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26(2)

 しかしなぜ、このイコと名のる少女グレムは、ぼくを「ご主人」呼ばわりするのだろう。本来なら、ル・アモンこそ、そう呼ぶべきではないのか。というのは、けれど愚問に過ぎないのだろう。「メシ」を食わせてくれた相手なら、だれかれかまわず、主人にしているに違いない。

 だからペテン師なんぞに、簡単に捕らえられる。

「あーあ、ひでえな。貴重な食料を、ほとんど平らげちまいやがった。おれだって、昨日から何も食ってないんだぞ」

 腰に手をあてた姿勢で、アモン伯爵は突撃ラッパのように腹を鳴らした。食えない男にも、メシは必要らしい。満足そうに腹を抱えているイコと見比べながら、ぼくは肩をすくめた。

「ボッカーが飛べる以上、心配はご無用では?」

「それもそうだな。もちろん、魔法使い殿も乗って行くだろう。お世辞にも、広々としちゃいないが、あんた一人なら、何とかなる」

 かれが指さした操縦席は、どう見ても一人乗りだが、後ろに荷物を放り込めるスペースがあった。ビア樽はとても詰め込めないが、たしかに少年一人くらいは、収まりそうである。舐めるような伯爵の視線を浴びて、ぼくはさっそく逃げ腰になる。

「遠慮しておきましょう。ガルシアを乗り捨てるわけには、ゆきませんから」

「そのジンバなら、単独で砂漠を越えるくらい、たやすいとお見受けしたが。荷を背負っていなければ、駆け抜けるのに、一昼夜もかかるまい」

 返答に詰まった。ル・アモンの言うとおりであり、ガルシアなら、ズ・シ横丁の家まで帰りつけるくらいは、充分頭がいい。それに、伯爵がまたイコを「虐待」しないかどうか、心配でもあった。なぜか魔法使いという人種は、人間よりむしろ、精霊に対して同情的になる傾向が強い。

 おそらくぼくの憂慮は、いかにも狡猾な伯爵の計算に、入っているのだろうけれど。

「ぼくはお尋ね者です。いつ何時、刺客をけしかけられても、不思議じゃありません」

「そいつはお互いさまだ、と言っておく」

「後悔しても知りませんよ」

 伯爵は片目を閉じて、親指を立てた。だめだ。こんな突撃野郎に、とてもイコを預けておく気にはなれない。砂漠を越えて、どこか「メシ」にありつけそうな街に着いたら、さっさとグレムを解放してしまおう。そう目論んで、この怪伯爵との同行を承諾した。

 残りの荷物をボッカーに移したあと、ガルシアに指示を与えた。彼女は胴震いして応え、しばらく荒野に首を巡らせていたが、東の方へ歩み始め、二、三度振り向いたあと、風のように駆け出した。たちまち砂の彼方に消え去ったジンバを見送って、ル・アモンは口笛を鳴らした。

「すごいね。いい馬だ。闇市に引いてゆけば、三千万、いや、五千万はかたいな」

 ぼくは苦笑を禁じ得なかった。かつて王国を震撼させた、初代ガルシアの娘が、安く見積もられたものである。盗賊ごときに捕まるような彼女ではない。家までたどり着けば、あとは厩の精、コイワイが世話をしてくれるだろう。

(しかし、こいつは本当に飛べるのか)

 あらためて、ダイオウカゲロウの翅を用いた上翼を見上げた。日の光が、翅脈の間に虹を描いていた。機械の修理は終えたと、伯爵は豪語していたが、ロブロブからはまだ、こびりついた砂が、さらさらと降ってくる。そうして最も重要な「エンジン」であるイコはというと、下翼の上で腹を抱えたまま、居眠りを始めていた。

 おのずから、溜め息が洩れた。先にジンバを帰してしまったのは、致命的なミスではなかったか。

「イコ、起きてくれ。これから砂漠を越えたいんだが。飛べそうかい?」

 戯画的に目をこすりながら、少女グレムはぼくを見上げた。屈託のない笑顔を見せると、自身の腹をぽんと叩いた。

「メシはいただきましたから、問題ありませんねえ」

 じつに心もとない太鼓判である。

 ぼくたちはボッカーに乗り込んだ。操縦席は、魚油のにおいがした。ホコラの屋根の上に、ちょこんと座り、イコは何やら思索的な表情で、空を見上げた。この辺りは、さすがにグレムらしい貫禄がある。と、感心したところで、

「あの雲は、じつに旨そうな形をしていますねえ」

「食い物の話はいいから、さっさとロブロブを回してくれ!」

 業を煮やしたル・アモンが叫び、けれどイコは上機嫌にうなずくと、額のツノをきらきらと輝かせた。たちまち、ものすごい勢いで、ロブロブが回転し始めた。

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