5 アスクレーとの対話
眠りから覚めた私は、見知らぬ天井を仰ぎ見た。柔らかく、暖かい何かが、私の身体を優しく包み込んでいる。
よく見ると、それは日本でよく見かける布団だった。敷布団まであり、枕も少し硬めで、私の好みにぴったりな寝具一式だったからか、私はとても心地よく眠っていたらしい。
なぜこんなものが用意されているのか、一瞬不思議に思った。けれど、すぐにこれはアスクレーがしてくれたのだと理解した。私が思っていること――たとえ言葉にしなくても、あるいは過去に経験したことを、アスクレーは読み取っているのかもしれない。
まるで私の裸を見透かされているようで少し恥ずかしかったが、どうせ彼には認識すらできない。この惑星における、概念的な存在なのだろう。
あるいは、私が地球にいたころよく読んでいた、二千年ごろに流行したとされる純文学の文献――『憂鬱シリーズ』に登場する、物静かなサブキャラクターのような。情報統合思念体的な存在で、ヒューマノイド・インターフェイスとして接してくることもないだろう。
そんなことをつらつらと思案しては、独りごちたり、「なに考えてるんだ私は」と自嘲したりしていた。
「未来」
急に誰かが入ってきて、私の名前を呼んだ。
ハッとして、私は声のした方向を探した。キョロキョロと辺りを見渡していると、その姿はふいに目の前に現れた。
灰桜色の、透き通るような長めの髪。向こう側が見えてしまいそうなほど白い肌。薄金色のまつ毛に、花浅葱色の鮮やかな青い瞳。すらりとした背筋に、どこか妖精のような佇まい。
私は呆然と、その姿の“彼”を見つめていた。
「未来、どうしたんだい? まだ気分がすぐれないのかな?」
信じられなかった。こんな宇宙の果てにまで来て、自分と同じような姿形の人型に出会えるなんて思ってもいなかったから。それに、彼の口から聞こえてきたのは、まぎれもない流暢な日本語だった。
すべての情報を整理するのに、頭がついていかなかった。きっとその時の私は、マヌケな顔をしていたに違いない。
私がハッと我に返った時には、彼――妖精のような“少年”は、クスクスと笑みを浮かべていた。
「どうしたの、未来。とても愛らしい顔をしているね」
なんともジゴロじみたセリフを吐く人だな、と思った。ジゴロ、などという言葉が浮かぶのも、人生でこれが最初で最後な気がする。
「あ……あの……あなたは……どなた……?」
私は、さらにマヌケな表情でそう尋ねてしまったのだろう。できれば、そんなにじっと見つめずに、もっと距離をとってほしかった。
「ボクかい? ボクはアスクレーだよ。わからなかったかな?」
小首をかしげながら、キョトンとした笑顔でその“少年”は言った。その表情は、とても清らかで、それでいてどこか艶めかしかった。そう、その少年はアスクレーと名乗ったのだ。
「あ、あの……アスクレーさん。ありがとうございました。改めて、感謝いたします」
私は緊張しながら大汗をかき、手のひらを前に重ね、丁寧にお辞儀をした。
「あはは、そんなに固くならなくてもいいってば。ボクたちは同い年だよ、未来。だから、もっと気軽に呼んでよ」
アスクレーはとても気さくな口調で話しかけてくる。少し気を抜くと、まるで同じ種族を持つ普通の人間のように錯覚してしまいそうだった。
「あ、では……アスくん。これで、いいかな?」
「わわっ、アスくんかぁ……いいねぇ。とても近しい感じがするよ」
アスクレーは、どこまでも少年らしい遊び心に満ちた表情で、屈託のない笑顔を浮かべて軽やかに会話を続ける。
私は改めて自分の姿を見直してみた。ガリガリの体型に、白衣のような質素な肌着。髪はボサボサで、見えないけれど目の下にはきっとクマができていて、頬もこけているに違いない。
急に恥ずかしくなってしまった私は、アスクレーの視線から逃れたくなって後ろを向き、せめて肌着を整え、髪をなでつけようとした。
「未来」
アスクレーが少しトーンを落として私を呼んだ。まるで、哀れに思っているようだった。
――なにか、汚いものでも見せてしまったのだろうか。こんな遠い惑星に来た宇宙人が、こんなにも見窄らしい姿だとガッカリされたのだろうか。
不安がよぎったその時、
「未来。キミの地球にいた頃の、一番素敵な姿にしてあげるよ」
そう言ってアスクレーが手をかざすと、私の身体は透明なヴェールに包まれ、みるみるうちに姿が変わっていった。
一瞬、裸になりかけて焦ったが、ギリギリのところで事なきを得た。
「わぁ……なにこれ……すごい」
私は思わず感激のあまり声を上げた。
みすぼらしかった服や髪はすっかり綺麗になり、服装は高校の制服に。とても仕立てのよい上等な生地が、私の身体を包み込んでいた。髪には艶が戻り、きっと白髪混じりだった癖っ毛も、さらりとしたストレートになっている。頬を触れてみれば、くぼみやクマもすっかり消えて、ふっくらとした弾力が戻っていた。
ガリガリだった脚も、筋肉が戻ったのか、日本にいる普通の女子高生と変わらない体型にまで回復していた。メガネが必要だった視力もすっかり回復し、目の前の少年の顔がよく認識できる。
「未来、とても綺麗だよ」
あいも変わらず、アスクレーはやたらと誉め上げてくる。
私は少し目を伏せ、睨むように彼を見つめながらも、やっぱり言ってしまう。
「アスくん、ありがとう。とても嬉しい。私、ずっと寝たきりだったの。だから、こうして自分の足で立って、背筋を伸ばして、自由に身体を動かせることが、とても嬉しい」
私は感涙した。涙がポロポロと頬を伝った。
本当は顔を逸らしたかった。でも、いまはちゃんとアスクレーの顔を見て、素直に感謝を伝えたかった。
「うん、未来。ボクもキミに会えてとても嬉しいよ。こんな遠くの惑星にわざわざ来てくれて、ボクは感激してる。ずっとずっと、ボクはキミを待っていた気がするよ」
その時
私の心臓が跳ね上がった。生まれて初めての感情だった。
――隠したい。いま、私はどんな顔をしているだろう。
恥ずかしくて、死にそうだった。
こうして私たちは、お互いの姿を見つめ合い、言葉は少なくとも心を通わせていた。どれほどの時間が流れたのか、わからない。ただ、目と目で確かに繋がっていた。




