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転生したのはモブだったはずの世界にて  作者: 黒乃きぃ


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20/30

20.最善策への出来レース

昨日、一昨日にも更新しております。

 昼前、パベリーに起こされたエリスは、明け方ライルと話した時よりもかなり体調が回復していた。ライルの柔らかな魔力の残滓を感じて、だいぶ心配をかけてしまったと苦笑する。軽く湯浴みをし、軽めの昼食を自室でとる。それから締め付けな少ない、けれど上品なドレスに袖を通した。光沢のあるチャコールグレーの布地に、襟元と袖周りに淡い空色のレースが添えられたそれは、誕生日の祝いにとライルから贈られたものだ。エリスの好みを反映して、華美ではなく上品。シンプルなドレスはプレタポルテだが、エリスのためにとローリヤが選び仕立てられたゴテゴテふわふわとしたドレスの何倍もエリスは気に入っている。

「髪はいかがしますか?結い上げましょうか。」

「…あまり装飾が重いのは…。」

「かしこまりました。ハーフアップにしましょう。」

 柔らかいエリスの紅茶色の髪は、毛先をゆるく巻かれ、ふんわりとしたハーフアップに結い上げられる。袖についたレースと色みの近いシフォンのリボンを編み込みに混ぜ込むパベリーの指先に迷いはない。髪が仕上がると、今度は化粧だ。いつもより余計にチークを入れられ、エリスは苦笑う。回復したとはいえ、最低の体調から比較して、というだけだ。万全ではない。今だ血の気のない顔色を隠すには、大袈裟なほどのチークが必要だった。

「いかがですか?」

「ありがとうございます、パベリー。」

 鏡の中、角度を変えて確認してからエリスはにこりと微笑んで頷く。イヤリングとネックレスは、幾つか候補を並べられたうち、これまたライルに贈られたものを選んで身につける。セリウスから贈られたもので今日の装いに丁度いいものもあったが、それをつけるとローリヤがうるさいのだ。父娘の情しかないのだと言って聞かせても変わらないローリヤの執着は、今日の場に相応しくないものだった。

 イヤリングをつけながら、ふとエリスは考える。ローリヤの執着が、それを喜びとするセリウスのことがずっと分からなかった。想う女性を迎え入れる準備のためだけに、宰相補佐にまで上り詰めた兄の熱量が分からなかった。ただそれらの感情は、キールを手放してなるものかとその一心で駆けた、自分のそれと似ているのかもしれない。人魚は激情家だと言われる。今まで自分すら分かっていなかっただけで、確かに自分は家族と血が繋がっていたらしいと、ここにきてようやくエリスは血筋を感じて薄く笑った。

「お嬢様…?」

「ああ、いえ…キール様はいつ頃来られるのでしょう?」

「もうじきかと。ホールに向かわれますか?」

「そうします。」

 数日ぶりに自分の足で歩いた気がする。そんなことを思いながら足を進めるからか、エリスの歩みはゆっくりだ。昼食はライルと共に食堂でとったが、その際もライルに抱えられて二階の自室から食堂へと運ばれた。ゆっくりゆっくりホールに続く階段を降りれば、ちょうどライルとキールが応接間から出てくるところに出くわした。

「キール様、お越し頂きありがとうございます。お迎えに間に合わず申し訳ございません。」

「いや、少し早く着いてしまったんだ。体調はどう…?」

「ご覧の通り、万全とは言いませんがだいぶ良くなりました。」

「それはよかった。」

 慌てて近づきつつ、どうにかカーテシーをする。いつかの夜会の時に披露したそれより覚束ないそれにエリス自身は歯噛みしつつも、心配げな表情を浮かべるキールに意識して柔らかな笑みを浮かべてみせた。

「庭でティータイムとしましょう。用意はさせてあるわ。」

「はい、お兄様。」

「じゃあ、エリス嬢は手を。」

「あ…はい。」

 パン!と手を叩いて取り仕切るライルの表情は晴れやかだ。婚約に関しての話し合いだというのに庭で良いのか、とは思ったものの、エリスはライルがいうならと庭の方向に足を向ける。一人で歩き出しそうなエリスをちょいと指先で止めて、キールはエリスの手を掴んだ。まさか家でエスコートされる日が来るとは夢にも思っていなかったエリスは、少しばかり動揺しつつその手を掴んだ。その頬にほんのりと、メイクではない赤みが差しているのに気づいたライルは、あえてそれを指摘もせずにさっさと一人で歩き出す。キールはエリスの楽な速度に合わせ、ゆっくりとその後を追った。

「紅茶はエリスの好きなエンバー領産のフレーバーティー、軽食は使用人達渾身の出来だそうよ。」

「エリス嬢の好きなものが知れるなんて、ありがたい機会だね。」

 庭はローリヤの魔力で荒れていた姿から、一区画だけ整えられていた。元の姿には程遠いが、可憐な花々が柔らかい香りを放っている。白木のティーテーブルに載っていたのは、エリスの好みの品々だった。キールのエスコートで席についたエリスはそれにまた目を瞬かせる。

「ちなみにエリスの好みはミルクティーです、キール先輩。」

「これも?」

「これも。」

「ふうん、そうか…とりあえず戻ったらこの茶葉は仕入れないとかな。」

「そうしてくださいな。わざわざお伝えしているのですから。」

「うん、ありがとう。」

 上機嫌なライルとキールの様子に一人置いてきぼりになりながら、二人に促されエリスは好み通りに淹れられた紅茶に口をつける。鼻を抜ける軽やかな甘い香りと、えぐみのない純粋な渋み。それがミルクティーになることでまろやかになった味が、エリスの一番のお気に入りだ。ほう、と息を吐くエリスに、ライルとキール、それぞれが笑みを浮かべた。

「さて、エリス。二人の婚約は恙無く結ばれたわ。…といってもまだ両家の間でだけで、これから王城に申請だけれど、まあ問題はないでしょう。」

「え、」

「まあ、宰相補佐のライルくん直々に作成してくれた書類だからね。スタインシュインの絡みでも特に問題はないと思う…というかうちは両手を上げて喜んでいる状況だから。王城にも大至急の受理依頼を出していそうなんだよね…。」

「スタインシュイン公爵が?」

「兄は過保護だからね…。」

「あの、」

「うん?どうかした、エリス嬢。」

「もうお話は済んでいらしたので…?」

 婚約を結んだ後の話、を進めようとする男二人をエリスは止めた。話の展開がおかしい、とストップをかけつつ、エリスは違和感に気づいた。キールは早く着きすぎたと言ったが、それで応接間からちょうど出てくるところだった、というのがそもそもおかしな話だ。早く来客があったのなら、支度の都合があれどパベリーから伝えられるはず。それすらもなかった。つまり、エリスにだけ異なる時間を伝えられていた可能性が高い。それに思い至って、エリスは深く溜め息を吐いた。

「…わたくしを置いて話を進められましたね?」

「あー…それは、」

「結果的に、よ。エリスに聞いたのと、同じ質問をキール先輩にもしたくて。少し早めにいらしていただいたの。そこから話が思った以上にトントン拍子だっただけ。別にエリスを除け者にしようとしたわけではないの。許して?」

「…わたくしは当事者です、以降除け者にしないでいただけるのなら今回は構いません。話が恙無く進むことが一番ですから。」

「ありがとう、エリス。」

 拗ねたように少しばかり唇を尖らせるエリスを、ライルは微笑ましく、キールは物珍しげに眺める。キールの前では比較的気が緩んでいた自覚があるエリスだが、さすがにライルの前と同じ程度の気の緩みではなかった。二人の二者二様の表情に気恥ずかしくなり、エリスはこほん、と咳払いをした。

「書類はこれから提出されるのですよね。受理まではどのくらいかかるものなのでしょう?」

「今回は特殊ケースだから、早ければ一両日ってところかな。」

「二人の場合はキール先輩の魔力のこともあるから、最優先となるの。そうでなかったら通常は三、四日ってところかしら。」

「なるほど…ちなみにキール様、魔力の状況は?」

「お陰様で安定しているよ。ただ、これが数日保つかと言われると…正直なんとも言えないかな。」

 書類は依然として療養の必要なキールが、王城へ治療のため戻りがてら提出するという。受理され次第、エリスの元に遣いを寄越し、王城にてエリスを眷属にするためキールの魔力と繋ぎこむ手筈だ。それが済めば、エリスは晴れて名実ともにキールの婚約者となる。

「正式に婚約が結ばれたら、学園にいる間は寮で構わないけれど、長期休暇中はボクと一緒に王城でしばらく過ごしてもらうことになると思う。」

「王城で…今まで通りクラウンの家に帰省するのではいけないのですか?」

 眷属となったとしても、単に婚約者であることに変わりはない。それなのに、何故。エリスの疑問は尤もだった。キールはそれに、来るまでに大慌てで兄であるスタインシュイン公爵に取り付けた話を聞かせた。

「一応ボクもスタインシュインの持つ爵位をどれか譲り受けることになる予定なんだ。領地の話とか、エリス嬢も聞きたいだろう?タウンハウスはあるけれど通いの使用人しかいなくて、それだと流石に…外聞もあるし。卒業までに諸々急ぎで整えるけれど、一先ずはって感じだね。」

「うちまでキール先輩が頻繁に来るのは私も構わないけれど…色々と避けられる火種は避けたいでしょう?」

「! お兄様、まさか…。」

「そういうこと。早く、クラウンの家から離れた方がエリスのためよ。…私は寂しいけれどね?でも、それがエリスにとって一番だろうって、キール先輩と話したの。」

 ライルの真意に気づいて、エリスは慌ててライルを見つめた。驚きを隠さないエリスの表情に、ライルはくしゃりと顔を歪めて微笑んだ。それはまるで、痛みを堪えるような不格好な表情だったが、その表情が余計にライルの葛藤を示していた。

「こんなこと、言いたくはないわよ。けれど…お母様の近くにこれ以上いるのはエリスのためにならないでしょう。ましてや、キール先輩の眷属になった後の貴女を受け入れるかも分からないわ。それなら、いっそ早くにスタインシュイン家の庇護下で生活するのが一番だわ。」

「…ボクも正直、ライル君と同じ考えだよ。夫人と直接お会いしたことがなくはないし…人魚と吸血鬼、別段劣る種族ではないと自負しているけれどね。順番が問題だ。だからこそ安全策はやりすぎなくらい講じて初めて安全策になるんだから。」

「…お兄様、キール様…。」

 心配しすぎかもしれないが、と言い含めつつ譲る態度を見せない二人に、エリスは二の句が継げなかった。ローリヤから離れられる。それに対し嬉しいと思う気持ちが大きい反面、自分は実母に対して冷淡なのではないかと棘のようなものが突き刺さるような感覚があった。二人がエリスのためを想って案をまとめてくれたことも純粋に嬉しい。だが一方で、ライルが何かを無理に飲み下すような表情を浮かべながらも決断するほど、自分は目も当てられない状況だったのかと思うと自分自身が情けないような心持ちにもなるのだ。嬉しいのは、事実。だからこその二律背反に、エリスは唇をはくはくと動かしては言葉を紡げずに俯いた。

「…アンカース卿が屋敷の裏手に控えてくれているんだ。遣いをやってもらえないかな。ボクはこれで一度お暇しよう。早く書類を出してこないことにはね。」

「ええ、そうですね。…それにしてもアンカース様を顎で使うなんてキール先輩は相変わらずですね…。」

「まあアンカース卿とは長い付き合いだからね。ボクがいつまで経っても頼りないから、可愛がってもらっているんだよ。」

 キールの一声で従僕が一人、静かに場を辞す。カップに残った紅茶をそれぞれ干したのとほぼ同時、遣いに行っていた従僕が庭に戻り、アンカースを乗せた馬車が屋敷の前に横付けられたのを告げた。

「じゃあ、受理され次第すぐに遣いを出すから、エリス嬢はとりあえず、しばらく分の荷物だけまとめておいてもらえるとありがたいな。」

「かしこまりました。」

「パベリーにある程度頼んでいるから多少は進んでいるはずよ。」

「まあ。お兄様、昨日のうちから手を回していらしたので…?」

「手を回していたなんて言い方やめて頂戴。準備を進めていただけよ。」

「物は言いようだねえ。」

「キール先輩…?」

「うん、ごめん。」

 きゃらきゃらと笑い声を時に上げながら玄関ホールを通って、屋敷の門前へ向かう。和やかにキールの訪問は恙無く終わるはずだった。その直前。

 ピリリと皮膚のごく表面だけを切り付けるような鋭い殺気が三人の頭上から降ってきた。


「…エリス…?その魔力は、どういうことかしら。」


「───お母様。」

 最悪のタイミングだ、とエリスは鳩尾のあたりが急激に冷えていくような痛みを覚えた。キールは近くにいた従僕に声をかけ、一人をアンカースの元に走らせる。表情の抜け落ちたローリヤが、階段の手摺にしなだれ掛かるようにして三人を睨めつけていた。

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