三・主人の微笑み
自分からやると言い出しただけあって、台所に入ってきた二宮は朱音から頼まれた仕事をてきぱきと手際良くこなした。
プルトップのないコーンの缶詰を、缶切りを使ってささっと難なく開けると、二宮はそれをあらかじめバターを熱しておいた鍋の中に入れて、朱音が用意したみじん切りになった玉葱と一緒に混ぜた。
「次はどうすればいいんでしょうか」
学生服の上に、朱音から借りた肩掛けのエプロンを着た二宮が訊いた。
「冷蔵庫に牛乳パックがあるから、それをまるまる一本全部鍋の中に入れて温めてください」
「判りました」
朱音の指示を受けた二宮は言われた場所からカップを取り出すと、次に冷蔵庫を開けてそこに入っていた牛乳パックの中身を鍋の中に注いだ。
「二宮さん」
「はい」
「家では料理とかするんですか」
朱音がフライパンでミートスパゲティの挽肉を炒めながら訊いた。
「あんまりしませんけど、それがどうかされたんですか」
「いえ、だいぶ手慣れてるなと思ったんです。だからお料理が得意なのかと」
「そうですか。いちおう学校の調理実習ではけっこう評判いいんですけどね」
「得意料理は?」
「チャーハンと野菜炒め」
「いかにも男の子って感じ」
フライパンの上で熱されている挽肉に、パック入りのトマトソースをかけて混ぜながら朱音はふふっと笑った。
「あの、後鳥羽院さんって、こういった料理の材料はどこから買ってくるんですか」
「どこからって?」
「いや、ここってけっこう山の奥じゃないですか。だから買い出しに行くのにもかなり苦労しているんじゃないかと思いまして」
「食材は週に一度、宅配で送ってもらってるんです」
「ネットショップってやつですか」
「ええ。インターネットのサイトで送ってきて欲しいものを選んで、それを次の宅配の時に送ってきてもらうんです」
「なるほど、それは便利だ」
「本当は自分の目で見て選ぶのが一番良いんでしょうけどね」
朱音は苦笑した。
「だけどそれだと町まで行くのに時間がかかるし、それに……」
「それに?」
「……二宮さん」
「はい」
「コーンスープのほう、鍋に塩こしょうを入れるの忘れてないかしら」
「あっ、そうでした」
二宮は慌てて塩こしょうの容器を手に取って、中身を鍋の中に振りかけた。
「さて、次は何をすれば良いんでしょうか」
「そうですね、そこに出したレタスの葉っぱを何枚かちぎってください。サラダに使いますから」
「レタスですね、判りました」
「できたらそこのお皿に盛り付けてください」
「了解です」
そういって二宮は朱音に言われた通りにレタスの葉をちぎり始めた。
「しかしこう、町まで出るのが大変となると、病気を起こしたときなんか大変でございますね」
「……そうね、ここから山のふもとにある病院まで、車で一時間くらいかかりますから」
「でしょう」
「今思い出したんですけど、昔、両親が生きていた時に父がぎっくり腰を起こしたことがあるんです」
「ぎっくり腰ですか。なかなか痛いと聞いたことがありますが」
「母が苦しんでいる父を車に乗せて病院まで運んでいったそうなんですが、病院に着くまで大変だったらしいですよ」
「そういえば僕も昔似たようなことがあったんです」
二宮がいった。
「二宮さんもぎっくり腰になったことがあるんですか?」
「いえ、中学校の時に学校のスキー合宿で青少年自然の森にいたときに風邪をひいて、そのまま家に帰らされたことがありまして」
「あら、可哀想」
「それでタクシーを呼んで、施設がある山の中から町にある赤十字病院まで送られたんですが、その時にタクシーの中で生徒指導の強面な先生と一時間近く一緒に過ごす羽目になりまして。いやあ、あれは中々に気まずかった」
そんな昔話を、二宮はレタスをサラダ皿に盛りつけながらどこか楽しそうに話した。
「合宿ですか……私も昔一度休んだことがあるんです」
「後鳥羽院さんも赤十字病院まで運ばれたことがあるんですか」
「いえ、大学の時のソフトボールサークルで……合宿に行く直前に熱を出して、欠席して家で休むことになったんです」
「そうだったんですか。だけど僕みたいに向こうに行ってから熱出したりするよりは、ずっといいですよ」
「それ、慰めてるつもりなんですか?」
「いやまあ、本当は病気なんてしないほうが一番良いんですけどね」
「それもそうね」
朱音はこの少年が次々に発する軽妙な言葉に対して、微笑まずにはいられなかった。
「そうだ、後鳥羽院さん」
「どうしたの?」
「もう一つ、お尋ねしたいことがありまして」
「何でもどうぞ」
「こうやって泊まらせてもらっておいて大変失礼な質問だと承知しているんですが、どうしてあなたは僕たちをこの家に入れてくれたんでしょうか」
「……どうしてって、どういう意味なんです?」
緩んでいた朱音の顔が、次第に真顔になった。
「さっきから気になっていたんです。資産家であるあなたが、こうやって突然現れた人間をあっさり家に招き入れてしまうものなのかって。
もしかしたら、金目当ての押しかけ強盗だったかもしれないんです。普通ならものすごく警戒するはずなんじゃないかと思いまして」
「……それは大川さんが警察手帳を見せてくれたから」
「いいえ。警察手帳を見せられたら更に警戒するはずです。僕がいうのも何ですけど、夜中にいきなり警察だと名乗る人間が急に現れたら、どうも胡散臭いなと思うはずなんです。この警察手帳は身分を偽るための偽物なんじゃないかって。
だからあっさり警察手帳を見て信じたのだとしたら、あなたのような立場の方にしてはずいぶんと無用心だなと思いまして」
二宮の疑問に、朱音は黙ったまま何も返さなかった。
「すいませんでした。気分を害されたのなら謝ります」
「いいですよ、別に」
慇懃な口調で謝る二宮に、朱音はさらっと返した。
「それにしても目ざといのね、二宮さんって。そんな細かいことにあれっ、てなるなんて。さすがは高校生探偵といったところかしら」
「とんでもない、僕の悪い癖です」
そういって二宮は苦笑いを浮かべた。
「だけどね……私が二宮さんたちをこの家に入れても良いって思った理由、ちゃんとあるんですよ」
「理由、といいますと」
「……私、以前に本物の警察手帳を見たことがあるんです。それと大川さんが見せてくれたもの同じだったから、あなたたちを信用したんです」
「本物の警察手帳、ですか」
「ええ。私、昔警察の人と何度も会ったことがあって、その人達から会う度に、嫌になるほど手帳を見せられたことがあるんです」
「……なぜ警察の方々とそんなに会う機会があったんですか」
ここに来て二宮はやや遠慮がちに聞いてきた。
「二宮さん」
「はい」
二宮が相槌を返すと、朱音はゆっくりと次の言葉を紡ぎ出した。
「私、人を殺したことがあるの」
朱音がコケティッシュな笑みを浮かべてそう告白すると、その場は冷たい静寂に包まれた。
次回投稿は8月30日の予定です。




