第3話 毒蛇と毒花
「ああ、忌々しい、忌々しい……っ!」
侍女を引き連れた王妃が爪を噛みながら廊下を行く。
胸元が大きく開いたドレスをまとう姿は華やかでありつつ艶やかで、愚かな虫を誘う毒花のようだ。
「このままではすぐに春が来てしまう……何か良い手は……」
見るからに焦り苛立った様子の王妃は、ふと視線を上げて顔を歪ませた。
「っ、ここに薔薇を生けたのは誰⁉ 私の行く道には置くなとあれほど言ったのに! 不届きな使用人を、早くここに!」
広い廊下には花瓶が等間隔に飾られており、季節の花のほかに紫の薔薇が生けてあった。
廊下を鮮やかに彩る薔薇は、美しい。だが、毒紅茶の事件以降、薔薇を激しく嫌うようになった王妃の逆鱗に触れてしまったようだ。
目を赤く血走らせるフェローチェ王妃に侍女たちは恐れ慄いて、犯人を探すためすぐさま四方へ散っていく。
やがて、王妃は護衛のみを残して廊下に立ち尽くした。
「ご無沙汰しております、王妃殿下」
曲がり角で頃合いを見計らっていたアルヴィスが悠々と現れて、フェローチェ王妃に近づく。
そのまま手近な花瓶から紫の薔薇を一輪とって、王妃に差し出した。
王妃は笑みを浮かべてはいるものの、瞳はアルヴィスを強く睨みつけている。
嫌っていると知りながら自分に薔薇を差し出す神経に虫唾が走ったのだろう。フェローチェ王妃は咲き誇る紫の花を、形が無くなるまでぐしゃぐしゃに握りつぶした。
「……ベルカント王子の側近が、私になんのご用かしら?」
「薔薇を売りつけてきたという商人を探しているのです。どうか、お教えいただけませんか?」
「いまさら蒸し返すの? 水に流すといったのはそちらでしょう」
「僕が許せば、というのが前提のお話でした。王子殿下がお許しになっていたとしても、僕は許したつもりはありません。毒薔薇混入が事故だとしても、殿下に危険が及ぶ可能性があったのですから」
アルヴィスは茎だけになった薔薇を再び花瓶に戻して、鋭い瞳のまま笑う。
そう、許せるわけがない。もしも王子があの茶会で毒殺されていたのなら、自分の計画は全て水の泡になっていただろうから。
それに何より、あんな面白い男が毒であっさり死ぬなんて、もったいないにもほどがある。
金色の瞳で睨みつけて圧力をかけるが、王妃はそれには動じず楽しげに笑った。
「話す価値もないわ。証拠もないし、茶会の参加者など現れないのだから。架空の茶会での話など、誰も信じないことでしょう。お気の毒ね。それではごきげんよう」
やはり茶会後、令嬢たちの口を封じていたか、とアルヴィスは納得をし、これで引くと思われているなどずいぶん甘く見られたものだと口角を上げた。
「王妃殿下、先日ノースランド王国から面白い物語を仕入れたのですが」
アルヴィスは去ろうとする王妃の背中に声をかけ、王妃はノースランドという単語に無言のまま足を止めた。
「ぜひ王妃殿下にお聞きになっていただきたいのです。近隣国の筆頭公爵に嫁いだものの、夫を亡くし愛娘も奪われて祖国に戻ることになった、悲しき未亡人のサクセスストーリーをね」
♤
「これは、ほんの十数年前のお話です」
愕然と立ち尽くした王妃が何も言えなくなっているのをいいことに、アルヴィスは読み聞かせでもするかのように語り始めた。
とある国に、美しくて気が強く、わがままな公爵令嬢がいました。
公爵令嬢は父に連れられた外遊でノースランド王国の筆頭公爵と出会い、見初められ、結婚することになりました。
裕福な暮らしと贅沢三昧の日々。自分にぞっこんで、何も咎めようとしない夫。
自分に似た可愛らしい娘も誕生し、公爵夫人となった令嬢は、幸せの絶頂にいました。
ですが、そんな幸せも長くは続きません。
不幸なことに彼女は子を生んだ翌年に、夫である公爵を病気で亡くしてしまったのです。
未亡人となった令嬢は、夫の遺志を継ぐ……ようなことはせず、美しい衣装と宝石にますます心を奪われていきました。
公爵家と一歳の娘を守ることより、着飾ることを選んだのです。
やがて、彼女の豪遊・怠惰ぶりはひどくなり、娘に対しても育児放棄の範囲にとどまらず、暴言や暴力を浴びせるようにもなりました。
事態を重く見たノースランド国王の命令もあり、公爵の弟が一歳の娘を引き取り大切に育てて、家の立て直しをはかりました。
そして……と、アルヴィスは呟くように言い、薄い唇が嘲笑うように弧を描いた。
「居場所を失った貴女様は、祖国ムジカに逃げるように帰ってきた」
「っ……!」
フェローチェ王妃はわなわなと細かく震え、青ざめた顔でアルヴィスを見ている。
いまにも気を失ってしまいそうに見えるが、アルヴィスはさらなる追い討ちをかけようと口を開いた。
「幸運なことに、ちょうどその頃ムジカ王国の大臣たちは新しい王妃候補を探していたそうですね。前王妃殿下は持病でお隠れになり、その血をひくベルカント王子殿下もお身体が強いとは限りませんし」
もう一人世継ぎが欲しいと思うのは当然の流れでしょうね、とアルヴィスは静かに語り、話を続ける。
「国王陛下が妻の候補者に提示した条件『自分と歳が離れておらず、出産歴がある』に貴女様はぴたりと合致していました。この機を逃すまいと『幼い我が子を虐待して、国を出された女』という真実は歪められ『愛娘と家を奪われた悲劇の未亡人』であるとされて……貴女様は見事王妃の座を手に入れたのです」
過去の物語を語り終えたアルヴィスは「こちらは先の茶会と違って、架空のお話ではなさそうですね」と皮肉を込めて言う。
「……何が目的?」
声を落とし、睨むように見つめてくる王妃に、アルヴィスは人好きのする笑みを浮かべた。
「いえ、強請るつもりはありませんのでご安心を。先ほども申し上げたとおり、毒薔薇を混ぜて売りつけてきた商人の特徴について、お教えいただきたいのです」
「わかりましたわ……それだけでいいのね」
フェローチェ王妃は、ほっと安堵のため息をこぼす。公爵夫人時代の情報が表に出てしまえば、彼女は国王から捨てられかねない。未だ夜伽の役目も果たせていないのだから、なおのこと。
さらに、王妃が未だ毒薔薇の商人を見つけられずにいるのは、アルヴィスも知っていた。
『王妃である自分も諦めた商人捜し。伯爵の次男ごときが突き止められるわけがない』と、彼女が高をくくっているであろうことも。
自分に有利な条件に血色を取り戻したフェローチェ王妃に、アルヴィスは微笑みながらどこか張り詰めた声で問う。
「あとはもう一つだけ。先ほど、春が来ることを気にされていましたが、何かご不安なことでも?」
フェローチェ王妃は息を呑んで目を泳がせ、だまりこくる。
どうやら根回しや揉み消しは上手いが、とっさの誤魔化しと対応は苦手なようだ。安心しきったところで、ちょんとつついてやればすぐにボロが出る。
「そういえば……次の春は立太子の儀がありますね。ベルカント王子殿下が王太子の肩書きをいただく、大変めでたい季節です」
「くっ……」
フェローチェ王妃は後退り、アルヴィスを睨みつけながら微かに震えた。
「ああ、そうそう。僕を消そうとしても無駄ですよ。万一、僕が不幸な事故で死んでしまったときは、別ルートで貴女様の物語が漏れ出るようにしてありますから。ですので……」
愉悦に満ちた笑みで、アルヴィスは饒舌に語る。綿密に練り上げた計画が思い通りに上手くいくこの瞬間はいつも、最高に気分がよくて、最高につまらない。
アルヴィスは小さく息を吐き出して、ふっと笑みを消した。
「王子殿下を害そうなんて、二度と思わないことです」
威圧感に溢れた金色の瞳にフェローチェ王妃は血色を失い、身動きがとれなくなっている。蛇に睨まれた蛙さながらだ。
弱みを握られて威圧され、すっかり威厳を失ってしまった王妃を見つめたアルヴィスは、最後ににこりと笑みを浮かべたのだった。




