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まるで荒々しい盗賊によって、神殿の屋根が破られたように感じられた。ばりばりと、枝の砕ける音。舞い散る木の葉とともに、森のほの暗さに慣れたぼくの目に、強烈な陽光が射しこんできた。
この陽光を浴びたときの、蟻人たちのリアクションを見て、彼女たちが光に弱いことを知った。が、これは好奇なのかピンチなのか、判断する間もなく、そいつはぼくの目の前に、唐突に落ちてきた。
黒ずくめの、痩せた、ひょろ長い男である。
飛行帽に飛行眼鏡、黒革のツナギに長靴といったいで立ちは、ボッカー乗りに違いなかった。けれど、伯爵の仲間が助けに来たのだろうか、などという楽観的な考えは、直感に否定された。見た瞬間の強烈な不快感と、男が放っている、溢れんばかの殺気によって。
「おめえはよお……」
腺病質の声は、あくまで不協和音的である。眼鏡の奥の目は小さく、凄みがまったくない代わりに、愛嬌のカケラもない、要するに、厭な目つきだった。その目が見据えているのは、ぼくの隣に立つ、ル・アモン。
「ドウギってもんが、なってねえんだよお」
舌足らずな上、何を言っているのか理解に苦しんだが、どうやら「道義」を説くつもりらしい。ル・アモンは鼻を鳴らした。
「道義が聞いて呆れらあ。ちょっとばかし意に添わなければ、暴れ出す。強いやつには無条件で、へえこらするくせに、立場の弱い相手と見るや、執拗に食ってかかる。それがおまえさんがたの流儀であり、道義ってやつだろう」
「おめえはよお。人んちからモノを盗んでおきながら、言えた口かよお」
「どっちが盗人なんだか。あれはもともと、盗品みたいなもんじゃねえのかい。おまえさんみたいに、泥棒の親玉にへえこらくっついて、弱い者いじめをしているようなやつよりは、おれのほうが、百倍世の中の役に立っているぜ」
どうやら伯爵のほうが、はるかに弁が立つようだ。口で敵わないと見たのか、痩せた男は歯ぎしりすると、地を蹴って襲いかかってきた。心なしか、風景全体が揺れた気がした。その見かけによらぬスピードに目を見張る間にも、男は拳をたわめて、伯爵の間近にせまった。ぴっちりとした黒い飛行服の二の腕が、不自然に盛り上がり、血管が浮くさまが見えた。
まずい。
こいつは、「普通の人間」じゃない。
肉と肉のぶつかる音が響いた。伯爵は指一本動かしておらず、不敵な笑みを浮べて突っ立っていた。その前で、ミュルミドン蟻人が、痩せた男のパンチを、両手で受け止めていた。渾身の力をこめたその姿が、男の一撃の強烈さを物語っていた。隊長蟻の赤い唇から、苦痛の呻き声が洩れた。
まるで翼を持つように、男は後ろへ飛び退き、再度襲いかかるために、低く身構えた。隊長蟻が片膝をつき、両腕を押さえた。彼女の前に、護衛の蟻たちが駆けつけ、二匹とも寸分違わぬ動作で、槍の穂先を男に向けた。
一本の槍がへし折られ、もう一匹の蟻人の腹部に、男の拳が深々と食い入るのを見た。呻き声ひとつ洩らさず、槍を手にしたまま、その蟻人はくずおれた。次に繰り出された男の蹴りは、隊長蟻の爪が受け止めた。金属的な音がして、男は後ろへ弾かれた。
「おれの邪魔をするやつはよお、だれも生かしちゃおけねえんだよお」
憎悪を剥き出しにして、男は再び襲いかかる。二匹の蟻人は、見事なコンビネーションで応戦する。護衛蟻が防御し、隊長が爪を繰り出す。が、じりじりと押されているのは明らか。呆然と見守るぼくの手首を、横から痛いほどつかんだ者がいた。
「ずらかるぜ、美少年」
デモンじみた笑みを浮べて、伯爵は言うのだ。
「ですが……」
「蟻さんが心配だとは言わせないぜ。彼女たちは女王の命令に従っているだけだ。おれたちの種が絞り尽くされるまで、きっちり見届けろというな」
「あいつは、何者なんですか」
奇怪な駒のように回転する男の体のあっちこっちで、筋肉が瘤状に盛り上がっては萎む。思わず眉をひそめたぼくに、伯爵は吐き捨てるように囁いた。
「鉱物人間。その失敗作さ」




