血も、魔力も、どうだっていい。わたくしはわたくしにとって大切な人と、わたくしの好きなように生きます!」

 胸の内にずっと閉じ込めていた母への本音を口にするたび、エリスは心の奥に溜まっていた澱みが晴れていくような気分だった。刹那、ぶわりとエリスから魔力が発される。ローリヤの気まぐれに周囲を壊す魔力の揺らぎと違うそれは、温かな風に似ていた。それと同時に、温かな魔力がエリスの体を満たす。満たされた魔力が、エリスからゆらりと立ち上り、それがエリスのドレスの裾を揺らした。


「ああああああああああああ!!!!」


「ッアンカース卿!!」

「任せろ。」

 エリスからの絶縁宣言ともとれる言葉に、ローリヤが叫びを上げて崩れ落ちる。ほぼ同時に背後で扉が開くのに気づいたキールは、飛び込んでくるであろう人物を呼んだ。焦るキールの呼び声に応えたアンカースは、するりとホール内に躍り出ると、魔力で羽を模した柔らかな檻を形成し、瞬時にローリヤを丸ごと包み込む。

「お母様!?」

「問題ない、魔力を鎮静化させるための魔術だ。」

「…お母様、」

 檻に包まれたとたん、ローリヤから魔力の奔流が止まる。檻の中、がくりと首を落として完全に脱力しきったローリヤの姿に慌てるライルに、アンカースは何事もないように答えた。それにほっと胸を撫で下ろすライルと対称的に、エリスは一歩も動かなかった。ぽつり、震えるような声でローリヤを呼んで―――それから膝から崩れ落ちる。キールが慌てて体を支えれば、エリスの体は細かく震えていた。

「エリス嬢?」

「あ…、」

 声高にローリヤに対峙するまでは、有り体に言ってハイになっていたのだろう。相手が崩れ落ちたことで我に返ったらしい。我に返り―――それから、支配されていた恐怖が蘇ったか。カタカタと震えているエリスの目の焦点は合っていない。一瞬魔力切れかと慌てたキールが、障壁を張ったことで自身も枯渇気味な魔力を与えようとするが、どうも魔力切れではないらしい。とりあえずと抱きしめて背中を撫でてやろうとすると、吐息のようなかすかな声で、ごめんなさいと繰り返し呟いているのが聞こえた。

「…大丈夫、大丈夫だよ、エリス。」

 ライルの前だろうと何だろうと、うわごとのようにごめんなさいを繰り返すエリスを抱きしめないという選択肢はキールにはなかった。ぎゅうと抱きしめて、背中をぽんぽんとなだめるように撫でる。

 崩れ落ちたエリスに駆け寄ろうとしていたライルは、キールのその姿を見て踏みとどまった。ローリヤを部屋に運ばせつつ、アンカースに使用した魔術の詳細を確認する。平然とした態度のまま、爪が食い込むほどに握りしめられたライルの両手に気づいたのは、おそらくアンカースだけだった。アンカースはそれに見て見ぬふりをすると、ライルにローリヤが運び込まれた部屋に、精神安定と魔力を抑制する魔術をかけることを提案する。二人はキールとエリスの様子を一瞥し、あえて何も言わずにその場を離れた。

 ライルとアンカースが離れてからもしばらくの間、キールはエリスの背中を撫で続けていた。過呼吸になりかねないほど浅く早かった呼吸は、だんだんと収まってきている。それを確認してから、自身の胸元に顔をうずめるエリスをキールはそっと覗き込んだ。

「夫人はアンカース卿が魔術をかけてくれるから大丈夫だよ。安心して。侍女も手当されに運ばれたよ。」

 常のエリスであれば真っ先に聞いてくるであろう内容を先走りして伝える。それに対し、エリスははくりと口を動かしたが、言葉はなかった。

「―――何に対しての謝罪だったんだい?」

「…お母様が。…お母様の言い付けを、守れなくて。ちゃんとできない子は、いらないのに。」

「いらない?」

「いらないって。お母様の願いを叶えなければいけなくて、でも、もう無理で。わた、わたし…っ、もう、疲れた…。」

 ぼろり、と大粒の涙が零れる。それは、こぼれて床に落ちる前に、宝石となりキラキラと輝いた。

「…そうだね、疲れたね。エリス…君は頑張った。だから、もう自分の好きなように生きていいんだよ。」

「すき、に…。」

「そう。…残念ながらボクの婚約者であることは変えられないけれど…それ以外は、エリスの好きに生きていい。ボクができる限りをもって、君を守ろう。」

「…キール、さま。」

「ん?」

「ありがとう、ござ…。」

 ふわりと笑顔を浮かべた後で、エリスの体がぐらりと揺れる。慌てて抱きかかえなおせば、エリスは意識を手放していた。無理はない。元々体力どころか、魔力も血液も足りていない状態で動いていたのだ。それも、障壁の内側にいたとはいえ、純血の人魚の魔力と対峙した。殺気じみた冷たい魔力の標的は明らかにエリスに向いていた。それを受けても胸を張って、声を上げる。ずっと自分を抑圧してきた相手に対して。ここ数年は少しずつ自分の我を通すことを覚え始めたようではあったものの、それでもほぼほぼローリヤの意に背かぬようにエリスは生きてきた。その相手に面と向かって絶縁宣言ともとれる言葉を発するのに、どれだけの力が必要だったことだろう。

 ぎゅう、と再度エリスを強く抱きしめて、キールは一つ息を吐いた。エリスの体調はもちろん考慮されるべきだが、一刻も早くエリスをこの屋敷から引き離さなければいけない。ローリヤが傍若無人にふるまうのを、ライルもエリスも『そういうもの』として受け入れていた。だが、本来はそれではいけないのだ。人間社会のルールに適応できない魔族は、魔族の世界に戻されなければならない。そうしなければ、人間社会の秩序を守れないからだ。ローリヤが人間の貴族として表舞台に出ないとはいえ、それはそれ。意思も固く、エリスを抱き上げたキールのもとに、ライルとアンカースが戻ってくる。

「早かったね。」

「特に難しい術をかけるわけでもないからな。」

「そう。…ライルくん、エリスはこのまま城へ運ぶよ。異論は認めない。」

 分かってるだろう。重く吐き出したキールの言葉に、ライルは肩を揺らした。ライルが気づいていないはずがないのだ。宰相補佐、その役割を頂く人間が、人と魔族の細やかな仕来りを把握しきっていなければ、その立場にはいられない。それでも尚、ライルが生家の歪さを正さなかったのは―――恐らくはライルも、エリスほどではないにしろ、親に、親の謳う愛に、縛られ支配されていたからだろう。キールの真っ直ぐな自然に射抜かれて、ライルは細く息を吐いた。

「我が家は…そんなに、おかしかったでしょうか。」

「こんなことは言いたくはないけどね、…歪だ。」

「そう…そうです、か…。はは、私も思っていた以上に毒されていたなんて。」

 長い前髪をぐしゃりと掻き上げて、ライルは自嘲する。

「毒に溺れていては、何も気づけない。見えない。…エリスに、また背負わせてしまったわ。」

 幼少期から当たり前だった両親に、自分すら毒されていたことに気が付かなかった。傷を負ってばかりの妹に気を取られて、自分もまた、両親が当たり前としてしまった歪さに絡め取られていた。それを、より支配されていたはずの妹に指摘させる重荷を背負わせてしまった事実に、ライルは足元がぐらつく心持ちだった。

 育った環境というのは、客観視しなければその歪さも何も分からないものだ。子供は素直だから。そういうものだと教えられれば、そうかと飲み込んでしまう。飲み込んだそれが毒であると、大人になるにつれ薄々気付いていても、刷り込みがそれから目を逸らさせる。

 だから仕方がないのだと、ライルを慰めることもできたが、キールはそれをしなかった。ライルは支えが必要な子供ではない。守られるべきは今もまだ親の庇護下にあるべき年齢のエリスで、既に一人で立てるライルは、ここを乗り越えられなければゆくゆく爵位を継ぐのに本人が苦労する。

 動揺を隠せずにいるライルを放って、キールはエリスを抱きかかえたまま踵を返した。それにアンカースも続く。

「ああ、そうだ。パベリー…さん、だったかな?いるかい?」

「っ、はい。」

「後から迎えを寄越すから、すぐにエリスの荷物をまとめてくれるかい?粗方でいいよ。それから君の荷物も取り急ぎ数日分。エリスの体調が落ち着いたら、改めて荷物をまとめに来るから…頼めるかい?」

「! かしこまりました。」

 ライルと取り決めていた内容を、段取りを前倒しつつパベリーへ伝える。無論、パベリーがエリスに付いてそのままクラウン家を離れることは吹聴する必要がないので伏せておく。

「…じゃあ、ライルくん。またすぐに遣いを寄越すよ。ボクらはこれで。」

「ええ、はい…ありがとうございます。エリスを…お願いします。」

「勿論。」

 無理に笑みを浮かべて見せるライルにひとつ頷いて、キールとアンカースは今度こそ屋敷を出た。くたりと弛緩するエリスの体を馬車の中横たえて、すぐに馬は走り出す。

 呪縛から逃れた兄妹のことは、無関係な立ち位置から見れば良かったと言えるのだろう。だが兄妹どちらにも深入りしているキールにとっては、後味の悪さに鉛を胃に詰め込まれたような感覚がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ