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いつもより随分早く、それも大慌てで帰って来たリヒトにニナとルナはパチリと目を瞬いた。
「今日のデートは随分短かったわね」
「まさか、振られちゃったんですか!?」
「だからそんなんじゃないって言ってるだろ。
というかどうして姉ちゃんもニナもそんなに嬉しそうなの?」
「「べっつにー」」
「ってこんなことしてる場合じゃないんだ!ボスはどこ?」
「ボスなら射撃場に籠ってますよ」
「射撃場?」
「セイラに付き合ってるのよ」
「触らぬ神になんとやらの空気を醸し出しながらですけどね。
うちの人なら耐えきれなくなって大人しくボスの分のデスクワークしてますけど」
「セイラには悪いけどボスのとこ行ってくる。
ジオにもボスの執務室にいるように伝えてくれる?」
「わかったわ」
「他に私たちがお手伝いできることはありますか?」
「じゃあ、アルバ掴まえといて。ボスの許可が下りたら俺の手伝いしてもらうから。
あ、ニナはできるだけステラと姉ちゃんの側にいてくれると助かる。事情は後でジオから聞いて」
「わかりました」
「リヒト、無理しちゃダメだからね?」
「うん。大丈夫だよ。姉ちゃんもボスがいない間はできるだけセイラとニナと一緒にいて」
そう言い残すとリヒトは禍々しい空気と低レベルな暴言が飛び交う地下の射撃場へと足を急がせた。
リヒトは射撃音よりも怒鳴り声の方が大きく響いている射撃場の扉をあけることを一瞬、躊躇った。
『だから違うつってんだろ!!』
『だからちゃんと直してるでしょ!?ちゃんと見なさいよ!このイジワル親父!!』
『直ってねぇから言ってんだこのクソガキ!!』
『直してるっつってんでしょ!だいたいパパの説明は分かりにくいのよ!
それに私は体で覚えるタイプなの!!』
もちろんこの声の合い間にも銃声は聞こえてくる。
リヒトはできることなら開けたくないな。むしろ今すぐまわれ右してジオの書類仕事を手伝いに行きたいと思いながらもことの重大さを思い出し溜息混じりに射撃場の扉を開けた。
「ボス、ちょっといい?」
「……もう帰ったのか?」
「うん。セイラもただいま」
「おかえりなさい兄様」
「……随分上達したみたいだね。もうほとんど的の中心を捕えてる」
「そんな……。私なんてまだまだです」
「そんなことないよ。セイラは頑張り屋さんだから……あんまり無理をしたらだめだよ。
……じゃあ悪いけどボス、借りていくね」
「はい」
リヒトの声を聞いた瞬間恋する乙女の顔に豹変する。
リヒトにぎゅううううっと抱きつき幸せオーラ全開のセイラが主人にちゃんとできたよ!褒めて!構ってとまとわりついている仔犬にしか見えなくてノクトはそっと視線をそらせた。
先程まで漂っていた澱んだ空気が綺麗さっぱり一掃され、ふんわりと優しい幸せオーラがセイラから発生しているのを目の当たりにしたノクトは隠すことなく溜息を吐いた。
いい加減この変わりようはなんとかならないだろうか。
ジオといいセイラといいアルバといい自分の周りには分かりやすい人間が多すぎる。
それも傍迷惑なレベルで。
自分のことは綺麗に棚に押し上げてノクトはセイラに背を向けた瞬間に険しい表情に戻ったリヒトを見てすっと目を細めて眉を寄せた。
どうやらまた面倒なことが起きたらしい。
それも直属の上司であるジオではなく“ボス”である自分の耳に入れなければならない程のことが。
セイラの前で見せていた柔らかい微笑みをすっと消してきっと自分と同じくらいに鋭く険しい顔をして完全に仕事モードに切り替わっているだろうリヒトの足音を背なかで聞きながら、歩くペースを速めた。
険しい顔で入ってきた待ち人たちにジオの顔も自然と険しくなる。
自然と重たくなる空気の中、ずいぶん思い詰めた顔をしているリヒトはゆっくりと口をひらいた。
「ノエルがまた動き出したかもしれない」
躊躇うように紡がれた言葉に二人は両目を見開いてリヒトを見る。
けれどリヒトの瞳も揺らぐことなく二人を見据えている。
「……どういうことだ」
「あの件はこの俺が調べあげたんだぞ」
重く低いノクトの声と非難を孕んだジオの目を真正面から浴びながら彼女からのご褒美を紡いだ。
重々しい空気に溶けて消えた言葉にノクトとジオの表情はますます険しくなる。
「……ノエルっつたら姫が攫われた時に潰したはずだろ」
「あぁ。残党狩りもさせた。完全に壊滅したはずだ」
ノエル――――裏社会で頭角を現してきた新参者の組織だったが、国との癒着が強くほとんど知られていない侯爵家のルーツに関わる特殊な義務と権利を知り、その意味を履き違えて国家転覆を目論み、ルナを攫いノクトを害そうとして十四年前に潰された組織だ。
侯爵家の義務はこの国の防衛。諸外国はもちろん、国王からさえ国を守る。国の絶対的守護神で在ること。戦となれば最前線で戦い、王が国に害を成すと判断すればその王を排除する。
それ故に侯爵家の当主はその責務を果たしている限りこの国の王位継承権を持つ。
それらが一番初めに与えられた義務と権利。あとは戦場出身の初代があぶれた兵士たちを世話するついでに彼らを有効活用して増えていった無法者たちの躾――――裏社会の管理もするようになった。そうしてできたのが夜の闇だ。
リヒトだって、十四年前のことはよく覚えている。ノクトが忙しそうにしていたことも、ジオを筆頭に夜の闇の先輩たちが徹底的に調べ上げて潰して回っていたことも覚えている。
それでも、センパイの言葉が戯れでないことも理解している。戯れで出てくる言葉ではない。
あの事件を知るのは夜の闇に所属する者と国王だけだ。それ以外はみんな処分されたから。
「“ノエルと偽りのラヴァンシーに気を付けなさい”
知ってるはずのないセンパイがそう言った。
ジオの仕事を疑う訳じゃないけど、ノエルにはまだ何かあるのかもしれない」
「待て、ラヴァンシーつうのはなんだ?」
「ジャン=ノエル=ラヴァンシー」
「アルバ!?」
「おま、いつから聞いてやがったんだ!?」
「母さんとニナに兄さんが呼んでるって言われたから」
「居座るなら持ってる情報を寄こせ」
ぎょっとするリヒトとジオを横目にいつの間にやらしっかりと会議に参加している息子に溜息を噛み殺さずにはいられない。
どこまでもマイペースなアルバは相変わらず表情筋を動かさないままさりげなくリヒトの隣を陣取って一冊の古い本をノクトに差し出した。
「日記……?」
「運命に弄ばれた――黎明を告げた王の細君の日記―――否、ディアナへの小言だよ」
「それ、可笑しくないか?その細君とやらは夫を殺した初代を恨んだはずだろう」
「知らないよそんなこと。わかってるのは初代の時代には彼女と交流があったってこと。
あぁ、あとディアナに侯爵夫人の心構えを説いたり簡単な家事を教えたのも彼女みたいだよ。
小言ついでに簡単なレシピもついてる」
それを見た三人はとても複雑な気持ちになった。
確かにそこには初代にディアナを甘やかしすぎるな。公の場での立ち居振る舞いにもっと気を付けろ……等々、ありとあらゆる小言――いや親愛の情が溢れる言葉の羅列がズラリと並んでいた。
呆然と日記帳を見続ける三人を他所にアルバは現時点で把握している情報をすらすらと報告していく。
「まあ、そういうことでごく限られた者しか知るはずのない情報のはずだよ。
日記は初代の奥方から子どもへ継承されていくうちに複製されたみたいだね。
ちなみに最後に母さんの名前が書いてあるからこの日記の所有者は母さんだ」
「……じゃあなんでお前が知ってんだよ」
「俺の誕生日プレゼントにはセイラと同じくオマケがあったんだよ」
ゆらゆらと見せびらかされたのは当主とそれに準ずる者にしか立ち入りを許されない書庫の鍵。
もちろんその鍵を見せさえすれば『夜の闇』の名の元に国中の禁書の閲覧が許される。
「流石ボス。双子にあった一番の武器がプレゼントなんて」
「……悪魔が一気に魔王になりやがった」
げっそりと項垂れるジオをみて微かに口元を綻ばせてアルバは敬愛してやまないリヒトを見る。
「コレ関係は任せて。資料は俺が揃えるから」
「うん。ありがとう。気を付けるんだよ」
大好きな兄に仕事を任されたアルバは上機嫌で情報収集に出かけて行った。
「……リヒト、次の接触はいつだ」
「レドモンド侯爵のご子息の誕生パーティーです」
「どちらがいいと思う?」
「……俺にヒントを出したということは、謎を解くのは俺じゃないといけない。
でも、夜会の事を言ったということは……」
「ボス、今回は俺も行かせてもらうぜ」
「あぁ。もしもの時のためにニナは残せ」
深々と刻まれた眉間の皺が消えないまま三人はそれぞれの思考の海に身を沈めて行った。




