第4話 魔の葉
――王族は孤独、か。
アリアは兄が話した『信じられるのは家族だけ』という言葉を思い出す。
華やかな立場の裏側で、兄は城で誰も信じられない生活を送っていたのだろうか。
そうだとしたら、なんて悲しいことだろう、とアリアは目を伏せて息を吐く。
――もしかして兄様は、王子という立場が嫌になっていなくなっちゃったのかな。
そんなことを考えながら顔を上げると、アルヴィスと視線が重なった。
いつもは飄々としているアルヴィスだが、このときばかりは不思議とどこか動揺しているように見えて……。
アリアは、心配ないという気持ちを込めながら、にこりと笑顔を見せた。
♢
「なぁアルヴィス。まだ時間ある?」
アリアの問いかけに、アルヴィスは懐中時計を取り出してうなずいた。
「ええ。一時間ほどは」
「そうしたら、医務室に行こう。ローラン先生に、聞いてみたいことがあるんだ」
アリアの提案にアルヴィスとレミィは「承知しました」と一礼し、三人は医務室へと足を進めた。
「ローラン先生はいるかな? あ、よかった、いた!」
扉を開けるとすぐにローランと目が合う。どうやら今日の当番医は、彼女のようだ。
奥のイスに腰掛けたローランは優雅に一人でティータイムを楽しんでおり、アリアを見るなり隣のイスを指し示した。
「ああ、ベルカントか。こっちおいで、美味い茶葉を手に入れたんだ。一杯奢るよ」
「本当か! ありがとう」
アリアが座ると、ローランは棚から三セットのティーカップを出して紅茶を注ぐ。
「ほら、アンタたちも座ったらどうだい。城のやつらも見てないし、構わないだろ。さ、リーナリ諸島のブレンドティーだよ。ブドウの香りがするんだ」
ローランはてきぱきと三人にティーカップを手渡し、レミィとアルヴィスも促されるまま腰をおろした。
「んで、今日はアタシになんの用だい?」
ローランはカップを片手に尋ねる。
ブドウの香りがする紅茶にアリアは興味津々といった様子だったが、すぐに表情を真剣なものへと変化させた。
「ローランは確か、サウス王国の出身だったよな。あのさ……マバルの葉って知ってる?」
『マバルの葉』という単語に、レミィとアルヴィスは同時に目を見開いた。
マバルの葉は煙を吸った者に幸せな夢を見せる代わりに、人生を破滅へと導く禁断の葉。
王族がそんなものに興味を抱くなど許されることではないし、二人が驚くのも無理はない。
だが、ローランだけは動揺することなくアリアを見つめ続け、ふぅと小さく息を吐いた。
「マバルの葉、か。知ってるも何も、アタシはサウスでマバルの葉について研究させられていた一人だよ」
思いもよらぬ話にアリアたちは言葉を失う。
マバルという植物は謎に包まれており、木なのか草なのかさえ一般的に知られていない。
栽培が可能なのも限られた者だけで、サウス王国でしか手に入れることのできない幻の葉なのだ。
目の前の女医がそんな危険な葉の研究に携わっていたなど、青天の霹靂だった。
「アタシの祖国、サウス王国は知っての通り医療と薬物、交易の国。ここいらの国は不老長寿を目指して錬金術で『賢者の石』の錬成に力を注いでいるだろ? けど、サウスでは犯罪者や薬物中毒者を使って、王侯貴族のための薬物、毒物の研究』をしていたんだ」
「それは、人体実験……ってこと?」
恐る恐るアリアが尋ねると、ローランはこくりと頷いた。
「平たく言うと、そうさね。あの頃アタシはまだ駆け出しだったから詳しい内容はほとんどわからない。けど、師匠はマバルの葉を含む毒物の担当で、なんでもやらされていたね」
ローランは世間話でもするように、身振り手振りを交えて話す。
表情こそ普段と変わらなかったが、頻繁に足を組み替えているところを見ると、ローランにとって居心地の悪い話なのだろう。
深いため息を吐き出したローランは、ティーカップの波紋を見つめて、再び口を開いた。
「サウス王はさ、実験で得た知識と技術を使って、さらに不幸な人間を生み出して金儲けをする気だった。医療を治療のためじゃなく、稼ぐために使おうとしたんだ」
「……っ、ひどい話ですね」
正義感の強いレミィが顔をしかめて呟く。
ローランも「アタシもそう思う」と頷いて、あおるように紅茶を飲み干した。
「師匠はそれが苦痛で研究所から逃げちまった。『サウス王には渡せない』と毒の研究ノートを持ってさ。もう何年も前の話だけど、サウス王は未だに血眼になって探しているらしいよ」
毒の研究ノートという単語にアリアの心臓が強く跳ねる。
過去に路地裏で倒れていた老医者の姿が浮かび、彼はもしや……と思い至る。
毒に関する最新の知識が書かれたノートと『サウス王には渡すな』という発言、旅を急ぐような老医者の様子、全てがローランの話で繋がった。
――ああ、あのおじいさんはローラン先生のお師匠さんだったのか。
「って、話がそれたね。マバルの葉は一度手を出したら最後、死ぬまで逃れられない魔の葉だ。あの葉を手に入れることに固執しておかしくなったヤツを何人も見た。あれは、サウス王なんかに見つかっちゃいけない代物だったんだ」
ローランは視線を落として、ぎりと歯噛みする。
医者としてサウス王のやり方に思うところがあったのだろう。
険しい顔をしていたローランは、ふと何かを思い出したように顔を上げて口を開いた。
「ああ、そうだ。マバルの葉を香として焚き続けて憎き主人を中毒にさせた侍従もいたらしいから、アンタたちも気をつけたほうがいいよ」
「葉を香に? 防ぎようがないのでは」
ゆったりと紅茶を飲んで聞いていたアルヴィスが、動きを止めて問いかける。
自分が側近騎士として王子を守ったところで誰かにマバルの葉を焚かれてしまってはどうしようもないと思ったのだろう。
だがローランは『防ぎようがない』という言葉に、首を横に振った。
「マバルの葉はそのまま嗅ぐとバニラのいい香りがするんだよ。でも、焚くと青くさい臭いがするのさ。だから、好んで焚くやつはあまりいない。すぐに火を消して換気をすれば問題ないよ」
「よかった」
アルヴィスとレミィの声が重なる。
主を守る手立てはあるのだと、胸を撫で下ろしていた。
「聞きたいことは他にあるかい?」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
アリアは立ち上がって微笑む。
それとほぼ同時にアルヴィスとレミィも起立して姿勢を正した。
「あのさ、ローラン先生。俺、先生のお師匠さんに会ったよ。数年前に、路地裏でボロボロになっていたところを助けてさ。サウス王に渡さないでくれと分厚いノートをもらったんだ。いまも誰にも見せずに隠してある」
「ローラン先生に返したほうがいいか」と問うアリアにローランは丸く目を見開いたのち、穏やかに微笑んだ。
「どうりで毒に詳しいわけだ。謎が解けたよ。師匠の人を見る目は確か。きっとアンタに希望を感じたんだろう。だから、それはもうアンタのだ。有意義に使いなね」
♧
数週間後。
ノヴァリー家の屋敷に潜入していたベルカントは博識さと深い教養、持ち前の洞察力とで屋敷の者と伯爵の信頼を勝ち取っていた。
ベルカント扮するルバートは異例のスピードで出世を果たす。
いまやもう、伯爵と長男ラルゴにとって欠かせない相談役の一人となっていた。
「なかなか、噂だけで崩せる地位ではないな……」
ノヴァリー伯爵が紅茶を嗜みながら忌々しげに呟いた。
向かいに腰掛ける長男ラルゴも頭を抱え、どうしたものかと眉間にしわを寄せている。
ベルカントは『噂』という単語に身体を震わせて静かに高揚した。
どこからか始まった、父の悪評。マバルの葉を楽しんでいるという根も葉もない噂。
ベルカントはその噂の出どころを突き止めるため、危険を冒して政敵であるノヴァリー家に潜入していたのだ。
――やはり、ノヴァリー伯爵が元だったか。あとは言い逃れができないように、証拠を集めるだけだ。
「こうなると、錬金術に賭けるしかない、か。おい、ルバート。お前は賢者の石を知っているか?」
唐突にラルゴに話を振られ、壁際で待機していたベルカントは慌てて頷いた。
「錬金術によって創られる白い石と赤い石、でしょうか? 白い石は卑金属を銀に変えることができ、より完全な赤い石は卑金属を金に変えることができる、と聞いています。錬成に成功した者は、世界でも数えるほどだ、とも」
ベルカントの返答に「そのとおりだ」と伯爵が頷き、ゆったりと足を組んだ。
「どうやら、王弟殿下が錬金術に目をつけたようでな。我らは殿下に、錬金術に関する調査を依頼されている。賢者の石というものは、黄金変成をするだけではない。不老長寿も叶い、人智を超えた知識を得ることをも可能とする。つまり、神に似た力を手にできる、完璧な石……」
ベルカントは伯爵の言葉に青い顔をして、言葉をなくした。
数多の錬金術師が挑戦して挫折した賢者の石の錬成。
簡単に創られる代物ではないが、万が一錬成されてしまったら……と、ベルカントはこぶしを握りしめていたが、すぐに穏やかな笑みを繕った。
――敵意を気取られてはならない。あくまで彼らの味方役に徹するんだ。
「つまり、王弟殿下が賢者の石を錬成して実権を握ることができれば、ノヴァリー家がますます発展できる。伯爵様も、さらなる高位の爵位をいただくことが可能となるということですね」
野心と虚栄心をくすぐるベルカントの言葉に伯爵は、にやりと満足気な笑みを浮かべた。
タイトル名を変えてみました。
反応が悪ければまた変更します。
もしかしたら見つけにくくなってしまうかもですが、いいタイトルを探りたいなと思っているのでよろしくお願いします!




