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転生したのはモブだったはずの世界にて  作者: 黒乃きぃ


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02.少女の立ち位置

 エリスは争い事を好まない。何故なら無意味だからだ。意味はあるかもしれないが生産性がない。少なくとも、自分のような小娘が身を投じる争い事や諍いには。信条のごとく、争い事の無意味さを説くエリスに、周囲はより一層大人しい文官一族の姫という認識を強める。故に、口答え程度とはいえ母に対し自分の意見を押し通すエリスの姿は非常に珍しいものだった。

「猫かぶりが上手いエリス嬢が、珍しい事もあるものだな。」

「…わたくしは聖人君子ではありません。人並みに腹をたてる事もあります。」

「猫かぶりは否定しないのか。」

 大人しい文官一族の末姫、という認識はエリスの周知しないところでいつの間にか広まっていた認識だ。だがエリスはそれを知るや否や、積極的にそのイメージを演じるようになった。元々家の中でも自分の意見を飲み込んで過ごしてきたのだから、エリスからすればそれは大差無い事だった。

 エリス・クラウンの性根は、決して大人しい平和主義の乙女ではない。カルロスが猫かぶりと言った通り、周囲の認識は大層歪んでいる。本来のエリスは、意志の強い娘だ。己が信念のためならば、多少の無理も無茶も貫き通すだけの強さも持つし、自分の外面が交渉の場や貴族間の腹の探り合いの場面でどのように活きるかも自覚している。そもそも論、人生二周目にして純粋無垢なままいられるわけがなかろうというのがエリスの本音である。おそらく生まれ落ちて夢を見始めるまでは、もしくは夢と意識が溶け合うまでは───純粋な平和主義の、貴族らしい少女だったかもしれない。

「ドレスなどどうでもいいのです、わたくしには。そもそも私は華やかな場は苦手ですもの。」

「ライル殿とはほとほと真逆だな。」

「社交場はお兄様の独壇場ですからね。」

 庭園の一角に設けられた東屋には、カルロスとエリスが到着した時点で既にティーセットが用意されていた。執事長にはエリスと母の折り合いがそこまで良いものではないと知れている。その上でカルロスの来訪を受け、先んじて用意を命じていたらしい。エリス付きのメイドの一人であるパベリーが控えていた。

「ありがとう、パベリー。」

「いえ、カルロス様の急なご来訪はいつものことですから。」

「まあな、慣れて諦めてくれ。…というか既に、そうなっているのか。」

「少なくとも執事長以下、お嬢様付きの者の間では慣れと諦めが共通認識にございます。」

 灰色の長い髪を几帳面にまとめたパベリーは、女性にしてはすらりとした体躯をしている。幼い頃はよく男児と見間違われたらしい。ただその分、幼い頃から所作に気を遣っていたらしく、メイドたちの中でも抜群に立ち居振る舞いが美しい。それを買われ、エリス付きのメイドとなったのは、エリスがまだ五つの時だ。エリスにとって姉のような存在であり、付き合いの長さから格上の存在であるカルロスに対しても時折軽口を叩く。それはカルロス自身の申し出でもあったため、こうして三人だけの場面でのみ発される。

「言い過ぎてしまったと、自覚はあるのですよ。」

「言い過ぎ?何をだ?」

「わたくしの意見を、です。お母様はわたくしが意見を持つのを良しとしないでしょうから。」

 パベリーの淹れた紅茶を一口飲んで、エリスは小さく溜息を吐いた。

「お母様がわたくしに求めるのは、自分の意に反しない大人しい娘ですから。わたくしは自分の意見を屋敷の中で発することを本来認められてはいないのですよ。」

「お嬢様、そんな事はございませんよ。」

「パベリー、ありがとう。でも、いいの。お母様は本当のわたくしを認めてはくださらないでしょう。ならば最初から期待するだけ無駄ですし、最初から演じてしまえば、無意味に傷つく事もないのです。」

「…それが結果として、エリス嬢を苦しめたとしても、か?」

「今更でしょう?カルロス様。」

 ふわりと微笑むエリスの表情は会話の内容とはいっそ不釣り合いだった。だがいかんせんカルロスも幼馴染、パベリーも幼少期からの付き合いだ。不釣り合いなエリスの表情も、彼女の殺伐として割り切った考え方も今更だと知っている。それ以上二人とも指摘する事はなく、溜息をそれぞれ溢すに留めた。

「…そういえば、カルロス様は今日はどのような御用向きで?」

「ああ。エリス嬢が今年どの夜会に行くか確認だ。知っての通り俺もあまり社交は得意ではないからな。もし合わせられるならと思った。」

「でしたら、基本的には例年通りです。あとは…シーズン最後の王家主催の会に、今年恐れ多くも招待頂きましたので出席させて頂きます。」

「ふむ。では、今年も会場で会えばよろしく頼もう。俺もエリス嬢と変わらん。」

「ええ、よろしくお願い致します。」

 エリスもカルロスも、夜会で愛想を振りまくのが得意とは言えない。そのため幼馴染という関係性を有効活用し、それとなくお互いがお互いの壁となって夜会を乗り切るのが常だった。必要な会話だけ終えて、カルロスはさっさと用は済んだとそそくさと帰る。パベリーが用意したケーキだけはぺろりと平らげていったので、これでは出席する夜会の確認で来たのか、ケーキを堪能しに来たのかわからない。マイペースな幼馴染に一つ苦笑いを溢して、エリスは一人、残りの紅茶をゆっくりと飲んだ。カルロスの帰りをエリスが見送る事はない。影に溶け込み、通り抜け、彼は人知れず自分の屋敷に帰るのだろうことを短くはない付き合いで知っている。

「今年のシーズンも無事に壁の華でいられそうですね。」

 ふふ、と安堵したような笑みを浮かべる自分の主人を複雑そうな面持ちで見つめるパベリーに、エリスは気づかぬまま茶器をテーブルに戻す。何となしに庭園内を見渡せば、見慣れない花々が咲いている一角が目についた。一年ぶりの我が家なのだ。増えている花もあれば、植えられている区画が変わっている事も少なくない。女主人であるローリヤは基本的に寒々しくない庭園であれば、とあまり興味を示さないらしいが、エリスは母が注意を向けない場だからこそ幼い頃から庭園がお気に入りの場所だった。だからこそ余計に気がつく。

「パベリー、あの花は?」

「ああ、あれは…庭師がお嬢様のために、と他国から取り寄せたと聞いています。ピオニー、でしたか。」

「…綺麗、ね。近くに行っても良いかしら。」

「勿論にございます。」

 ピオニー、芍薬の花が東屋からすぐの花壇に新たに植えられていた。芍薬は初夏頃までが見頃の花だが、お誂向けに大輪の花を咲かせていた。薄桃の花弁が甘い香りを振りまいては風に揺れ、エリスを呼び寄せる。引き寄せられるように一輪の花にエリスは手を伸ばした。柔らかい花弁が指先をくすぐり、甘い香りがぐっと近くなる。

「綺麗…。」

「お嬢様にぴったりな花だと使用人一同話していたのですが…本当にお似合いな花です。可愛らしく、華やかで。お好きな花でしたか?」

「ええ、とても好きな花なの。…でも、こんな綺麗な花がわたくしにぴったりだなんて。おこがましいでしょう。」

「そのような事は、」

「花に例えるなら……そう、カスミ草辺りでしょうか。華やかさとは縁遠いと、自覚していますもの。」

 眉を下げ、困ったような笑みを浮かべるエリスの表情は酷く幼かった。迷い子のような表情を浮かべる主に、パベリーはそっと手を固く握り締める。早熟なお嬢様は、肝心なところで歳相応に振る舞う事を忘れてしまった。否、知らずに育ってしまった。それが十年来の付き合いのある身として、パベリーは悔しかった。

「エリス、やはりここに居たね。」

「…お父様、」

 やるせなさに打ちひしがれるパベリーの背後から、柔らかい声がエリスを呼んだ。ぼんやりと花弁を撫でていたエリスは驚いたように目を見開いて振り返った後、ばつの悪そうな顔で自身を呼んだ声に応えた。その間にパベリーは彼女にしては珍しく慌てた様子で主人に頭を下げ数歩場から下がる。エリスに父と呼ばれたセリウス・クラウン子爵は、家族に対してすら一歩引いた態度を粛々と崩さない愛娘を前に、困ったような笑みを浮かべていた。

「ローリヤとやりあったと聞いたよ。何があったんだい?」

「もうお父様のお耳に…。申し訳ございません、お母様と叔母様に対し出過ぎた発言をいたしました。」

 腰を深く折り謝罪の言葉を述べるエリスに、セリウスは自分の言葉選びが悪手であることを悟る。

「ああ、違う。エリスを責めているのではけしてないよ。エリスがローリヤに自分の意見をきちんと伝えたのは珍しいと思ってね。とてもいいことだ。」

「そうでしょうか。お母様はわたくしの差し出がましい発言に、お怒りのご様子でした。」

「…確かに彼女は、想定外のことがあれば取り乱すが…。可愛い私たちの娘の意見に頭ごなしに怒ることは無いよ。」

「……さようですか。それならば、よかったです。」

 セリウスの言葉にほっとした様子でエリスはふんわりと微笑む。その笑みの中、目だけが笑っていないことに気付いたのはクラウン親子の数歩後ろに控えていたパベリーだけだった。

「それで何があったのか、エリスからも教えてはくれないかな?」

「かしこまりました。」

「…ああ、どうせなら少し歩こう。庭師たちがエリスがようやく帰ってくると手入れに気合を入れていたんだ。」

「はい、お父様。」

 おいで、と差し出されたセリウスの手にエリスも手を預け、二人は仲睦まじい親子といった様子で庭を歩き出す。子爵位の割には広いが、広大とは呼べない敷地内でゆっくりと歩を進める。

「つまりは、エリスの好みを聞いてはくれなかったのだね。」

「はい…もっともわたくしの好みがお母様たちから見れば歳相応ではなかったのでしょうから、わたくしの我儘に過ぎませんが。」

「そんなことはないさ。叔母様からの言伝だ、きっとエリスが気に入るドレスを贈るから、と。藤色のドレスを仕立てると息巻いて帰っていかれたよ。」

「え…。」

「ただローリヤがどうしても淡い色のドレスも着て欲しいとも言っていた。だからエリス、どちらも袖は通しておあげ。」

「そんな、二着もだなんて。わたくしは夜会にもあまり伺いませんのに。」

「夜会にあまり行かないにしろ、私も二着は最低でも仕立ててほしいと叔母様に元よりお願いしていたんだ。エリス、もっと欲を言っていいんだよ。」

 不意に立ち止まって、セリウスはじっとエリスの目を見つめながら言葉を砕いた。エリスは父親からするとよく出来た娘だった。いや、出来すぎた娘だった。学園での成績は常に上位、混魔としての魔力も充分で、それだけでも鼻が高いのに、加えてエリスはどこまでも控えめだった。家の経済面もふとした事から大凡を察し、それに即した行動を取る。爵位から見た平均よりかは裕福な家庭だが、身の程を弁えた、というよりも節制しすぎなほどに無駄遣いもしない。ドレスなど装飾品がいい例だ。少なくともセリウスは、エリスが自分から装飾品の類を欲しがったのを見たことがない。だからこそ気にかかった。幼い頃は年齢よりも少しばかり大人びた物静かな娘だとばかり思っていたが、それにしてはいきすぎている。

「…わたくしは充分幸せです。欲も、人並みには口にしていますし、叶えて頂いています。お父様が改めて気にかけて下さるなんて、身に余る事です。」

 エリスは礼を尽くすように深く腰を折ってセリウスに頭を下げた。頭を下げる前、エリスが浮かべていたのは何とも心情の読めない表情だった。ごっそりと感情の抜け落ちたような表情を目の錯覚かと思うほど一瞬浮かべ、それから一縷の隙もない笑みを薄く浮かべる。実父ですら、心を開かれてはいない。セリウスは王城務めだ。最低限人の表情なりで内面を読むことに長けている。だからこそ気づいてしまった愛娘の淡い拒絶にそっと息を飲んだ。

「叔母様が仕立てて下さるドレス、楽しみです。お父様、ありがとうございます。あとでお母様にもお礼に伺わなければなりませんね。」

「…ああ、そうしなさい。ローリヤも喜ぶだろう。風も少し冷えてきた、そろそろ戻ろうか。」

「はい、お父様。」

 屋敷に戻る二人は、手こそ繋いでいるが終始無言だった。父から聞かされたドレスの話は、エリスからすれば想定外の事だった。愛妻家の父のこと、遅かれ早かれ母との衝突の詳細は父の耳に届き、その事で多少なり小言はもらうだろうと考えていた。だがそれはエリスの読みでは夜のはずで、叔母の仕立てるデザインも母が盛り上がっていた一着で終わる、はずだった。好みのドレスも仕立ててもらえるというのはいい知らせかもしれない。だがそれを仕立てることで母と叔母がどういった態度に転じるか今ひとつ読めないのがエリスとしてはもどかしい。それに父に我儘を言えと強請られたのは完全に不意打ちだった。瞬時に表情を作ることができなかった。

 エリスからすれば、セリウスの欲を言っていいという言葉は、今更の発言でしかなかった。幼少期仕事のためとはいえ放っておいた娘に、何を今更良き父の顔を見せようとするのか。

 セリウスの仕事は王城にて混魔の一族の管理をする部門の大臣だ。混魔以外の魔力持ちは、固有魔法は持たない。魔導士達が整えた手順に則って魔力を操作し、呪文を唱え魔法を行使する。一方の混魔は、魔族と魔力持ちの人間の中間。魔族に呪文は不要だ。魔力を自在に操り、固有魔法を使う。例えばローリヤは人魚、人魚の魔力とは歌声だ。声に魔力を込め、人魚にだけ伝わる古来の言語で歌うことで魔法を使う。通常、魔力持ちの人間や魔族には魔力属性があるが、人魚は声を媒介とするため属性という概念がほぼない。魔族でもイレギュラーといえる。一方のエリスは人魚の血を引いているため歌声で魔力を操ることになる。だが純粋な魔族ではない。故に呪文を用いての魔法を行使する事もできるが、逆に歌声で発揮される魔力は純粋な人魚に比べるまでもない。いいとこ取りだが廉価版、というのがエリスの認識だ。

 セリウスの仕事も今は落ち着いているのだが、エリスの幼い頃は馬車馬の如く働いていた。それはエリスと同世代に王太子が二人生まれたことに起因する。一人は、魔力持ちの王子。もう一人は先祖返り、混魔どころか魔族として生まれ落ちた王子だった。二人は年子、王子達の魔力について調査する必要が生じた為、魔力や魔族に関する部門で働く者たちは当時皆一様に忙殺されていた。つまりセリウスは、幼少期のエリスに構う暇などなかったのだ。

「あなた!…エリス、」

「ああ、ローリヤ。エリスは庭にいたよ。またボーデン殿のご子息が来ていたのだろう?」

「…ええ、カルロス様がいらしていました。」

 屋敷に戻ると、セリウスを出迎えたローリヤがエリスを見て眉をしかめた。セリウスも愛妻家だが、それ以上にローリヤはエリスの目から見てもセリウスを愛している。最早執着に近しいレベルだ。先程言い合った娘が最愛の夫と仲睦まじく手を繋いで登場すればどうなるか、機嫌も損ねるだろうと判断しそれに気付いていないセリウスの手をエリスはそっと解いた。

「お母様、先程は出過ぎた発言を致しました。申し訳ございません。」

「…いいえ、いいのよ。」

「仕立てて頂くドレス、楽しみにしております。ありがとうございます。」

「そう。」

 言葉少ななローリヤの様子から、恐らくエリスの好みを反映したドレスを仕立てることに母は納得していなかったのだろうとエリスは察した。恐らくは父と叔母が折衷案として押し通したのだろう。重苦しい母娘の空気に気づいているのかいないのか、セリウスは明るく手を叩いた。

「さて、これで一件落着だ。今日は皆で夕食にしよう。エリスだけでなくライルまで帰っていると聞いて、慌てて城から戻ったんだ。久しぶりに家族水入らずといこう。」

「いいですわね!本当に久しぶりですもの、夕食は豪勢にしましょう。シュリル、料理長へ伝えてきて頂戴。」

「はい、奥様。」

 他の使用人よりもローリヤの視界に一番入りやすい位置に控えていたシュリルは、声を掛けられると即座に頭を下げ厨房へと消えた。その後ろ姿を何ともなしに見送っているエリスから、いつの間にかローリヤの意識は逸れたようだった。エリスとしては意図的ではないと信じたいところだが、早い時間からセリウスが屋敷に戻っていることが嬉しいのだろう。セリウスしか見えていないとでも言いたげに、ローリヤはセリウスを質問攻めにしている。妻の態度に苦笑いこそ浮かべつつ、セリウスも満更でもないのか言葉を砕いている。シュリルの背中が完全に視界から消えたあと、エリスが両親に目線をやれば、ローリヤと話を続けながらも、セリウスは目線と笑み、それから軽く頷いて見せ、エリスのこの場からの退席を許した。

「それではわたくしは一旦下がらせていただきます。」

「そうしなさい。後で久々にエリスの話を聞かせておくれ。」

「はい、お父様。」

 ドレスの裾を軽く両手で摘み膝を折ってから、エリスは静かに、だがはしたなくない程度には素早くエントランスを抜け自室へと向かった。数歩後ろを同じく静かにパベリーが追ってくる気配がする。それに甘え、エリスは一切振り返らず目的地へ真っ直ぐ足を運んだ。そうしてようやく自室にたどり着いて、零れたのはエリス自身が思っていた以上に重たい溜め息だった。

「お嬢様、紅茶を淹れて参ります。ミルクティーはいかがでしょう、風に当たられたのですから温まりますよ。」

「…ありがとう、パベリー。そう、ですね。お願いします。」

「承知致しました。」

 自分を気遣うパベリーに薄く笑って部屋から送り出し、部屋にはエリスだけになる。ソファーではなく窓際に置かれた机と揃いの木製の椅子にエリスはどっかりと座り込むと、大きく息を吐いた。硬い木材がしっかりと体を受け止めているのを感じながら、ぐっと背筋を伸ばす。溜め息とも吐息ともとれる息を吐き出して、ようやくエリスは肩から力を抜いた。

「……だっる…。」

 目元に片腕を置いて、背もたれにどっかりと寄りかかって漏れるのはため息混じりの呟きは、エリスらしからぬ言葉選びだった。

 エリスにとって家は、家族は安寧を与えてくれるものではなかった。己が個性の欠片を家族の前で、母親の前で見せようものならば糾弾され、父親とは家族としての距離感を掴みあぐねたまま成長してしまった。兄妹仲は良いが、ライルに比べエリスの魔力のが強く、とはいえ社交性と知力では遠く及ばない。同性であったならば家督をめぐって争うこと必至だったろうとエリスは想定しているため、あまり兄にも頼り過ぎてはならないと自制している。パベリーはじめ使用人たちとは非常に良好な関係を築いているが、恐らくは自身に対する哀れみが根底にあるとエリスは考えている。年に数度の帰省が、ここしばらくエリスにとっては苦痛だった。

 ───夢の中の生では、もっと自由だったのに。

 前世を追体験した事で、現世に対して腑に落ちない感情が次から次へと生まれていく。両親との関係や、家督をめぐる兄との関係諸々に対しては、前世の特に柵のなかった生を知っているからこそ、ままならない感情を抱いていた。

「『もぶきゃら』なんですから、もっと気楽な人生だったとて罰は当たらないでしょうに…。」

 エリスの知るゲームストーリー上、エリスは間違いなく『もぶきゃら』のはずだ。おとぎ話の中でも、苦労の末幸せになるのは主人公達、役持ちのはず。役持ちではない自身が苦悩する必要などないのではないか、というのがエリスの持論であり強い主張である。

 自分を転生させた存在、神様のような何かがいるというのなら、配役を間違っているとエリスは声高に訴えたい心持ちだった。だがそれは聞き届けられることのない願いであり、また、エリスの想定とは大きく異なった未来への前兆でしかなかった。

「お嬢様、失礼しても宜しいでしょうか。」

「…どうぞ。」

 コンコン、と軽めのノックが部屋に響く。入室の許可を求めるパベリーの声に、はしたない体制ではいられないと身支度を整え、エリスは返事をした。

「失礼致します、お嬢様。お茶の準備をさせて頂きます。」

「ええ、お願いします。」

 高位でなくともお嬢様は楽じゃない。ぼんやりとそんな事を考えつつ、エリスはパベリーに淡い笑みを浮かべて礼を言ってみせた。

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