68 みんな不機嫌
ツェルヴェッゼ副学長をソファーに運んでから、すぐそばにあったクッションを重ねて足を高くさせ、首元のタイやスラックスベルトを緩める。
「水分は取らせないほうがいいかも。どうしても欲しいって言ったら少しだけにして」
みんながこうやって倒れた人間を介抱してるっていうのに、部屋の主は椅子の上でおろおろしてるだけかよ。
仕方がないか。こういったことはぜーんぶ周囲がやってくれて、自分は何もしなくていいって状態だったんだろうからね。
それを言ったら、王子殿下の僕やイジーだって、公子であるアインホルン学長よりも上の地位にいるんだから、一から十まで周囲がやってくれる立場だ。
それでもこうやって、目の前で誰かが倒れたとなったら、ぼさっとして何もしないわけじゃない。
人道的な行動をとることぐらいやって当たり前だろう。
「アインホルン公女」
僕の掛け声にオティーリエが顔を青くさせる。
「は、はい」
「王族だけどただの第一王子でしかない僕に、他家のやりように口出す権利がないのは充分理解しているよ。でもね、さすがにこれは言わせてもらう。愚物すぎる。早々に片付けをしなさい」
どのみちアインホルン公爵家の次の継嗣はオティーリエだ。
まだ長子である継嗣は生きてはいるけれど、現在は領地の城で寝台から起き上がることができない状態。そう遠くないうちに、最果ての門をくぐってもらうことになっている。
次子のアインホルン学長は、学長から降ろしたあと、領地に連れていくとオティーリエは言っていたけれど、次の継嗣がオティーリエである以上、生かしておく意味がない。
さっさと引導を渡したほうがいいだろう。
寝たきりの継嗣よりも先に始末したところで、問題はないはずだ。
「心がない、残酷だと言われようと、次代の国王の治世に害となるような要因は、さっさと排除しておきたいんだよ。できないならこっちでやる。僕にかけられた不正疑惑が終結するまで時間をあげるから、どうするか決めなさい」
「温情ありがたく頂戴いたします。早急に父と連絡を取らせていただきます」
オティーリエの返事を聞いて僕はヘッダを見る。
「ハント゠エアフォルク公爵令嬢」
「承知しております。一週間後、必ずご報告に参りますわ」
この会話をぽかんとした顔で聞いているだけで、自分のことを話しているとはみじんも気づいていないアインホルン学長に、僕はもうこれ以上何も言う気にはならない。
「ミュッテル先生が戻ったら、僕らは帰寮したと伝えて。用があるならまた明日聞くとね」
「かしこまりました」
「オティーリエ、ヘレーネ嬢とブルーメ嬢も寮まで送る。僕らの話し合いも明日にしよう。僕、今日はもうこれ以上何も考えたくない」
本当はヴァッハのこととかいろいろ話したかったけど、もう、今日は無理。ガーベルのおいしい料理を食べてゆっくりしたい。
そう思いながら学長室を出ると、廊下にはネーベルとリュディガーが揃って待機していた。
教室に残っていた生徒に伝言してたから、迎えに来てくれたようだ。
「教員室に行ったって聞いたけどいないし、そうしたら学長室に変更になったって聞いたんだけど、何があったんだ?」
「あとでね。帰ろう」
ごめん、オティーリエたちの前で、この話を掘り返したくない。
長い付き合いのネーベルは、僕の様子から何かあったと気が付いたようだが、この場では何も聞かないでくれた。だけど後でちゃんと説明しろよっていう視線をビンビン向けてくる。わかってるって。ちゃんと話すから、ちょっとだけ我慢してよ。
ネーベルとは逆に、リュディガーは怯えさせてしまった。
「イ、イグナーツ様」
「兄上は怒ってるわけじゃないから、そんなに怖がらないでくれ」
「で、でも、こんなアルベルト様、初めてです。あの時だって、怒って当然だったけれど怒らなかった。こんなの……」
リュディガー、それ以上は言っちゃダメだって。君は、リュディガー・ベレーゼンハイトで、それ以外の名前は持っていないんだからね。
「リュディガー」
イジーに名を呼ばれてリュディガーは口を噤む。
悪いことをした。反省。
僕が感情的になると、こんな風にみんなが気まずい思いをするってわかってたから、なるべくフラットでいたかったのに。
アインホルン学長が思ってた以上におこちゃま精神だったから、なんかもう我慢できなくなってしまった。
オティーリエにも、酷い言い方をしてしまった。でも発言を取り消す気はない。
明日、謝ろう。今日はもうダメだ。僕のメンタルが持たない。
それからオティーリエを女子寮に送っていったけれど、僕は会話をする気力がなくって、ずっと黙っていた。
ごめん、本当にごめん。みんなに気を使わせてごめん。
「アルベルト様」
女子組を女子寮まで送って別れようとしたら、オティーリエに呼び止められた。
「今回もご迷惑をおかけしました」
「学長を泳がせてぼろを出させる話は、オティーリエが前もって話してくれていたから気にしないで。未熟でごめんね。今日はもう何をやっても無理だ。明日ちゃんと話そう」
「はい。送ってくださってありがとうございます」
オティーリエは僕らにカーテシーで礼を言い、寮内へ入っていく。
女子組が全員寮に入っていくのを確認して、僕らも帰寮することにした。
「それで、なんかあったのか?」
オティーリエたちと別れて、僕たちの寮館へ帰寮する途中でネーベルが訊ねる。
「カンニングしたんだって」
言葉少なく答えると不可解そうな顔をされてしまった。
そうだよね、これじゃぁ誰の話かわからないよね?
「誰が?」
「僕が」
「何の?」
「この間の学力テスト」
「どの科目?」
「知らないみたいだね」
「誰が言い出した?」
「アインホルン学長」
問いかけに淡々と答えて、最後の言い出しっぺの相手を告げると、ネーベルは大きな声を上げることはなかったけれど、地を這うような低い地鳴りのような声を出した。
「はぁ?」
「ひぇっ!」
そのネーベルの声がよっぽど怖かったのか、リュディガーの小さな悲鳴が聞こえた。





