第2話 王弟
「ローラン先生があんなに不安そうにしていると、今日の視察もなんだかドキドキしちゃうよな」
朝を迎えて、アリア、アルヴィス、レミィの三人は王立錬金術研究所へと足を進める。研究所は煙が発生したり、毒物を扱ったりすることもあるため、アリアが住んでいた塔とは反対側のはずれにあるらしい。
会話を楽しみながら廊下を歩いていると、向こうから護衛を連れた壮年の男がやってくるのが見える。
国王に似た金の髪を後ろに撫でつけ、獣のようなシナモン色の瞳をぎらぎらと輝かせている男。アリアとベルカントの叔父……王弟コーダだ。
ムジカ王国はいま国王派と王弟派で、ジュピト帝国に戦争の軍事支援をするか否かで対立している。
国王レガートは支援に反対しているが、王弟コーダは領地拡大を目的として、軍事支援を積極的に進めようとしているのだ。
しかも、これまで友好関係にあった近隣国を裏切り、大国のほうへと寝返るという形で。
先日アリアも父である国王に連れられベルカントとして議会に参加したが、二大派閥の対立と議会の揉めようといったらひどいものだった。
王弟派からは論点のずれた質問が矢のように飛んできて、戦いを選択しない国王を腑抜け呼ばわりする始末。
国王派も、国王が貶められることが耐えがたいのか怒りの感情で反発するため、生産性のある議論はほぼできていなかった。
いまはどうにかレガート王が荒れた場を制御しておさめているが、国王が幻覚・依存作用のあるマバルの葉巻を楽しんでいるという噂が広がりつつあるのか、中立派から向けられる視線もどこか厳しいもので……。
議会は団結からほど遠く、むしろ分裂しているようにすら見えた。
「コーダ王弟殿下、おはようございます」
アリアは王弟の前で足を止め、頭を下げて挨拶をするが、王弟は無言のままだ。それどころか、立ち止まることなく三人の横を通り過ぎてしまった。
「あれ、聞こえなかったかな……?」
困惑したアリアが顔を上げて振り返ると同時に、王弟コーダも振り向いて、二人の視線が重なる。
王弟コーダは鋭く刺すような瞳を向けながら、アリアを小馬鹿にするように鼻で笑った。
「ああ、誰かと思えば腰抜け王子殿下ではないか。戦いを避けてばかりで、この機会にムジカを強国にのしあげてやろうという気概もない。愛国精神のない愚劣な王と王子に導かれる国民もたまったものではないな」
「――っ!」
突然放たれた謗りにレミィは声にならない声を上げ、アルヴィスも無言のままいつもの微笑みを消した。
「反論さえできぬか。腑抜けめ」
くくっと喉の奥を鳴らし、勝ち誇った様子で王弟は護衛とともに歩き出す。
レミィは悔しげに唇を噛み締めて、アルヴィスはアリアの様子をうかがうように視線を送り、すぐに両口角を引き上げた。
「コーダ王弟殿下!」
アリアは大きく一歩前に出て、去りゆく王弟を呼び止める。
澄んだ空色の瞳に怒りや悲しみ、恐れの感情は見られず、足を止めた王弟の背中をただまっすぐに見つめていた。
「俺は、奪って得たものほど壊れやすくて信用できないものはないと思う。戦争の軍事支援って、これまで友好的だった国に進軍して傷つけて、ムジカの騎士も戦場に出すってことだろ? それをするだけの意味があるのか、俺にはわからない」
アリアはこぶしを握りしめて、視線を落とした。
ふと、一人ぼっちの塔から見た、城の景色を思い出す。
掃除した窓を満足そうに見つめる使用人や、稽古を終えて談笑する騎士たち、それと庭木に隠れて寄り添い合う恋人たち。
他にも、風に揺れる草花だとか、空を踊るように飛ぶ小鳥たち、微かに香ってくるパンの匂い。
自分がその景色の中に入ることはなかったけれど、穏やかで温かくて尊い城の日常は、アリアにとって大好きな風景の一つだった。
ひとたび戦争に参加することが決まってしまえば、当たり前のように流れていた穏やかな日常が壊れてしまうだろう。
しかも、自分たちは隣国から奪うため……侵略のために戦争に向かうことになるのだ。
「俺は、臆病者と罵られても構わない。誰かが傷ついたり死んだりするのはもう嫌なんだ。それよりも、叔父上。本当に国を想うのなら、あんなおかしな議会を許さないで。酷くなる対立をどうにかできるのはもう、叔父上だけだと思う。だから、どうか……お願いします」
「殿下……」
深く頭を下げて真摯に助けを請うアリアに、レミィとアルヴィスも同じように頭を垂れた。
――このまま放っておいたらきっと、王宮の中でもっとひどい分裂が起こる。手がつけられないほどに議会が荒れてしまうかもしれない……。どうか、叔父様の心に響いて。
アリアは心のなかで強く祈る。
けれど願いは届かなかったようで、舌打ちの音が静かな廊下に響いた。
「政敵である私に頭を下げるとは。腑抜けにもほどがある。王族の矜持までも失ったお前は、ムジカの王子失格だ」
王弟コーダはアリアを見下すように一瞥し、踵を返して去っていった。




