第3話 孤独な王族
「お帰りなさいませ」
アリアが廊下に出ると、アルヴィスとレミィがそばに寄って一礼した。
一足先にレガート王が退室していたこともあり、二人は『中で何があったのだろう』と探るように見つめている。
「二人ともどうしたんだ? そんな顔して」
アリアは、不思議そうに首をかしげた。二人の心配など、どこ吹く風だ。
普段と変わらないアリアに安心したのか二人は穏やかに微笑み、アルヴィスが口を開いた。
「いいえ、何も。このあとのご予定ですが、午前中は特にありませんが、どうされますか?」
降って湧いた自由時間に、アリアは腕組みをしてうなりながら考える。
書類を早く片付けてしまいたい気持ちもあるが、王子の代役を始めてからというもの、多忙で落ち着かない日々を送っている。
ここらで気分転換をするのも悪くない。
「そうだな、少し散歩がしたいかも。中庭の薔薇が綺麗だったから近くで見たい。いいかな?」
「ええ、もちろん」
アルヴィスがうなずき、三人は来た道を戻っていく。メインエントランスから玄関を抜けて、中庭に出た。
木々や草花が生い茂る中庭には、死角が多い。身を隠すことができるからか、噂話をするにはもってこいな場所のようで、どこからか風にのって話し声が聞こえてきた。
「来年は、いよいよ立太子の儀か……」
「あの軟弱な王子に、次期国王が務まるものかね」
「ジュピト帝国に軍事支援をしないなど、弱腰にもほどがある。帝国が勝てば、ユーリア三国の土地をいくらか分配されるというのに」
「まぁどうせ、プライドもないのだろう。女みたいな顔だしな」
どうやら若い貴族二人が、ベルカント王子の陰口を叩いているようだ。
二人の会話にアリアは困ったように眉を落とした。
兄の考えが彼らにまったくといっていいほど伝わっていない、と。
兄ベルカントは慎重なだけで、決して無能ではない。
戦争支援をしないことについても、兄なりの考えがあってのことだとアリアは知っていたのだ。
兄は悩みが深くなったとき塔にやってきて、アリアに相談を持ちかけることが多かった。
近隣国の戦争に関しても同様で、アリアはベルカントから意見を求められ、二人で議論交わしたこともあったからだ。
ムジカ王国は比較的平和で戦争も内乱もないが、近隣はそのような国ばかりではない。
巨大なパルティータ湖の向こうにある、ノースランド王国、ロゼッタ女王国、サウス王国の同盟……つまりユーリア三国と、さらに向こう側にある大国ジュピト帝国は、数ヶ月に渡って戦争をしていた。
そんななか、ジュピト帝国の皇帝からムジカ王国へ軍事支援の交渉が来てしまい……。
ムジカの宮廷はそれに応じるかどうかで、揉めに揉めていたらしい。
王弟スラーは、積極的に戦争支援をすべきと言い張った。帝国が勝てば、自国の土地を拡大することが叶う上に、帝国との結びつきも強固になる、と。
だが国王は戦争を是とせず、まずは情報を集めるべき、と一歩引いた目線で見ていた。
ベルカント王子はこの件に関してなかなか自分の意見が定まらず、アリアに幾度も相談を持ちかけていた。
やがて、アリアとの議論を通して『国民の負担や近隣国との関係を考えれば、安易に戦争支援をすべきではない。国力は外交でも十分高められる』という意見に固まったのだ。
「べつに、逃げで決めたわけじゃないのに……」
アリアが呟いて隣を見ると、レミィが真っ赤な顔で生け垣の向こうを睨みつけて、歯噛みしている。
正義感が強く、陰口や悪口が嫌いなレミィは、好き放題話す貴族たちが許せないようだ。
「あの、王子殿下」
後ろからアルヴィスに小声で呼びかけられて、振り返る。
嘘くさい笑顔を浮かべたアルヴィスは自身の胸に手を当てており、にぃと笑った。
「僕にお任せを。少し、わからせてこようと思います」
――わからせるって、何を、どうやって⁉
にこやかな笑顔の中にどこか不穏な空気を感じ取ったアリアは、慌てて両手を広げて彼の進行妨害をした。
「いや、いい。俺が行く。絶対に待ってろよ、これは命令だからな!」
アリアはくるりと反転し、アルヴィスより先に生け垣の向こうへ飛び出した。
「なぁ、そこの二人に質問なんだけど、もしかしていまの、俺の話?」
「っ!」
「王子殿下……!」
まさか本人が登場するとは思ってもみなかったのだろう。
貴族たちは青い顔をして、じりじりと後ずさりをした。
「俺のやり方が気に食わないのなら、面と向かって言ってくれないか? こんなところでヒソヒソ話されたら、訂正のしようがないだろ」
穏やかに諭すようにアリアは言う。
兄の思いが正しく届かないのはもったいないし、ひどい誤解をされているのを見るのは悲しい。
――この貴族たちも、兄様と話してみればいい。そうすれば誤解も解けるはずなのに。
先ほどの二人の勢いはどこへやら。途端に黙りこくってしまった貴族を見つめて、アリアは口を曲げた。
「俺と意見が違うのは構わないんだ。けど、都合のいいように切り取って、間違った姿を勝手に作り上げないでくれ。特に今回の支援の話は、国の未来に関わることなんだから」
貴族たちはアリアの言葉と視線に、うぐぅと喉の奥を鳴らすばかりで、何も言えなくなった。
痛いところを突かれたのだ。
「おーい。返事ないけど聞こえてる? それともわからなかったか? 存在しない架空の俺の文句を垂れ流すって無意味だし、それより国の未来を真剣に考えたほうがいいんじゃないかって話なんだけど……」
「殿下、そのへんで。思いのほか殺傷能力が高くて驚きました」
背後からアルヴィスが現れて、問い詰めるアリアを止める。
真面目な顔を繕うアルヴィスだったが、彼の目は面白くて仕方がないとばかりに弧を描いていた。
「アルヴィス。殺傷能力って、なんだよ」
「ほら、図に乗ったお二人を途端に黙らせてしまったでしょう? きっとこれで懲りますよ」
アルヴィスが、そっと耳打ちする。
アリアが二人を見ると、何も言えないままバツが悪そうに小さく縮こまっていた。
「さ、殿下。行きましょう。庭の薔薇を見たいと仰っていましたよね」
アルヴィスに促されたアリアはどこかすっきりしない気持ちを抱えたまま、貴族二人のもとをあとにした。
♢
「はー、最高です。いいものを見ました」
貴族たちの姿が見えなくなった頃、レミィが満足気に微笑んだ。
アルヴィスもうなずいて、楽しそうにくすくすと笑う。
「温厚だと舐めくさっていた動物に手を噛まれた。そんな間抜けを見るようで、大変痛快でしたね」
「あら、意見が合いましたね」
「ええ。めずらしく」
驚いた顔のレミィとアルヴィスが顔を見合わせて、同時に笑う。
だが、アリアだけは浮かない顔をしていた。
「なぁ。王族や貴族って、こんなことばかりなのかな」
「え?」
レミィとアルヴィスが振り返る。
アリアは貴族たちがいたあたりを見つめて、眉を潜めた。
「表面だけニコニコして媚びて。でも、腹の奥では相手のことを憎んでたり、嫌ってたり。誰も信じられなくなりそうだし、疲れるよなぁ」
「おや、いまさらそれにお気づきになられましたか? 城内では誰も信じてはいけないんですよ。誰もがポジショントークを展開しているだけなんですからね」
「ポジショントーク、って?」
アリアの問いに、アルヴィスはふむ、と自身のあごに手をあてて言葉を探りだした。
「そうですね……自分の立場を有利に持っていくための発言……といった感じでしょうか。不利になる情報を意図的に隠したり歪めたり、こんなことは日常茶飯事でしょうから。そう考えると……王族とは、じつは孤独なものなのかもしれませんね」




