第4話 よからぬ予感
王妃から情報を得たアルヴィスは独自のルートで商人について調べ上げ、やがて一軒のアポセカリーにたどり着いた。
アポセカリーとは、薬と毒を販売する専門店のことらしい。最近、近隣国で流行り始めたようで、ムジカ王国の城下町にもぽつぽつと店が現れていた。
個人で気軽に毒を購入できるなど世も末だと、アルヴィスは扉の前で眉をひそめる。
城下町のはずれの路地裏にあり、看板さえ掲げられていないアポセカリーが薬と毒のどちらを重点的に取り扱っているか。そんなものは言われなくてもすぐにわかった。
扉を開けると同時にドアチャイムの音が高らかに響く。
薄暗い部屋の中には所狭しと瓶が並べられており、草花やキノコ、何かの粉末などが詰め込まれていた。
「こんにちは。こちらでジュピトローズを売っていただけると聞いたのですが」
ドアチャイムとアルヴィスの声とに、奥から髭面の男がのそのそと現れる。あまり接客をする気がないのか、男は無愛想な顔でカウンターの前に立った。
「兄さん。印は?」
「印、とは?」
アルヴィスが怪訝な顔をすると、男は静かに首を横に振った。
「悪いが、ウチに薔薇の取り扱いはない。ほかをあたってくれ」
「それならば、取り寄せることは可能ですか? 僕は王族の使いで来たので、手ぶらでは帰りづらいのですが」
アルヴィスは、情報を得られないまま帰れるものかと食い下がる。
王族と出せば少しは揺らぐかと思われたが、男の態度は変わらないどころかため息さえ聞こえてきた。
「取り扱っていないものをあれこれ言われても、無理なものは無理だ。お前さんに売れるものは、ここに並んでいるものだけになる」
「……そうですか。それならばもう十分です」
これ以上ごねたところで何も得られないだろうと判断し、アルヴィスは諦めて撤退することに決めた。
「どうも、お騒がせいたしました」
穏やかに言って扉を開け、人気のない路地裏へと出ていく。
最後に盗み見るように振り返ると、店員の男が安心したように息を吐いているのが見えた。
――さすが、裏ルートの商人ですね。簡単に情報をこぼしてはくれない。それでも、アポセカリーに出向いて正解でした。わかったこともありますし。
にぃと口角を引き上げて笑っていると、あたりに鐘の音が響いた。
高い音の鐘が一回と低い音の鐘が一回。十時の知らせだ。勤務が始まる時間が差し迫っている。
アルヴィスは足早に路地裏を進み、急ぎ城へと戻って支度を済ませ、王子の執務室に向かった。
今日のベルカント王子はどんなことをしでかすのだろう。
昨日は、ハニートラップを仕掛けようとすり寄ってきた令嬢に「え、身体が火照る!? それ風邪なんじゃないか? すぐに先生を呼んでやるからな!」とローラン医師を呼び寄せて、仮病の診断を大勢の前で告げさせた。
一昨日は、王弟派の貴族の嫌がらせで無視をされているのに、それに気づかない王子は大声で話しかけて、しまいには『耳が遠い』と判断したのか筆談を始める始末。
これを嫌がらせではなく、善意からしているものだから最高に面白い、とアルヴィスは喉の奥を鳴らして笑う。
――だが、こんな愉快な王子を毒殺しようとした不届きな者がいるということは、面白くない。それが毒薔薇を使用した王妃なのか、また別の人物なのかは、まだ調査の必要がありそうですね……。
考え事をしているうちに執務室の前へとたどり着き、ノックの音を響かせて名を名乗る。
すぐに「あれ?」と間の抜けた声が聞こえ、侍女が不在だったのかレミィではなく、王子自らが扉を開けて顔を出した。
「おはよう、アルヴィス! 今日の仕事は昼前からだったんだな。休みかと思ってたよ」
「はい。諸用があったもので、朝のうちだけお休みをいただきました。申し訳ございません」
執務室に入り、眉を落として謝罪の言葉を述べる。
毎度何が面白いのかアルヴィスにはまったくわからないが、ベルカント王子はいつものように楽しげな笑みを浮かべていた。
「全然問題ないよ! それに、もし疲れてるんならソファで休んでからでもいいし、午後も休みでも構わないけど」
「休む、とは。なぜです?」
体調不良で勤務時間をずらしたわけではないし、いまもべつに顔色が悪いわけでもないだろうに、とアルヴィスは首を捻る。
「んー? さっき俺が扉開けたときに、めずらしくここにシワが寄ってたからさ。疲れてるのかなーって」
ベルカント王子はそっとアルヴィスの眉間に触れて、撫でるように指先を動かした。
「――っ!?」
いきなり触れてくるという距離の近さに驚いて後ろに飛び退いた結果、ドアノブに背中を強打する。
「うわ! アルヴィス、大丈夫か……?」
「痛っ……た……」
思いもよらぬ痛みに、顔をしかめて背中をさする。
兄からの理不尽な折檻のおかげで痛みには強いほうだという自負はあったが、不意打ちにはめっぽう弱いのだなとアルヴィスは苦笑した。
「驚かせちゃったみたいで、ごめんな……」
「いえ。おかげさまで眠気も吹き飛びましたし、眉間のシワも残らずに済みそうです」
あまりの格好悪さに痩せ我慢をして笑顔を繕うと、王子はホッとしたように息を吐いて、楽しげに笑った。
「あはは! そっかそっか、眠かっただけか。それならよかった!」
――まったく、この人は鋭いのか鈍いのか……。人の心配や苦労も知らないでお気楽なのだから。
呆れてしまうと同時に無邪気な笑顔が眩しくて、アルヴィスは穏やかに目を細めて、頬を緩める。
そんなアルヴィスを見つめたベルカント王子は目を瞬かせたのち、花開くような笑顔を見せた。
「うん。アルヴィスはやっぱり、そっちの笑顔のほうがいいよ!」
「へ……?」
明るく笑う王子に釘付けとなったアルヴィスは、間抜けな声を出して立ち尽くす。
――そっち!? そっちの顔とは……?
アルヴィスからすると、自分の笑顔の違いなんてこれっぽっちもわからない。
さらには、自分を見上げて笑う王子を『可愛らしい』と思ってしまったことは、なおさらよくわからなかった。
「さぁて、続き続きっと!」
楽しげに机に戻っていく王子の背中を見つめたまま、アルヴィスは困惑が止まらない。
――は? 可愛らしいって、なんです? 同じ歳の男に、可愛らしい!? 女性なんてそこらじゅうにいるのに、王子相手に抱く感想じゃないでしょう。頭、沸いてるんじゃないですか?
情報収集のために散々令嬢と会話をしてきたアルヴィスだが、どれほど色香に溢れた女でも、男心をくすぐる甘え上手な娘でも、可愛らしいなんて思ったことはなかった。
それどころか、女たちが向けてくる、身体にまとわりつくほどの恋心に、煩わしささえ感じていたくらいだったのに。
「……殿下がおっしゃったとおり、疲れているのかもしれません」
ぼそぼそと呟くと「ん、何か言ったか?」とベルカント王子が振り返る。
窓を背景にしているせいなのか、それとも目が疲れているのか、王子の周りが不思議と輝いて見えて……。
よからぬ予感にアルヴィスは頭を抱え、今日は早く床に就こうと固く誓ったのだった。




