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 爆発がおさまると、煙の中、無数の鬼火が散乱したまま、燃えていた。やがて燃え尽きるのを見届けてから、ヘレナはがっくりと膝をついた。

 貝殻ごと四散した妖魔の姿は、完全に消滅していた。

「……四匹」

 氷の剣が掌から滑り落ち、草の上に投げ出された。そのまま物質としての形状を保つ力を失い、氷が砕けるように砕けて、光の粉と化した。

 髪は黒い蛇のようなうねりをなくして、小間使いらしく、つつましやかに切り揃えられた姿に戻った。全身を覆う燐光も、いつしか消え失せた。

 身体じゅうを荊で巻かれ、締め上げられているようだった。

 覚えず苦悶の声を洩らし、そのままうつ伏せに倒れた。激痛の中にありながら、みょうに思考が冴え、門を飛び出してからの自身の行動が、まるで他者の目を通したように、ぼんやりと脳裏に再生された。

(あさましい)

 そこに映っているのは、一匹の悪鬼にほかならなかった。目を怒らせ、髪を振り乱して絶叫する、鬼の形相だった。

 なぜ、いつもこうなってしまうのか。もとより自分は、闘争に明け暮れる日々など、求めてはいなかった。なのにいつも願いとは裏腹な状況に追い込まれ、気がつけば血みどろの殺戮に身をゆだねている。

 悪鬼に生まれた宿命なのか?

 嘲るような、笑い声が響いていた。

 這った姿勢のまま顔を上げた。緑の壁に穿たれた穴から、さらにもう一匹の妖魔が、入り込んで来るのを見た。

(わたしも、落ちたものだな)

 自嘲的な笑みを、浮かべずにはいられなかった。先の大戦争では、軍師的な役割さえ果たしていたのに。敵の増援も自身の退路も考慮に入れず、盲目的にただ、目の前の敵を屠るとは。戦術の答案としては、零点以下だ。

 スネイルマンではなかった。

 やはり巨大な貝殻を背負っているが、中身は人型ではなく、ワームドラゴンに似ていた。蒼白い粘液で濡れた体。ざっくりと裂けた口に、太い針をびっしりと植えたような歯。全身に、赤い石を想わせる眼が、不規則に埋め込まれていた。さらに何本もの丸木のような食腕が殻口から突き出し、うねうねとのたうつのだ。

 太い棘の生えた貝殻の上で、なかば寝そべるように腰かけた女の姿をみとめたとき、ヘレナは目を見張った。

「ハーミア……」

「お久しぶりですわね、お姉さま。こうして顔を合せるのは」

 ヘレナは懸命に上体を起こした。さらに力を振りしぼって立ち上がろうとしたが、這いつくばるばかり。腕でやっと体を支えている彼女を、ハーミアは瞳に嗜虐的な喜びをみなぎらせ、見下ろしていた。

「無様ですわ」

「妖魔たちをけしかけたのは、あなたね」

「一目瞭然でございましょう」

「わたしを屠るために?」

「ええ。もしかしてお姉さまは、スネイルマンどもに勝ったつもりでいらっしゃるの?」

「なんですって」

 なぶるような視線で、ヘレナの驚愕を確かめると、ハーミアは口の端をゆがめた。

「ご覧になって」

 彼女の得物である、風の杖を高くかかげた。いつかのように、これで打ち据えるつもりか? 身構えたけれど、ハーミアは杖を斜めに引き寄せただけ。軽く、その先のほうに唇をあてた。

 やがて、呪術師が吹く笛の音に似た、不気味な旋律が流れてきた。悪夢的な執拗さでメロディが絡みついてくる。けれどもこの旋律が、彼女を呪縛するためのものでないことを、ヘレナは知っていた。だいいち、上級精霊を操る力など、もとよりこの風妖にはない。

 ハーミアは魔を、呼び集めているのだ。

 実際に壁の穴へ目を向ければ、その向こうの闇の中から、半透明で、半分形を成さない、奇怪で下等な精霊どもが、うようよと入り込んでくるのがわかった。

 同じ森の中にいながら、こちらの明るさに比べて、壁の向こう側は、真昼も薄闇に覆われているらしい。

 宙を泳いでくる妖物のうち、あるものは甲殻類に似て、あるものは軟体動物のようで、あるものは星の形をしており、あるものはまったくの不定形だった。共通しているのは、どれも、まがまがしい邪念を孕んでいるということ。

 ハーミアは旋律を変えて、呼び寄せる精霊のタイプを選り分けることができる。いま彼女が奏でているのは、最も邪悪なメロディだ。

 覚えず、ヘレナは耳を塞いだ。この音を聴いていると、憎悪や怒りなど、胸の底にわだかまる、どす黒い感情が、掻き立てられるようだ。

 心とは、古い沼のようだと彼女は思う。穏やかな日は、清らかな水をたたえているように見えるが、一旦嵐が起こると、底に果てしなく堆積した不浄な泥が掻き混ぜられる。真っ黒に染まった水の中で、底に潜んでいた醜怪な生き物たちが荒れ狂う。

 屠られたスネイルマンたちが遺した、三つの貝殻が、まだ目の前に横たわっていた。半透明の妖物どもは、まるで朽ち葉が渦に吸い寄せられるように、それぞれの殻口へと、吸いこまれていった。

 笛の音が止んでいた。

 一つめの貝殻は、赤黒い色に明滅しながら、むっくりと起き上がった。あとの二つは、お互いの殻を引き離し、やはり暗く明滅しながら、潰れた部分を見る間に再生させた。

 やがて、まるで彼女に見せつけるように居並んだ殻口から、ずるずるとスネイルマンが這い出してきた。しかも、一匹は首が二つあり、一匹は四本の腕が生え、もう一匹はまっ黒い、針のように硬い毛で覆われていた。

 おぞましい咆哮が、地を揺るがした。

「うそ……」

 ヘレナの目が恐怖に見開かれると、ワームドラゴンの貝の上で、ハーミアは疳高い笑い声を響かせた。

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