第5話 思索
無言のままアルヴィスと見つめ合っていると靴音が聞こえて、扉が開く音がした。
ローランとレミィが戻ってきたようだ。
「待たせたね。こっちの話は終わったよ」
ローランが満面の笑みを浮かべているところを見ると、満足のいくやり取りができたようだ。
アリアはイスから立ち上がり、アルヴィスに視線を送る。
「俺はそろそろ行くよ。くれぐれも無理はしないように。ローラン先生、アルヴィスを頼んだ」
「あいよ、任せとくれ」
アルヴィスがうなずき、ローランは力強く胸を叩いた。
「レミィ、行こう」
アリアの声に、レミィが扉を開ける。
医務室を出る直前、アリアは静かに振り返り、部屋の奥を見つめた。
――兄様が言っていたように、アルヴィスの考えはよくわからないや……。
アルヴィスは政敵ノヴァリー家の息子にもかかわらず、身を挺してアリアを助けた。
毒が入っているのを知りながら、一滴残らず紅茶を飲み干したのだ。
毎度、お人好しで能天気と叱られるアリアだが、今回のアルヴィスの行動には疑問を感じていた。
先ほど彼は『友人でもないし、伯爵の次男の僕など、苦しもうが死のうがどうでもいいだろう』と言った。しかし、それは彼にとっても同じこと。
王弟派のノヴァリー家にとって邪魔な王子など、毒を飲み苦しもうが死のうが、どうでもいいはずなのだ。
いや、彼の立場からすればむしろ、王子の死は喉から手が出るほど欲しているものだろう。
アルヴィスがベルカントに好感を持ち、救いたいと思って行動したのだろうか。
そうであればいいのに、とアリアはうつむく。
――ねぇ兄様。なんでアルヴィスを側近につけたの?
廊下を歩きながら、頭の中で兄に問う。レミィがあれこれ話しかけてくるが、それも上の空で、全く頭に入らない。
国王派の伯爵令息であるテナーのほうが、ベルカントとともにいた時間は長そうに見えた。
さらには、ノートを見てみてもアルヴィスの話を聞いてみても、兄とアルヴィスの相性はあまりいいとは言えないものだったのに。
いくら考えても答えは出ず、アリアは立ち止まって頭を抱えた。
「ベルカント様、どうされました?」
不安げなレミィの問いかけに、アリアは無言のまま立ちつくす。
そのまま深く息を吸い込んで、ぱっと明るく表情を変化させた。
――細かいことを気にするのはやめよう。私の使命は、兄様と兄様の立場を守ることなんだから。あれこれ考えなくても、きっとどうにかなる。
「ねぇ、レミィ。そういえば、まだバラ園が残っているか見れてなかったよね」
再び歩きだして楽しげに笑うアリアに、レミィはあきれたように深いため息を吐き出した。
♧
数日後、金髪に空色の瞳をした眼鏡の青年が、ノヴァリー領の深い森を越えて、歴史ある屋敷の前に立っていた。
――アリア。『俺が毒殺されそうになっている』なんて嘘をついて、すまない。だけど、そうでも言わなければ、君は代役を拒絶し、俺を探しに来ただろ?
度の入っていない眼鏡をかけ直した青年は、こぶしを握りしめて目の前にそびえる門を睨みつける。
ふと彼が手元を見ると、小刻みに震えていた。
――俺はずっと、優等生だとかリスクがとれない王子と言われて生きてきた。アリアのほうが決断力も、本質を見抜く力も、人を惹きつける魅力も持っている。俺が悩んだときだって、正解の道を示してくれるのはいつもアリアだった。
王都を離れてまだ数日しかたっていないのに、青年は無邪気に笑う双子の妹を懐かしく思い返す。
自分にも妹のような豪胆さと行動力があればとは思うが、不思議と嫉妬や憎悪、支配してやりたいという感情はなかった。
魂を分けた双子だからだろうか。それとも、太陽を恨む者がいないように、彼女の光に自分との格の違いを感じてしまうからか。
妹といると凡庸な自分が情けなく、劣等感が刺激される。だが、ベルカントは片割れとしてアリアを大切に思い、彼女の幸せを願い続けた。
塔に幽閉されることを良しとせず、幸せを掴み取って欲しいと考えていたのだ。
――俺にもしものことがあっても、アリアがベルカントとして国を引っ張ってくれるだろう。むしろ、そのほうが国のためになるかもしれない。だからこそ、俺が潜入する。安定志向の王子が自ら潜入するなんて、誰も思わないから。
ベルカントが門番に声をかけようとすると、後ろから蹄と車輪の音が近づいてくる。
やがて、馬車は門の前で止まり、開いた窓から若い男と威厳のある男の声が漏れ聞こえた。
「アルヴィスは、うまくやるでしょうか?」
「愚図な能無しではあるが、あやつもノヴァリーの男。家を裏切るはずがない」
ノヴァリー伯爵と、長男のラルゴだ。
うまくやる、家を裏切るはずがない、とは何を意味するのだろうか。
アリアの顔を思い出し、ベルカントの額から冷たい汗が垂れる。
ふと、馬車の中にいるノヴァリー伯爵と視線が重なり、ベルカントは深々と頭を下げた。
「見ない顔だな。我が館になんの用だ?」
伯爵の問いかけにベルカントは顔を上げ、にこやかに微笑んだ。
「お初にお目にかかります。私は本日より使用人として雇われました、ルバートと申します」




