第1話 様子がおかしい側近
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ベルカント王子と森に出掛けて以来、側近騎士であるアルヴィスはぼんやりと呆ける日が増えた。
執務室で書類整理を進めているときも数分に一度固まって、王子の横顔を眺めている有様なのだ。
――最近、自分がおかしい。王子殿下から目が離せないのです。護衛も兼ねているので目を離してはいけないのですが、そういう意味ではなく。
アルヴィスが顔を上げると、ベルカント王子が書類とにらめっこをし、唇を尖らせている姿が目に入る。
王子はやがて引っかかっているものが解決したのか、明るい笑みを浮かべてペンを走らせた。
ころころと変わっていく王子の表情を見て、アルヴィスは人知れず笑う。
あんなにも忌々しいと思っていた空色の瞳を美しいと思うようになったのは、いつの頃だったか。
雪のような白銀の髪が揺れるのを目で追うようになったのは、なぜなのか。
アルヴィスが自身に問いかけていると、明るく柔らかな声が耳をくすぐった。
「なぁ、アルヴィス」
名を呼ばれて、鼓動が跳ねる。
王子にだけこんな反応をしてしまう自分もわけがわからない。
アルヴィスは内心頭を抱えるが、冷静さを繕っていつもの笑みを浮かべた。
「なんでしょう」
「ほら、もう終わったぞ!」
王子は机の上が空っぽになったのを見せつけて『どうだ!』と言わんばかりの笑顔を浮かべている。
褒められたかったのだろうか。
いい歳をして子どものようだと内心呆れるが、自分に褒めてもらいたいが故のこと。そう考えるとそれも悪くない、とアルヴィスはほくそ笑む。
「さすがです、殿下。仕事の効率が、みるみるうちに上がっていきますね」
「アルヴィスが前に、書類の見方を教えてくれたおかげだよ」
屈託のない笑みに、懲りずに鼓動が跳ねる。
やはり、おかしい。アルヴィスはまた自分の反応に困惑して、人知れず懊悩する。
「お褒めにあずかり、光栄です。が、殿下が集中してこなされているからこそですよ」
アルヴィスは穏やかに目を細めて、ベルカントは「ありがとう」と、くすぐったそうに笑った。
王子らしさの塊だったベルカント王子は頭を打って、記憶とともにプライドまでもなくしてしまったのだろうか。
いつでも誰に対しても繕うことがなく『できない』『わからない』『教えて』と臆面なく言ってのける。
そして、少し教えただけで紙が水を吸うように知識も技術も取り入れ、あっという間に自分のものにしてしまうものだから、アルヴィスも面白がってつい世話を焼いてしまい、あれこれ教えたくなってしまうのだ。
――記憶を失くしてから、この方は別人のように変わった。悪意がまったく通じないし、毎度予想外な行動ばかり。王妃に謝罪を要求するわ、大臣の助言を完全無視するわで、危なっかしくて見ていられません。
どうしたものかと王子を盗み見ていると、静かにドアが開く音がした。
「一呼吸入れましょう。お茶をお持ちしました」
「レミィ、ありがとう! 今日はスコーンか。うわぁ美味しそうだな」
レミィがティーセットとお菓子を載せたカートを持って入ってくる。
ベルカント王子は甘いものが好きらしく、目を輝かせて駆け寄った。
仕事のできる侍女レミィは、無駄のない動きでみるみるうちにティータイムの準備を整えていく。
品のある薔薇柄のカップにお茶が注がれるのをアルヴィスは横目で見つめた。
柑橘の爽やかでほろ苦い香りがする。今日の紅茶はアールグレイのようだ。
――薔薇と紅茶、か。そろそろ連絡が来る頃でしょうか。すべて水に流す、と貴方は言ったけれど、あの方は、そういう相手ではないでしょう?
何が原因かはわからないが、泉のそばで見た、いまにも消えてなくなりそうな儚い笑みはもう二度と見たくない。
自分の目的のために仕えているとはいえ、王子にらしくない表情をされては調子が出ない。
考え事をしながらふと顔を上げると、鷹の鳴き声が聞こえる。
アルヴィスが窓に寄って空を仰ぐと、足に何かを括りつけた鷹が旋回しているのか目に入った。
――やっと、ですか。
ベルカント王子がレミィと楽しげに話す声を後ろに聞きながら、アルヴィスはにんまりと笑みを浮かべた。




