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ぼくは軽く両手をあげた。ハナシが通じる相手とは、とても思えないから。
ル・アモンを倒した蟻人が、荷物でも担ぐように、軽々とかれを肩に担いだ。体つきに似合わぬ怪力である。彼女たちは眼……といっても、巨大な複眼だが、その眼でぼくを促すと、一列縦隊になって歩き始めた。ぼくは二番めに組み入れられた。
拘束されはしなかったが、かと言って、どこへでも行ける状況ではない。後ろを行くミュルミドン蟻人の触覚の先が、ぼくの背の上で蠢いて、お世辞にも好い気分ではない。もしちょっとでも不穏な態度を示せば、後ろからグサリなのだろう。
ミュルミドン蟻人の出自については、謎が多い。
伝説によれば、むかしむかし、まだ神と人が対等に交わっていた時代に、ある酔狂な女神様が、蟻から作り出した親衛隊だという。主人には忠実無比で、敵に対しては冷酷非情。ぼくも戦争を起こしたとき、ミュルミドン兵を魔軍に加えたかったのだが、いかんせん、かれらは女性にしか従わない。
(だとすると、彼女たちの言う「陛下」とは、やはり女だろうか)
やがて前方で樹上の道は二又に分かれ、先頭の蟻人は左の細い道を選んだ。本道から外れたのだと、ぼくは直感した。いったいこいつらは、ぼくたちをどこへ連れて行こうというのか。殺したければ、いつでもできたはずだし、単に排除したいのなら、突き落とせば済む話。
けれども、ル・アモンが担がれている状況からして、これは生け捕りにほかならない。捕虜にするからには、身代金を取るとか、奴隷にするとか。いずれにせよ、何らかの用途がなければならない。ル・アモンの二の舞を覚悟で、ぼくは減らず口を叩いてみることにした。
「パーティーにでも、ご招待してくださるのでしょうか」
応答なし。殴られもしないかわりに、黙々と行進が続けられた。どうやら、ぼくを非力な「子供」とみなして、暴力には訴えないつもりらしい。蟻兵には蟻兵のポリシーがあるのだろう。そこでぼくは子供らしく、拗ねてみることに。
「お腹が空いたし、咽も渇きました。ずっと歩き通しだったから、足も痛いのです。少し休ませてもらえませんか」
目の前の蟻人の肩に、わずかな動揺が走るのを見た。情容赦ない兵士として有名な蟻人であるが、子供は例外なのだろうか。それにしても、光沢のある黒い革状の鎧に、ぴっちりと包まれた体の線が、なまめかしい。と、子供らしくない感想をいだいた。
「もう少し我慢しろ。食物と水は与える」
唐突に、そして振り向きもせずに、先頭の好い尻をした蟻人が言った。低くかすれた、抑揚のない声。それでも若い女の声には違いない。
倒すとすれば、今がチャンスかもしれない。どこへ向かうのか知らないが、しかるべき場所に連行されれば、もっと多くの蟻兵がいると予想された。使鬼がまともに使えたら、たった五匹の蟻人など、ものの数ではないのだが。落ち目の身の悲しさ、連れ添った女たちから、ことごとくそっぽを向かれている。
ヘレナを呼び出そうか。ダメージを受けていても、蟻人くらい倒せるのではないか。という考えも、自虐的な気分が引きとめた。ヘレナだって、本来なら落ち目の魔法使いなんかに、尽くすイワレはないのだ。ぼくがアリの餌食にでもなれば、晴れて彼女は自由の身だ。
そうして唯一の味方、ということになっているレムエルは、相変わらず、うんともすんとも言ってこない。ぼくのほうからは、自由に呼び出せないのだから、善鬼は不便極まりない。やがて前方に、柵らしいものが見えてきたとき、ぼくは溜め息をついた。
(まるで家畜扱いだなあ)
皮をつけたままの丸太が粗く組まれ、方々から、ひこばえを生やしていた。二匹の蟻人が番をしており、重々しい音をたてて柵を開けると、背筋を伸ばして敬礼した。その豊満な胸を横目で見ながら、柵の間を進んだ。樹上の道はそこで途切れ、剥き出しの、森の梢があらわれた。
(へえ……)
二度めの溜め息をついて、ぼくは目を見張った。それぞれの木に家が乗っていて、蜘蛛の巣状に、吊り橋が架けわたされていた。三匹の蟻人が、柵の前に残ったらしく、ぼくは二匹に前後を挟まれて吊り橋をわたった。後ろの蟻人はもちろん、ル・アモンを担いだままだ。
下を覗いてみたが、絡みあう蔓草や下生えにさえぎられて、はるか下方の地面は闇の中。吊り橋は不穏に揺れて、苔むした橋板を踏み抜きそうだったが、どうにか大木の一つにたどり着いた。その梢に乗っかっている家には、当然のように、鍵がかかっていた。




