第1話 アルヴィスの趣味
代役を始めて数ヶ月、アリアはすっかり王子役が板につき、大きな問題もなく公務をこなしていた。
「では、私はこの書類を提出しにいってまいります」
「レミィ、ありがとう。よろしく頼むよ」
台車を押すレミィに、アリアは微笑む。
扉の前でレミィは一礼して去り、アルヴィスと二人きりになった執務室には、ペンを走らせる音が絶え間なく響いている。
やがて、仕事を終えたアリアは大きく背伸びをして、そのまま机に突っ伏した。
「はー、終わったぁ。でも明日、暇になっちゃったよ……。なぁなぁ、アルヴィスは休みの日って何してるの?」
一足先に仕事を終えたアリアは、書類整理を続けるアルヴィスに問いかけた。
こうして仕事がある日はいいのだが、暇ができると何もやることがなくなってしまう。
兄が好んでいたボードゲームは面白みがわからないし、王子という名目上レミィとべったりなのも外聞が悪い。
以前のように塔で毒の研究を続けたいが、城はずれの塔に入るのを誰かに見られでもしたら、どんな噂がたつかわからない。
そこで暇を持て余したアリアは、なにか参考にできたらとアルヴィスに問うことにしたのだ。
思いもよらぬ問いかけだったのだろう。アルヴィスはぴたりと動きを止めて、アリアに視線を送った。
「僕の余暇の過ごし方などに興味がおありなんですか?」
おかしな人だと言わんばかりに眉をひそめるアルヴィスに、アリアはからりと笑う。
「知りたいと思うのって、別に変じゃないだろ。よく考えたら俺、アルヴィスのことはほとんど知らないしさ。気になるよ」
「側近の選考で僕のプロフィールはお読みになったはずでは?」
「うーん。でもさぁ、あれ、本当のこと書いてないだろ?」
にぃといたずらっぽくアリアが口角を上げる。
まだ数ヶ月の付き合いではあるが、それでも中身が間違いだらけなのは、アリアにもわかる。
「おや、バレてしまいましたか」
悪びれもなくアルヴィスは言うが、別に咎める気もなかった。おそらく、兄の学友であるテナーや他の側近候補者だった者たちのプロフィールもそうだろうから。
自分の評価を上げるために彼らが嘘を書いていたのは、想像に難くない。
「殿下がおっしゃるように、僕の趣味は『読書』ではありません。正直、本にはあまり興味がない。本当の趣味は……しいていうなら『森』でしょうか」
「趣味が……森……?」
アリアは眉を寄せて、首をひねる。謎掛けなのかと考えてみるも、意味がわからない。
混乱するアリアを見てアルヴィスはくすくすと笑い、壁に飾られたムジカ王国の地図をなぞった。
「ノヴァリー領には豊かな森と雄大な川があります。城に来る前は、そこに狩りや採集に出かけていました。鹿の角にイノシシの肉、野草なんかも、結構いい値段で売れるんですよ」
「さすがにいまは、王都近くの森にしか行けませんが」と眉を落とすアルヴィスに、アリアは前のめりになって目を輝かせた。
「うわぁ、面白そう! 城の近くにも狩り場や採集場所があるのなら、俺もついて行きたい!」
「いいんですか。貴族の嗜みとしての狩猟とは違いますよ? 単独で行くので猟師がお膳立てをしてくれるわけでもないし、鷹や猟犬を使うものでもありません」
困惑するアルヴィスに、アリアはにっと歯を見せて笑った。
「なおさら気になるし、ますます行きたくなった。よし、明日行こう! いまなら、馬車の手配や申請も間に合うだろ?」
「なんと、明日ですか。また無茶を……」
頭を抱えるアルヴィスを横目に、アリアはすでに申請用紙を取り出しており、流れるように書き始めていた。
♢
翌朝、アリアはいつもより早く起きて、すぐに身支度を始めた。
誰かと約束をして、しかも城の外に出掛けるなど初めてのこと。胸の高鳴りが止まらない。
扉の前で今か今かと待っていると、ノックの音とともにアルヴィスの声がした。
「殿下、おはようございます。お迎えにあがり……」
「おはよう! 今日はよろしくな!」
アリアは瞬時に扉を開けて言う。話途中でいきなり開いたものだから、アルヴィスは後ろに飛び退き目を丸くした。
「で、殿下……もしや扉の前にいらしたんですか?」
「ああ。待ちきれなくってさ!」
アルヴィスにとって今日は休日であるが、王子の護衛もあるためか、いつもの騎士服を着ている。いつもと同じであるはずなのに、アリアはどこか違和感を抱いた。
「なーんか、普段と違うような……。なんだろう。ああ、そうか、弓と矢を持ってるんだ!」
「ご明察でございます。弓は肌見放さず持っておきたかったもので、申し訳ございません。側近で、しかも騎士が弓。殿下もお嫌ですか?」
アルヴィスの問いかけにアリアは小さく唸り考える。少し経って、どこか言いにくそうに口を開いた。
「側近騎士が弓……普段から弓を持つとなると、結構大変じゃないか? さらに荷物が多くなるし、あちこち引っかかりそうだし。まぁアルヴィスが持ちたいって言うなら、止めないけど……」
真剣に語るアリアにアルヴィスはきょとんとして目を瞬かせる。
やがて、顔を押さえて肩を震わせながらくつくつと笑い出した。
「ちがっ……ふふっ、違いますよ。僕が言いたかったのは、騎士にとって弓は『卑しい者の武器』とされているということ。騎士たるもの、正面から剣や槍で戦うべきというのが伝統ですから」
「――っ!」
盛大な思い違いに、アリアはあわあわと慌てる。
アルヴィスは『王城で、しかも騎士服をまとった状態で弓を持つなどもってのほかだ』とベルカントも考えているのか問いたかったのだろう。それなのに……
「まさか、そのようなご返答をいただけるとは」
アルヴィスの笑いのツボにはまってしまったのか、彼はまだまだ普段通りに戻れそうにない。
ほとんど見ることができない、作り物ではない彼の本当の笑顔。
アリアの口元は、次第に弧を描きだした。
――もしかして、アルヴィスのこの顔を見たことがあるの、私だけだったりして……なんてね。
小さな優越感に喜びを感じ、胸がきゅっと動く。いままで感じたことのない感情にアリアは動揺し、思わず自身を抱きしめるように腕を組んだ。
「笑い過ぎだって。そろそろ行こう! 護衛たちが待ってるはずだから」
無意識のうちに感情と向き合うのを拒んだアリアは、口をとがらせて階段を指し示す。
「どうにも笑いが止まらず。申し訳ございません」
大して心がこもっていない謝罪をアルヴィスから受けて、二人は厩に向かい歩き出した。




