第2話 交渉
アルヴィスは書類を届けに行くふりをして、バルコニーの庭園に一人で足を踏み入れた。
花で彩られた庭園を進み、周りに誰もいないのを確認したあと、指笛を吹いて右手を掲げる。
やがて、旋回していた鷹が降りてきて腕にとまり、甲高い声で嬉しそうに鳴いた。
アルヴィスは鷹の首元を一撫でし、足にくくりつけられた手紙をとって、目を通す。
「さすが、完璧な仕事ぶりです」
読み終えて、にぃと口角を上げたアルヴィスは鷹を空へ返し、ベルトにつけたポーチからマッチを取り出した。
手紙に火を点け、勢いよく燃えはじめた紙を空に放ると、風に吹かれて粉々になって消えていく。
そのまま何もなかったかのようにアルヴィスは踵を返し、悠々と庭園を去っていった。
それからというもの、アルヴィスは休憩時間や休日を使って、上位貴族の婦人や令嬢と親しげに話すことが日課になっていた。
国王の政敵だと警戒されるノヴァリー家の息子アルヴィスだが、艶やかな黒髪も、金色に輝く切れ長の目も、妖艶さを感じさせる整った顔の微笑みも美しい。
おまけに物腰まで柔らかいものだから、はじめは警戒していた女性たちも、すぐに彼に夢中になった。
「こんにちは。ヴァネッサ様のお姿が見えたもので、抜け出してまいりました。少しだけでも構いませんので、私に貴女様のお時間を分けていただけますか?」
アルヴィスは自身の胸に手を当てて、懇願するように問いかける。
今日のターゲットは、フェローチェ王妃の取り巻きの一人である公爵婦人。
普段はツンとすましている彼女だが、美しい男のアプローチにまんざらでもないようで「構いませんわ」と頷いた。
以前ベルカント王子にも話していたように、アルヴィスは有利にことを運ばせるため、事前のリサーチを欠かさない。
ヴァネッサの好む話題、夫婦仲や交友関係はもちろん、好きな香りや好む異性のタイプ、何気ない癖まで把握したうえで話しかけている。
同じタイミングで同じ仕草をして親近感を与えたり、相手が好む姿を演じたりして、心の奥に入り込むのだ。
アルヴィスにとって、やる気にさえなれれば相手の考えや想いを知ることも、相手が求める姿を演じることも全て容易いことで、相手の反応も全て想定内のことだった。
ただ一人、ベルカント王子を除いては。
今回もまた造作もないようで、距離を詰めて耳元で甘く囁けば、ヴァネッサの心はすぐにアルヴィスの手のひらへと転がり落ちてきた。
こうなってしまえばもう、面白みなどなにもない。女性たちは皆、聞いてもいないのに夫・婚約者の秘密や、他の令嬢・貴婦人の不貞についてなど、何から何までべらべらと教えてくれるのだ。
だが、アルヴィスが王妃殿下の話題を振った途端、ヴァネッサは口をつぐんだ。
これは、彼女だけのことではない。皆一様に、よく滑る口が重くなる。
ことローズティーが出た茶会の件においては、誰もが口を閉ざしてしまうほどに。
「わ、私、大切な用事がございますので、そのお話はできかねますの。でも、近いうちに会えますかしら? アルヴィスとまた、ゆっくり演劇のお話を楽しみたいわ」
ヴァネッサは美しい男の心を繋ぎ止めようと、優しく彼の手に触れる。
色香で惑わそうとしているのか、指先で甲を撫でられて、上目遣いで見つめられた。
聞こえないほどの小さなため息を吐き出したアルヴィスは静かに手を離す。不安げなヴァネッサに対し、否定も同意もしないまま穏やかに微笑んだ。
「足を止めさせてしまい、申し訳ございませんでした。ご用事があるということでしたので、僕はこれで失礼いたします」
アルヴィスは離れがたい様子のヴァネッサを置いて、振り返りもせずに去っていく。
角を曲がったところで城壁に背をつけて、ひとり思索にふけった。
――彼女も、か。肝心なところを誰一人として話そうとしない。これは、何らかの力が働いている、と考えるのが自然でしょうね。
自分可愛さに事件をもみ消そうとしているだけなら、まだいい。が、腹に一物ありそうな王妃が事件をなかったことにしたあと、そのまま大人しく諦めて現状に甘んじているはずがない、とアルヴィスは視線を落とす。
――まだ不透明で腑に落ちない部分はあるが、仕方がない。先んずれば人を制す、と言いますからね。
覚悟を決めたアルヴィスは顔を上げて歩き出し、楽しげに口角を上げた。
♤
夜の帳がおりて星が瞬き始めた頃、城下町の繁華街では陽気な笑い声があちこちで響いていた。
フード付きの黒いローブを身に着け、酒を手にしたアルヴィスは酔っ払う男たちを横目に裏路地へと入り込む。
黒のローブは闇に溶け、金色の瞳だけが微かな光に浮き出るように輝いた。
まっすぐ進み続けていくと、ランタンの灯りが一つと、地面に座りこんだ小汚い男が一人いるのが見えた。
「ムジカの酒は美味いですか?」
アルヴィスがフードを脱いで話しかけると、酒臭い男は歯抜けの口でニィと笑う。
「ヒヒッ、そりゃあ美味いさ。とってきた情報をいい値段で買ってくれるんだろ?」
「そうしたいのは山々なのですが、今日は熊肉もキツネの毛皮も、ヘビ皮もありません」
アルヴィスは眉を落として酒瓶を差し出す。
一方の男は途端に不機嫌な顔になり、瓶を奪い取って栓を開け、酒をのどに流し込んだ。
「ったく、シケてんなァ。これがどれほどいい酒だとしても、情報はやれねぇよ。なぁ旦那、美貌の王子の側近をしてるんだろう? 王子の面白い情報はないのか? 隠し通したい秘密や内緒の恋、気味の悪いクセなんかがあれば、その情報と交換でいいぜ」
アルヴィスはうつむいて考え込む。情報になるようなことなら、多々あった。
頭を打って以来、人が変わったように明るく能天気になったこと。お人好しで、よく笑い、すぐに人を信じてしまうこと。
毒に詳しいことや、老医者から受け継いだ研究ノートを保管していること。
特にノートに関する情報はサウス国王が渇望していることもあり、高値で売れることだろう。
「そうですね……王子殿下について、ですか。あの方は情報どおり、生真面目でゴシップのないつまらない方でして。ですので、王妃殿下が蛇蝎のごとく嫌うモチーフ。それと、三股をする精力旺盛な公爵のお話などはいかがでしょうか?」
アルヴィスの提案に、つまらなさそうにしていた男は次第に前のめりになって、目を輝かせた。
「王妃が嫌うモチーフ……御婦人に売りつけるにはもってこいのネタだ。皆、あの王妃に気に入られたくて、必死だからな。それに三股公爵か、女の恨みは怖いぜぇ。噂が明るみに出たら没落もあり得るな、ククッ」
男は喉の奥を鳴らし、下卑た笑いを浮かべる。
こういった男は、成功者やそれに媚びる女を自らの手で凋落させるのを好むものだ。
思惑通りすぐに餌に食いついてきたのを見て、アルヴィスはあまりのあっけなさに内心呆れ返った。
――やはり、この男も面白みがない。予想外で意味がわからず、そばにいても退屈しないのは、王子殿下だけですね。
アルヴィスは白銀の髪を揺らして笑う王子の姿を思い描きながら、穏やかに目を細めた。
一方、男は魅力的な交換条件にひとしきり笑ったあと、アルヴィスを見上げてにやりと口角を上げる。
「旦那ァ、のったぜ」
「交渉成立ですね。では……フェローチェ王妃殿下の過去についてお教えいただきましょうか」
ストック話数→7




